岩手県の北東部に位置する田野畑村の地名の由来と2つの「坂」の歴史について探る。

長年にわたり岩手県の地名を調べている宍戸敦さんは「波の浸食によって海岸段丘が形成されているのが田野畑村の特徴。田野畑村の地名の由来は『タナ・ハタ』と考えられる。テーブル上の棚の状況になっている場所、端の部分、深い谷、深い渓谷が地名の由来となったのではないかと考えられる」と説明する。

「タナ・ハタ」という言葉が示すように、田野畑村の内陸部には山や谷が入り組んだ険しい山林地帯が広がっている。

真木沢渓谷と松前沢渓谷という2つの渓谷は、古くから交通の難所として知られてきた。

渓谷の険しい地形を表す特徴的な地名が「思案坂(しあんざか)」と「辞職坂(じしょくざか)」だ。

2つの地名について宍戸さんは「田野畑村はかつて鉄道や道路もあまり通っていなかった。人々は日常的に多くの坂を上っていた。思案坂は、県の役人・教員がこの地域に出張や赴任するようなときに、坂があまりにも急峻なので、出張先・赴任先に行こうか戻ろうか思案をしたことで名付けられた地名が思案坂。思案坂を上った後も次に待ち構えていたのは辞職坂。辞職坂は、もうこれ以上はあまりの険しさに辞職を考えたことから、辞職坂と名前がついた」と話す。

現在、真木沢渓谷と松前沢渓谷には、橋が架かり車でも通れるようになっているが、かつて人々はこの「思案坂」や「辞職坂」を歩いて、渓谷を越えていたということだ。

子どものころ「思案坂」を利用していたという田野畑村森林組合代表理事組合長の熊谷さんに、この2つの坂について聞いた。

田野畑村森林組合代表理事組合長 熊谷吉秀さん
「思案坂は、田野畑の一番南側の地区“真木沢”地区と、隣の“大芦”地区を結んでいる。辞職坂は“浜岩泉”と“菅窪”と結んだ道路。当時は歩きが普通だったので生活には欠かせない通りだった」

かつては村の主要な交通路だった2つの坂道、急な勾配の山道ですが、村の人々も日常的に使っていた。

2つの坂について熊谷さんは「小学生の頃、同級生たちが毎日思案坂を歩き、1時間半ぐらいかけて学校へ来ていた。遊びに行くときは思案坂を通った。小さいときは坂を歩くのが面白かった。大人になってからは、昔の人たちはすごいなと感じる」と当時を振り返る。

かつて険しい坂道の往復が日常だった田野畑村の生活。現在は思案坂のある真木沢渓谷には「槇木沢橋」、「辞職坂」のある松前沢渓谷には「思惟大橋」と、それぞれ大きな橋が掛かっている。

「槇木沢橋」と「思惟大橋」が完成したことについて「橋が架かったときは、村中が喜んだ。槇木沢橋が開通したとき、子どもたちが鼓笛隊をつくり橋を歩いて祝っていた」と懐かしむ熊谷さん。

橋の開通によって大きく変わった村の生活。
「思案坂」や「辞職坂」という地名は、人々が険しい坂道を越えながら暮らしてきた歴史を今に伝えている。

岩手めんこいテレビ
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