アルコールの多量摂取により、記憶障害となった息子を殺害した罪に問われた80歳の母親。一連の裁判では、長年にわたり、酒をやめさせようと努力したものの、「渇望」し続ける息子に、絶望した家族の姿が明きらかになった。

■事件概要

2025年12月8日、広島地裁の法廷に立った1人の女性。
殺人の罪に問われている広島市中区の無職・清原和子被告(80)だ。

起訴状などによると、和子被告は「こどもの日」でもある、2025年5月5日午後6時半ごろ、酒を欲しがる長男・剛さん(当時55歳)を広島市中区白島九軒町の川土手に連れ出し、睡眠導入剤と酒を飲ませて意識をもうろうとさせると、剛さんの首にロープを巻き付けて締め付けるなどして殺害した。

事件の後、和子被告は警察に自首して事件は発覚。

初公判で裁判長から起訴内容の認否を問われると、和子被告は「間違いございません」と認めた。

なぜ、自分の子どもを殺める(あやめる)ことになったのか。

■酒を渇望した息子 将来に絶望した母

和子被告の裁判は裁判員裁判となり、「被告人に対して、どのような刑罰を科すべきか」が争点となった。

検察の冒頭陳述では、事件に至るまでの経緯が示された。

〈検察の冒頭陳述〉
剛さんは2001年頃からタクシー運転手として働いていた。しかし、2019年頃からアルコール依存症の治療のため、病院に入院。以後、入退院を繰り返すようになり、やがて仕事もしなくなる。2025年1月末には、「アルコール離脱症候群」で昏睡状態となり、入院。一時は退院するも、重度の記憶障害が残り、再び入院することに。

同年3月、剛さんは医師から「コルサコフ症候群」という、回復が極めて困難な脳障害だと告げられた。同年4月、和子被告は医師に剛さんの外泊を要望したが、医師は「剛さんが酒を飲むことをひどく望むため、入院させるべきだ」と提案。この提案を和子被告は承諾しなかったため、結果的に剛さんの退院が決まった。

退院後、剛さんは和子被告に反抗的な態度を取ったり、「お酒を飲みたい」などと言って、興奮状態になることもあった。なんとか息子の飲酒を止めようとした和子被告だが、事件当日、意味不明な言動を繰り返す剛さんを見て、和子被告は将来に絶望し、殺害を決意した。

一方で、弁護側は和子被告の母親としての葛藤と苦悩を主張した。

〈弁護側冒頭陳述〉
剛さんは仕事を休んでは四六時中、飲酒を繰り返す生活を送っていた。
和子被告は「両親が亡くなった後、1人では生きていけない」と思い、何度も酒を飲まないよう説得したが、剛さんは、酒をやめなかった。「記憶障害が改善しない」と医師に告げられ、和子被告は息子の将来に絶望した。

事件当日、和子被告は「自分も一緒に死のう」と思い犯行に及んだが、自分が死ぬと夫が1人残されることを思い、警察に自首した。これらから、非常に同情するべき点があり、心中目的の犯行だったことを明らかにしたい。

■「酒を買わせないために 玄関に寝袋を敷いて 寝ることもあった」

被告人質問では、母の和子被告から見た剛さんとの家族としての日々が浮かび上がる。

和子被告は初公判時、80歳。7歳上の夫と23歳の時に結婚し、25歳の時、剛さんが生まれた。剛さんの幼少期について問われると和子被告はー

【清原和子被告】
「五体満足で生まれたことが嬉しかった。涙が止らなかった。剛は明るく周囲に気をつかう子で、私が60歳の定年を迎えた時、花束を渡してくれた」

剛さんの飲酒の量が増えるようになったのは2013年頃。和子被告はあらゆる手を使って、飲酒をやめさせようとしたと語る。

【清原和子被告】
「アルコールを飲ませないために、私ができることならどんなことでもしたいと思った。夜、酒を買いにいかないよう、玄関に寝袋を敷いて寝たこともあった」

それでも剛さんは酒をやめなかった。

【清原和子被告】
「将来、親が先に逝って、剛が一人になった時に孤独死にならないかという心配とやりきれない気持ちになった。一緒に死にたい、薬を飲んで、海に一緒に入ろうといつも思っていた」


■「あれだけ苦労した彼女を尊敬している」 夫がよせた妻への想い

12月9日。弁護人請求の証人尋問で、87歳になる和子被告の夫が証言台に立った。

弁護側の質問で家庭内の様子が明らかとなった。

〈弁護側の質問〉
【弁護人】
Q剛さんの身の回りのことは誰がやっていた?

