震災の現実を受け止めきれず自宅に引きこもるようになってしまった人が、パンの店をオープンさせました。人とのつながりに支えられながら、少しずつ歩みを進め、夢をかなえました。
宮城県山元町の沿岸部に位置する花釜地区。津波の被害を受けた場所で、パンの店がオープンに向け準備を進めていました。
店主の渡邊愛希さん(42)。子供のころからパンを作るのが好きだったそうですが、オープンを決意したのは、コロナ禍がきっかけだったといいます。
渡邊愛希さん
「(コロナ禍は)震災直後と同じくらい絶望感というか、また人がいない所に戻っちゃうんじゃないか(という気持ちがあった)」
渡邊さんは、花釜地区で生まれ育ち、自宅の2階のベランダから町を襲う津波を目の当たりにしました。
渡邊愛希さん
「目の前を車とか大きな松とか、それこそ平屋の家がすーっと流れてくるのも、映画みたいで、なんか現実だと受け止められなかった。世界が変わっちゃったなって、あの一瞬で」
花釜地区は震災後、住宅やアパートなどを新しく建ててはいけない場所になり、3千人あまりだった人口は1122人にまで減少しました。
変化した町並みや失われたつながり…。現実を受け止められず、渡邊さんは2012年から自宅に引きこもるようになりました。
渡邊愛希さん
「今まであった人とのつながりが全部断たれちゃった。ずっと…しかもこれから何年も続いていくんだなと思うと…。ちょっとすみません…。あれは悲しかったですね。悲しかったし、何か真っ暗でしたね」
転機は2015年、母に誘われて近所で開かれたマルシェを覗いたことでした。何度か行くうちに学生ボランティアの団体と出会い、心境が大きく変わります。
渡邊愛希さん
「私、何を引きこもっていたんだろうなって。こんなまっすぐ誰かのために頑張れる若い人たちがいるのに、何やっていたんだろうって思ったのが一番」
学生ボランティアとの交流の中で、得意のパンを何気なくふるまったところ、それが評判になりました。
この日訪れていた4人は、もともと学生ボランティアでした。卒業した後も交流は途絶えず、オープンに向けた準備を遠方から手伝いに来ました。
兵庫から
「おこがましいかもしれないが(店のオープンは)ほんまに自分のことのようにうれしいというのが第一」
東京から
「学生の間でも有名だったんですよ。あきさんのパンおいしいって。(店のオープンは)誇らしさというかうれしさというか、そういう感じ」
家族も渡邊さんとともに歩んできました。
父・隆弘さん
「何の蓄えもない、準備もない中で、2人で夢に向かってみたいな感じ。ふさぎこんでいた娘が自分の将来のことを語ってくれたのが、うれしかったですね。親父とすればやるしかない」
店舗は震災で全壊した自宅の別棟を利用しました。中心となって改修したのは、父・隆弘さんです。
父・隆弘さん
「やっとここまで来たかみたいな思いがある。復興なんてそういうもんだと思いますよ」
新しい出会いや家族に支えられながら、渡邊さんは少しずつ前へ進んでいきました。
そして迎えたオープン日。
「パン処ひととせ」。「一年」という意味です。
渡邊愛希さん
「一年いつ来てもパン焼いて待っているよって」
あんぱん、メロンパン、自家製ジャムのパン…渡邊さんの自信作が並びました。素朴で、毎日食べても飽きない、色々なおかずに合うような、そんなパンを意識しているといいます。
オープンと同時に大勢の人が訪れ、店内は大混雑。午前中に用意した80個のパンは、1時間も経たないうちに完売しました。
来た人
「おいしいです。ふわふわしていて」
「コツコツと進められてすごいなと思って、うれしくて応援にかけつけなきゃと思って、来たら売り切れているし、うれしくて泣きそう」
渡邊さんの母や弟も店頭に立ちました。家族で店を切り盛りしていくということです。
父・隆弘さん
「一つの仕事、目標に向かって家族が一生懸命やっている姿は何年かぶりに見たんじゃないかな。渡邊家の復興がきょう果たされたというか。スタートの日だなって」
渡邊愛希さん
「昔はずっとひとりだとか、生き残って良かったのか、死んじゃったほうが良かったんじゃないかと思っていたくらい、独り善がりだったけど、今はこんなにいろいろな人たちが来てくれる場所を一緒にみんなと作って、今の私は頑張ったなって。頑張ってきたんだなってやっと実感が」
人が集まり、笑い合える場所へ。人のつながりに支えられた渡邊さんが、古里にオープンした小さな店に込めた願いです。
渡邊愛希さん
「悲しい思いをしたけれど、でもそんな人たちでも、ちょっとほっとできる、ただパンを食べて笑ってゆっくり過ごせる、そういう場所にしたい」
パン処ひととせの営業は、毎週土曜日、日曜日の正午から午後7時までで、パンが売り切れ次第、終了する場合があるということです。
インスタグラムでも店の情報を発信しています。