昭和後期のプロ野球に偉大な足跡を残した偉大な選手たちの功績、伝説をアナウンサー界のレジェンド・德光和夫が引き出す『プロ野球レジェン堂』。記憶に残る名勝負や“知られざる裏話”、ライバル関係とON(王氏・長嶋氏)との関係など、昭和時代に「最強のスポーツコンテンツ」だった“あの頃のプロ野球”、令和の今だからこそレジェンドたちに迫る!
通算1065盗塁、シーズン106盗塁の“世界記録(当時)”を打ち立てた福本豊氏。類まれな盗塁技術でダイヤモンドを駆け回り阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)の黄金期を支えたレジェンド。13年連続盗塁王。歴代5位の2543安打。通算盗塁だけでなく115三塁打、43先頭打者本塁打など数々の日本記録も保持する“世界の盗塁王”に徳光和夫が切り込んだ。
【中編からの続き】
勝てなかった巨人との日本シリーズ

福本氏が入団する前の1967年から阪急は黄金期を迎え、福本氏入団後の1972年までの6年間で実に5回もパ・リーグを制した。しかし、当時は巨人のV9時代。日本シリーズでは5回とも巨人に苦杯をなめる結果となった。
福本:
日本シリーズでは勝てませんでしたね。
徳光:
阪急にはいいピッチャーも多かったし、勝てる気がしないってことはなかったでしょ。
福本:
やっぱり王さんと長嶋さんの2人でやられてましたね。場慣れですかね。
徳光:
巨人の場慣れってことですか。

福本:
巨人はいつも観客でいっぱいですよね。阪急が普段試合してるパ・リーグの場合はスタンドがガラガラやないですか。巨人のバッターがフライを打ち上げて、センターフライや思って構えても、「ワーッ」ってなる。何も「ワーッ」っていうほどのフライやないやないかという感じやねんけど、ピンチでも何でもないのに、「ワーッ」って言われたら、何か知らんけど、「おおっ」ってなりますよ。

阪急と巨人が対戦した1971年の日本シリーズ、1勝1敗で迎えた第3戦は日本シリーズ史に残る名場面として語り継がれている、阪急の先発・山田久志氏が巨人打線を8回まで2安打無失点とほぼ完璧に抑えていたが、1対0でリードしていた9回裏2アウトランナー三塁一塁の場面で、王貞治氏に痛恨のサヨナラ3ランを浴びて逆転負けを喫した。
福本:
あのときはセンターにいましたから、「よし、今日はもう勝つな」という感じで守ってました。カーンっていかれて「あっ」で終わりましたけどね。「ええっ!」っと思いましたよ。王さんは、それまであかんかったんやけどね。
徳光:
王さんは大不調だったそうですよ。
福本:
あのときは悪かったですね。でも、最後、やっぱりね。
徳光:
王さんにうかがうと現役時代のホームランの中で一番嬉しかったみたいですよ。
福本:
あの1本がですか。
徳光:
でも、日本シリーズでは当然のことながら、ジャイアンツも福本さんの足はものすごく警戒したわけですよね。

福本:
僕と堀内(恒夫)は同い年なんですけど、彼は牽制がうまかった。「お前は一番うまいピッチャーや」って。
徳光:
言ったんですか。
福本:
言いました。小さく早くホームに放れるんですよ。
徳光:
牽制との違いは分かりませんでしたか。
福本:
分からなかったです。肩開いてでも放りますからね。
ノムさんが導入したクイック
徳光:
その福本さんの足をめぐって、パ・リーグの各球団は、本当に様々な対策をしたわけですよね。なんかロッテは一二塁間の間に水を撒いていたって。
福本:
あ~(笑)。ファーストのランナーがリードする所らへんに水が撒いてあって、ちょっと柔らかくして。
徳光:
それはスタートが切れないようにってことですか。
福本:
そうそう、いいスタートが切れん。ツルッと滑るようにしてた。それと、セカンドベースの辺もちょっと砂を柔らかめにしてた。スライディングでシャーっといかないように。
徳光:
それは分かりましたか。

福本:
最初に球場行ったときに球場のおじさんから、「福本さん、ファーストのあの辺、気を付けて見ときなはれや」って言われて。
徳光:
おじさんは福本さんの味方だったわけですか(笑)。
福本:
なんやろね。ファンやったのかね。
徳光:
そういう対策もあったのかと思えば、南海(現・ソフトバンク)の野村(克也)さんは、ピッチャーのモーションを変えたみたいなことを。

