“安心安全のお茶”作りを目指して半世紀。夫の死後、二人三脚で新たなお茶作りに挑戦してきたお茶農家の女性が綴った夫婦の物語が、今、ベストセラーとなり反響を呼んでいる。作品の舞台を訪ね、その思いを聞いた。

夫婦二人三脚 お茶農家の奮闘記

舞台は、お茶の産地、福岡・広川町にある1946年創業の『ゆげ製茶』。

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2代目女将の弓削京子さんが、話題の“ベストセラー作家”だ。『ゆげ製茶』が一番茶を摘むシーズンは、4月の終わり頃からだが、1年を通して様々な種類のお茶を販売している。

「茶葉が被るくらいお湯を入れる、そして蓋をします」と飲み方を説明してくれる弓削さん。急須を使わず、茶碗に入れた茶葉に湯を注ぎ、お茶本来の味を楽しむ伝統的な日本茶の楽しみ方、『すすり茶』だ。

「後味は、なかなか感じられないお茶の甘みが、ぎゅっと詰まっている」と弓削さん。一口含むとお茶の甘さが口いっぱいに広がる。

『ゆげ製茶』の拘りは、農薬と化学肥料の使用量を極限まで減らして茶葉を育てる栽培方法にある。

その栽培方法は、2代目の主人であり、京子さんの夫、健二さんが、約40年前から始めたものだ。

「自分の好きなお茶を作りたい、子供に安心なものを飲ませたいという気持ちが強くなって、そういうお茶を作っていた。夫は、なんかニコニコしていましたよ。自分でいろいろ実験できるから。なんかね思い出す。一生懸命していた頃を」。弓削さんは、少し寂しそうに振り返った。

土作りから見直して、理想の茶畑を追求し続けてきた健二さんだが、3年前に他界。

「もう3年経った。『私、72歳やん』と思った時に、お父さんとしてきた事がいっぱいあったから、これを残したい」と思い、形にしたのが、夫婦で歩んだ半生を綴った電子書籍『泣いた日 笑った日−福岡・八女のお茶農家奮闘記』だ。

40年以上に渡る夫婦の物語を約100ページにまとめ、2026年1月に刊行。3つのカテゴリーでベストセラーになった。

「お前がおらんと夢が叶えられん」

当時の記憶を綴る物語は、2人が出会った10代の頃から始まる。「色が白くて弱々しくて、痩せてて背が高うて。『うわあ、イメージどおりの人がおった!よかね!』そう思うたとです。

手ば繋ぐなんてことはなかった。並んで歩かず、いつも、ちょっと離れて歩いとりました」と少し照れながら話す弓削さん。

グループでの交際から始まり、健二さんからのプロポーズ。

そして、草むしりもしたことが無かったという弓削さんが、お茶農家に嫁ぎ、農家の嫁になった時代の空気感も描かれている。

「『今から10年は給料はないもんね。明日からご飯炊いてね』とか。そういう話をされた時に、なんか全然違う、別世界に入ってきた感じがしたとです」と振り返る。

慣れない畑仕事に加え、家事に追われる日々に涙を流すこともあったが、「『お前がおらんと夢が叶えられん』と言われた」と、夫にかけられた言葉が忘れられない。

健二さんが掲げる“安心安全なお茶”を実現するため、共にお茶作りに励んだ日々が走馬灯のように蘇るのだ。

「一番読んで欲しいのは亡き夫」

次第に健二さんが作るお茶が認められ、品評会で様々な賞を受賞するようになった。

更に弓削さんは、健二さんが作るお茶に可能性を感じ、新たな挑戦を始める。広川町で初めて紅茶の製造に乗り出したのだ。そして、2018年にオリジナルの『和紅茶』を商品化した。

弓削さんは、町の名産品を目指してインド政府公認の品評会に出品。すると、日本で初めてとなる『ダージリンアワード』を受賞する快挙を成し遂げた。

「これがインドから頂いた証明書なんです。だけん、やっぱり本物やったよね」と夫婦二人三脚で育ててきた安心安全のお茶作りが世界でも認められた瞬間だった。

健二さんは2023年7月、天国へと旅立つ。体調の悪さには気づいていたが、突然の別れだった。

「私は、どうしてこげんな人生になってしもうたと?今も不思議に思うけど、振り返れば、いい人生ば歩ませてもらった。ありがとう、健二さん」と弓削さんは、夫への感謝を静かに思う。

夫を亡くして2年。薄れることのない夫婦の記憶。そして、夫に伝えきれなかった想いを綴った1冊『『泣いた日 笑った日−福岡・八女のお茶農家奮闘記』。弓削さんは、「一番読んで欲しいのは、やはり亡き夫」だという。

「健二さんは、たぶん読んでくれていると思います。『俺の気持ち分かっている』って思ってくれてるかなぁと。続きを書けっちゃあ言われても書ききらんけど」。

(テレビ西日本)

テレビ西日本
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