もうすぐゴールデンウィーク。そこで今週は、福井県内各地の“今年ならでは”のおすすめスポットを紹介します。1回目は敦賀市から。現在放送中の大河ドラマにちなんで、豊臣ゆかりの場所をたどります。

陸路と海路の要衝として古くから重要視された敦賀には、豊臣ゆかりの地が数多くあり、その足跡は敦賀のまちなかにも残されています。730年(天平2年)奈良時代に創建された「妙顕寺」もその一つです。
 
住職の木村吉孝さんが「(この辺りが)大きな中庭になっていた。この辺に陣を張ったんじゃないかと…」と案内してくれました。

戦国時代の1570年、豊臣秀吉と弟の秀長を率いた織田信長軍は、現在の福井市、一乗谷を拠点とした越前朝倉氏を攻めるため、敦賀の地に入りました。
 
「天筒山城」と尾根続きにある「金ヶ崎城」、この2つの城を立て続けに落とした際、本陣を構えたのがこの妙顕寺です。
   
「ここから直接的に見ると天筒山の状態がよく分かる。それを見ながら戦況を臨んでいたのではないか」(木村住職)
  
昔のままで残っているのは「石垣が少し残っている程度」だといいます。
   
寺の本堂などは江戸時代の火災や昭和の敦賀空襲によって残っていませんが、野面積みの石垣は当時のまま、歴史をいまに伝えています。

敦賀湾を望む小高い山にある「金ヶ崎城跡」は、織田信長“最大のピンチ”となった「金ヶ崎の退き口」と呼ばれる戦の舞台です。
   
長い石段を登り見えてきたのは「金崎宮」、サクラの時期は「花換まつり」でも知られています。ここには戦の歴史にちなんで、こんなお守りも―
    
「こちらが難関突破のお守りとして授与している小豆袋守りです」(田村典男宮司)
  
信長は、妹のお市の夫である滋賀(近江)の浅井長政の裏切りにより、ここ金ヶ崎で朝倉軍との挟み撃ちに遭ったのです。
   
「お守りと小豆が一粒だけ入っている。滋賀県の浅井長政が裏切り、福井から朝倉の援軍が来て両方に挟まれる。そのときにお市の方が小豆を袋に入れて両方縛ってこの金ヶ崎の陣中に届けたとされている」(田村宮司)
  
この時、金ヶ崎に残り殿(しんがり)と呼ばれる“最後尾”の役割を務め上げたのが豊臣秀吉。この手柄によって信長から厚く信頼されることになり、天下人への道を切り開いたといわれています。
  
その地で授かるのは、難関突破と、開運のお守りです。

そして、次に向かったのは金ヶ崎城の本丸があったとされる「月見御殿」。目の前に広がるのは敦賀湾の絶景です。当時、武将たちもこの景色を眺めたのでしょうか。
   
田村宮司は「最高にいいのが新緑。心が洗われる」といいます。
   
秀吉が天下人へと駆け上がる、その転機となったここ敦賀。ドラマで盛り上がるいま、身近にあるゆかりの地を巡ってみてはいかがでしょうか。 

福井テレビ
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