福本:
ノムさんはクイックを一番うるさく言ってましたね。僕にどんどん走られるもんですから、「おい、フク。盗塁されるのはキャッチャーの責任か」。「いや、ちゃいますよ。ピッチャーがモーションを盗まれたら、キャッチャーがええボール投げても、もう先に塁に付いてますがな」。「そうか」って言うて。
徳光:
野村さんとの間にそんな会話があったんですか。
福本:
それでクイックができたんですよ。しばらくは、ちょっと考えさせられたんですけど、やり方をいろいろ見つけた。
徳光:
福本さんはある意味でノムさんに成長させられたんですね。
福本:
そうですよ。ノムさんのおかげで僕はまた一つみんなと違うランクに行きましたね。
先輩の“格好”まねて通算2543安打
徳光:
盗塁は足の速さだけではないってことですね。
福本:
ないです。すっとスムーズに反応できるか。成功率とかみんないろんなことを言いますけど、あとは、もう塁に何回出るかです。
徳光:
バッティングで塁に出なければならない。塁に出なければ、そもそも盗塁できないですもんね。
福本:
秘訣はそれなんですよ。

福本氏の通算安打数は歴代5位となる2543本だ。
徳光:
このバッティング術というのは、どういうふうに身につけたんですかね。
福本:
これは西本(幸雄)監督の言う“格好”ですね。手取り足取り教えてもろうてないんです。「ああいう格好で振れるようになってこい」、それだけでしたね。誰か先輩が振ってるのを見て、「ああいう格好でふらふらしない格好になってこい」って言う。大熊(忠義)さんであるとか。

大熊氏は阪急黄金時代に主に2番バッターとして活躍した外野手。福本氏と1・2番コンビを組み福本氏の盗塁をアシストしたほか、外野守備でも福本氏を助けた“名サポーター”だ。
福本:
足を踏ん張ってスイングできる。僕は打つほうが非力でしたから、あんまり引っ張ってライト方向に強い打球を打つことはなかったんですけど、シーズンオフに鏡を見て「(大熊さんの)形はこうなんや」って練習した。それでキャンプに行ったら、コーンとライトへ入るんですよ。急に強い打球がライトへカーンと行くようになった。西本さんが、「お前、誰に教えてもろたんや」って聞いてきたから「監督ですよ。監督が『こういう格好で振れ』って言うたから、それをやってきたんですよ」って。でも、ずーっと信用してもらえなかったね。
徳光:
そうですか(笑)。福本さんはバットも特徴的ですよね。
福本:
10年くらいしてから太いのに変えた。あれはね、南海の藤原(満)さんが、野村さんから「このバットを使うなら試合で使う」と言われて、使い始めたものなんです。
徳光:
野村さんの発案なんですか。

福本:
それを見た大熊さんが、(近畿大学の)先輩後輩なんで「ちょっとそのバット貸せ」って使ってはったんです。それで貸してもらったら、重たいんですけど、振るんじゃなしにコンとミートするだけでいい打球がいくようになって。ライナーもいい打球。音もいいし。「これええな」と思って借りて試合で使ったんです。
徳光:
重いって、どのくらいの重さなんですか。
福本:
1キロくらい。最初はもっと重くて1キロ200グラムくらいあったんです。
徳光:
そんなにあったんですか。
福本:
僕が使うていろいろ変えてもらって1キロ60グラム。真弓(明信)もちょっとの間使ってましたね。現役終わりのほうで、若松(勉)も僕のバットを使ってた。「ちょっと貸してくれ」て言われたんで、「もう、お前にやるわ。使ってみ」って。「楽やな」って言ってましたね。
二盗より簡単!? 三盗はつまらない

福本氏が記録した1065盗塁のうち、二盗は915、三盗は149だ。
徳光:
福本さん、僕が不思議なのは、とにかく二塁盗塁はあんなにするのに、あんまり三塁盗塁はしなかったことなんですよ。これはどうしてなんですか。

福本:
いや、簡単すぎるから。
徳光:
ええっ。
福本:
三塁盗塁はほんま簡単ですよ。セカンドとショートは下がってるやないですか。だからリードが大きいですし。
徳光:
まあ、そうですね。
福本:
三塁がキャッチャーから近いって言うけど、その分リードで出てるし、それに、いいリズムでスタートが切れるんですよ。ピッチャーはランナーがセカンドにいくと、打たれることに神経がいくからね、あんまりランナーのことは…。
徳光:
なるほど。じゃあ、もっと三塁盗塁をしてれば1400くらいいったんじゃないですか。
福本:
そんなにはいけへんけど、まあもっと楽に1000個はいけたと思いますけどね。

