瀬戸内の悲劇を忘れない 「紫雲丸事故」から71年

1955年5月11日、旧国鉄の連絡船「紫雲丸」が、瀬戸内海で貨物船と衝突し沈没。
乗客・乗員844人のうち168人が犠牲となったこの大惨事から、2026年で71年が経つ。

修学旅行中だった松江市・川津小学校の6年生も乗り合わせており、児童21人と保護者・教員を含む25人が帰らぬ人となった。

事故を直接知る生存者が80代を迎えるなか、あの日の記憶を次の世代へつなぐ取り組みが2026年も続いた。

記念碑の前で合掌 犠牲となった同級生への思い胸に

5月11日、島根・松江市の川津小学校。
登校してきた児童たちが、校内に建つ記念碑の前で静かに手を合わせた。

71年前の事故を後世に伝えるために建てられたその碑の前には、当時6年生だった生存者3人の姿もあった。
亡くなった同級生を偲びながら、彼らもまた碑に向き合った。

生存者の一人、野津宗市さん(82)は「『俺の分まで長生きしてくれよ』と、天国から友達が応援してくれて、今に至る」と語る。

「紫雲丸事故」から2026年5月11日で71年 犠牲となった川津小の当時の児童らを追悼
「紫雲丸事故」から2026年5月11日で71年 犠牲となった川津小の当時の児童らを追悼
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「地獄みたいだった」 生存者が児童に語る惨状

川津小学校では21年前から、事故の生存者を招いて体験を聞く特別授業を行っている。
2026年は、4年生から6年生の児童約300人が参加した。

壇上に立った紫雲丸遭難事故生存者の会の野津幸次さんが、あの日の光景を語り始めた。

「紫雲丸が沈んだ油が浮いて真っ黒な海になっている。カバンとか水筒がどんどん流れてきて女の人とか、男の人もですが、浮いたり沈んだり、浮いたり沈んだりして、地獄みたいな感じで、今も鮮明に覚えている」

衝突・沈没という突然の災難の中、子どもたちが次々と飲み込まれていく瀬戸内の海。
その凄惨な情景は、71年を経てもなお、野津さんの記憶の中に色褪せることなく刻まれている。

1955年に起きた「紫雲丸事故」 貨物船と衝突し沈没 乗客・乗員168人が犠牲
1955年に起きた「紫雲丸事故」 貨物船と衝突し沈没 乗客・乗員168人が犠牲

児童に問いかける“命の重み” 

授業を聞いた子どもたちにも、言葉は確かに届いた。

ある6年生の児童は「この事故を二度と忘れないようにしていきたいと思った」と話した。
また別の児童は、「たくさんの人たちがこの事故で亡くなったこと、命の尊さを伝えていきたいと思いました」と語った。

同じ小学6年生として修学旅行に出かけ、そのまま戻らなかった先輩たちの存在。
その事実が、現代の子どもたちに命の重さをまっすぐに問いかけた。

特別授業を受けた児童「事故を二度と忘れないように」と誓う
特別授業を受けた児童「事故を二度と忘れないように」と誓う

減りゆく語り部 生存者が語る決意

事故当時、川津小学校から乗船していた6年生のうち、生還したのは37人だった。
しかし現在、健在なのは23人となっている。
当時の6年生が今では80代を迎え、事故を直接体験した語り部の数は着実に減り続けている。

野津幸次さんは「71年の歳月が経っても21人の同級生を亡くしているので、悲しみはこみ上げてくる。川津小学校の紫雲丸の活動に協力しながら、風化させないために頑張っていきたい」と語る。

「紫雲丸事故」を知る野津幸次さん
「紫雲丸事故」を知る野津幸次さん

記憶と教訓を次の世代へ

毎年5月11日、川津小学校の記念碑の前に手を合わせる子どもたちがいる。
生存者たちが足を運び、言葉を尽くして語り継ごうとする。
その積み重ねが、168人の命が失われたあの事故を、単なる「過去の出来事」にしないための営みだ。

語り部が少なくなっていくなかでも、川津小学校の特別授業は21年間途切れることなく続いてきた。
悲惨な事故の記憶と教訓を次世代につないでいく取り組みは、これからも変わらず続いていく。

川津小学校で行われた「紫雲丸事故」を風化させないための特別授業 児童らが熱心に聴く
川津小学校で行われた「紫雲丸事故」を風化させないための特別授業 児童らが熱心に聴く
TSKさんいん中央テレビ
TSKさんいん中央テレビ

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