【清原被告の夫】
「100%和子がやっていた。下着から上着まで衣食住、家内にすがっていた。(剛さんは)母が死んだら、その日に死ぬと言っていた。そのくらい母にすがっていた」

【弁護人】
Q両親が高齢で剛さんの将来のことが心配だった?

【清原被告の夫】
「先が見えない。私が『なんとか酒をやめる気はないのか?』と言っても、息子はやめようとする努力がない。私は諦めてずっと過ごしていた。和子は病院関係者や施設、精神病の人が働けるあらゆる所を探して、メモに残していた」

事件の直前、剛さんを退院させた際、和子被告は病院の医師に「覚悟」ともいえる強い決意を伝えたという。

【清原被告の夫】
「和子は病院に『5月2日に退院させてくれ、自分の目で病気におかされているのを確かめたい。それで結論を出す」と言った」

そして事件当日。剛さんの様子は普段と明らかに違った。

【清原被告の夫】
「(剛さんが)『酒を飲みたい』といって、自分の部屋を出たり入ったりしていた。私は止めようとしたが、息子は『飲みに行ってくるから』と言っていた。『今日は出るな。出たら死ぬことになるぞ』と止めたが、息子は『死んでもええんじゃ。飲みたいんじゃ』と。これが最後に交わした言葉」

夫は、和子被告にも剛さんを外に連れ出さないように諭したというが、この時、和子被告は押し黙ったままだったという。そして、和子被告は息子に手をかけたー

【弁護人】
Q最初に和子さんと面会したとき、何を話した?

【清原被告の夫】
「家内は『お父さん、ごめんなさい』と泣き崩れた。15分間の面会で私はかける言葉がなかった。『生きて出てくれよ』と力を込めて2、3回言った」

【弁護人】
Q和子さんを許せないですか?

【清原被告の夫】
「あれだけ苦労した彼女を尊敬している。彼女だからあれだけのことができた。彼女を非難することは一切ない。今後も一緒に暮らしていきたい。執行猶予を付けたい」

検察側は夫に、和子被告が剛さんを連れ出すのを「なぜ止めなかったか?」と質問したが、夫は「限界に達したと思って止めなかった」と答えた。

■被害者の生きる価値を否定した

12月10日。論告求刑で検察側は、「被告は被害者の死を望む発言を繰り返し、殺害方法を具体的に検討し、被害者が死亡するという願望を実現した」と指摘。

「剛さんが回復の見込みのない病にかかったことに悩みが深まった」という、和子被告の事情については争わないとしたものの、「被害者の希望や病院側の提案を拒み、特異な行動を見聞きし退院からわずか4日後に殺害を実行したことは、被害者の生きる価値を否定している。親族が被告の処罰を求めていないことや、警察に自首したことなど、全ての事情を考慮しても執行猶予付き判決では償えない」として、懲役8年を求刑した。

■涙ぐましい努力をし 極めて同情の余地がある

これに対し、弁護側は「被告は被害者のアルコール依存症が治るなら、どんなことでもしてやりたいと思い、酒を捨てたり、玄関で寝たり、涙ぐましい努力をした。しかし、被害者がアルコール依存症を治そうとすることはなく、アルコール依存症による認知症により、何度も会っている医師の顔を覚えられず、医師から『回復しない』と言われたことに絶望した」と主張。

そうした一方で、被告は仕事できないことを前提として、剛さんが生きていくために障害年金や成年後見人の手続きを進め、自宅で過ごせないと思った際に、施設に入れることも考えていたと指摘。

その上で、「事件当日、被害者が『こどもの日だから、酒を飲みたい』と被告のもとへ何度も酒を求める姿に絶望し、もう元に戻れない、楽にさせたいと思い、心中目的で殺害した。犯行は日が落ちる前に行っており、計画性も低く、極めて同情の余がある」として、執行猶予付きの判決が妥当だとした。

■来世で息子と会えると信じて償いたい

和子被告は、裁判長から「最後に言いたいことはあるか」と問われると、涙を流しながらこう答えた。

【清原和子被告】
「私は息子を殺める罪を犯しました。一緒に逝くと思っていました。息子には申し訳ない気持ちです。これからは息子の供養と周囲への償いをしながら、来世で息子に会えることを信じて生きていきたいです」

息子への償いと後悔の気持ちを口にした母親。裁判官、そして裁判員はどのような判断を下すのか。判決は2025年12月17日に言い渡される。

テレビ新広島
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