徳光:
ホームスチールは。
福本:
1回だけです。1回だけしたんです。あとはもう危ないからやめたんです。
徳光:
危ないっていうのはどういうことですか。
福本:
サインと違ったらバッターが打つやないですか。ボールがこっちに飛んでくるんです。
徳光:
なるほど。
世界記録達成で報道陣に怒られた!?
福本氏が盗塁の世界記録を更新したのは1983年6月3日、西武球場での西武戦だ。1回表にフォアボールで出塁した福本氏はあっさりと二盗を成功させ、ルー・ブロック氏の持っていたメジャーリーグ記録に並ぶ。そして、9回表にも四球で出塁し次打者のセカンドゴロの間に二塁に進むと、三盗を成功させて通算939盗塁の世界新記録を達成した。
福本:
タイ記録は1回にやって、新記録は最後のほうでやったんですよ。やりたくないのに。
徳光:
やりたくなかったんですか。
福本:
負けてましたやん。ぼろ負けしてた。
この試合、9回に福本氏の打席を迎えた時点で11対6と阪急は西武に5点のリードを許していた。

福本:
1アウトやったのかな。ファーストにおって、「走れ」のサインが出た。こんなん1点取ったって負けやがな。監督が一生懸命コーチに指示しても、僕は「嫌や」言うて、手でバツ印を出して…。
徳光:
サインは「嫌」もあるんですか(笑)。
福本:
次の弓岡(敬二郎)がセカンドゴロを打ってくれた。それでセカンド行って、2アウトランナーセカンドですよ。
ショートは石毛(宏典)でセカンドは山崎(裕之)さんかな。とっとことっとこ牽制するんです。「点数開いてるから走らへん」って石毛に言うてるんですよ。それでも何回か牽制する。牽制の練習してんのかみたいな感じでね。「そんなら行ったるわ」って言うて。
徳光:
(笑)。

福本:
そしたら、新聞記者にめっちゃ怒られましたね。「なんで走んねん。『今日はお預け、タイ記録』でもう記事書いてる」って。
徳光:
なるほど。
福本:
僕はブスッとしてましたよ。負けと分かってる中で行って。あの盗塁は嫌やったですね。
徳光:
盗塁ってそういうものなんですね。負けが分かっているところで…。
福本:
「行け」は嫌ですね。
国民栄誉賞辞退「立ちションが…」発言の真相
1983年に通算939盗塁の世界新記録を達成したとき、福本氏は当時の中曽根康弘首相から国民栄誉賞を打診されたが辞退している。その際に、「そんなんもろうたら、立ちションベンもできんようになる。国民の手本にはならへん」と断ったと言われているが…。
福本:
僕は自分の行動にそういう賞をもらえる自信がなかったです。こんな賞、「いただきます」で簡単にはもらえませんよ。
徳光:
それは中曽根さんに伝わりましたかね。

福本:
まともに断ったところは記事には出ていません。マスコミは「立ちションできへんからいらん」だったんですね。そう書いたほうが面白いから、担当記者たちがドーンといった。担当記者とマージャンしますよね、終わってからラーメンを食って帰る。帰りに新聞記者もみんな一緒に連れションするやろ。それを新聞記者がドカーンと言ってしもたんや。
徳光:
それで出たんだ。オフィシャルでそれを言ったわけではない。
福本:
ないです、そんなもん言いませんよ。
徳光:
そりゃそうだよね
上田監督の言い間違いで引退決意!?

福本氏は1988年のシーズンを限りに40歳で引退した。オリックスへの譲渡売却が決まっていた阪急ブレーブスとしての最後の試合、10月23日に行われた山田久志氏の引退試合での上田利治監督の言い間違いがきっかけだったという。

福本:
わざと言い間違いをしたんでしょう。あの日は山ちゃん(山田久志氏)の引退ゲームって決まってた。
上田さんが「今年は優勝できませんでした」どうのこうのって喋っているうちに、「今日でやめる山田、そして残る福本」を「今日でやめる山田、福本」と言うたんです。それで、「え、え、辞めるの?」ってなったんです。
徳光:
福本さん自身は寝耳に水だった。
福本:
そんな話も全然してませんし、「えっ」ってなって。ほんで、「しゃーないな」と。
徳光:
ご自身としては続けようと思ってたわけですか。
福本:
もうちょっとしたかったですね。
徳光:
そうですか。
でも、福本さんのお話を伺っておりますと、世界記録を取れる選手になるなんて思ってもみなかったわけですよね。
福本:
本当にそうですよ。プロでレギュラーになるとはみんな思ってなかったし、自分でも思ってなかった。プロに行こうとも思ってないし、行けるとも思ってなかった。野球をするのが好きやったんよ。一生懸命やってね。ただそれだけですよ。
(BSフジ「プロ野球レジェン堂」 25/2/25より)
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