重い病気のため日常的に医療的ケアが必要な人とその母親が震災の語り部として、当時を語りました。医療的ケアの必要な人たちが災害時にどんな支援が必要なのか、「伝えることを諦めたくない」と、初めての語り部に臨みました。
宮城県名取市閖上。
仙台市に住む高橋桃子さん(28)と母親の実和子さん(51)です。この日、震災の語り部に初めて挑戦します。
桃子さんの母 実和子さん「(桃子さんに)緊張していますか?そうでもないですか?」
記者「お母さんは?緊張してますか?」
桃子さんの母 実和子さん「私はバクバクですよ…」
名取市閖上地区を拠点に震災伝承に取り組む、「閖上の記憶」が、月に2回開催している「語り部の会」。「誰でも」語り手になれます。
桃子さんの母 実和子さん
「医療的ケアっていう言葉、皆さん聞いたことありますか?」
桃子さんは「レット症候群」という難病を抱えていて、定期的なたんの吸引など医療的ケアが必要です。
震災では家族や自宅は無事でしたが、「伝えたいこと」があります。
桃子さんの母 実和子さん
「3.11の後は長い期間、ちょっとエレベーターが止まってしまって、外に出るのがなかなか難しくなりました。町内会で備蓄の食料はあったんですけれども、集会所に取りに行かなきゃいけないんですよね、20キロ以上のね。子供を抱っこして行ったら、また階段を上ってこないといけないわけでしょ。こう考えると、行かないっていう選択肢しかなくて」
高橋さん親子に語り部を依頼したのは、「閖上の記憶」の代表・丹野祐子さんです。丹野さんは、震災で夫の両親と長男の公太さん(当時13)を亡くしました。
その翌年から、語り部として多くの人に「命の大切さ」を語ってきましたが、3年ほど前から、「誰でも」語れる場をつくりました。
「閖上の記憶」代表 丹野祐子さん
「心の中に語りたい思いがあるのに、どうしても、『私は、大きな被害がなかったから』とか、『遺族ではないので』って、遠慮されてる人がとても多くいるなっていうことが、私自身も感じるようになってきて」
丹野さんは毎年3月11日に閖上で行われている、「追悼のつどい」で見かけていた、高橋さん親子に語り部を依頼しました。
「閖上の記憶」丹野祐子代表
「桃子さんが、私の亡くなった息子と同級生(同い年)だったんです。親同士も世代も近いですし、『あ、私の息子も生きてたらもうこの年なんだな』って考えると、なんか、桃子さんのことがすごく気になりまして」
桃子さんの母 実和子さん
「お話をしてほしいって言われた時に、『何を?』ってやっぱり思って、丹野さんから、『何を話してもいいんです』って、『その時に話したいことを話してもらえたらいいんです』っていうことだったので、それだったら、できるのかなと思って」
桃子さんは、震災発生当時、中学1年生。母・実和子さんと2人で暮らす仙台市太白区の自宅で被災しました。集合住宅の5階に住んでいましたが、エレベーターが止まったため、車いすの桃子さんは外に出ることができなくなりました。
桃子さんを1人にはできないため実和子さんも自宅から出かけられません。医療機器は無事で桃子さんの食料は備蓄がありましたが、実和子さんの食べるものがあまりなく、実和子さんは乾燥パスタを茹でずに食べて、しのいだといいます。
桃子さんの母 実和子さん
「私たちにしか語れないことがあるとは思っています。色んな状況の人がいて、その立場が違う人がいて、その人が各々喋る、各々語るっていうことは大きいかなって、意味としては大きいかなって思ってて、私たちには私たちにしかできないことっていうのは、きっとあるだろうなって思って」
医療の発展により、低体重で生まれたり難病があったりしても命を救える子供が増え、医療的ケアが必要な人は年々増えています。
県内にも、去年の時点で子供から成人まで792人いるとされています。
しかし、家族は日々のケアに追われ、外出する機会が少ないことなどから、その存在や必要な手助けが広く知られていない現状があります。
桃子さんの母 実和子さん
「存在を知ってもらうことが本当に大事で、もしかしたらさっきもお話したように、知ってくれていたら、備蓄の食料が311の時届いたかもしれないですよね。あとはそのスーパーとかガソリンスタンドに並べないっていうのも知っていたら、もしかしたら世界が変わるかもしれない、行政が動くかもしれない。そういうことを言ってなかったから、並ばなきゃいけない状況になっていたのかもしれないなと思うと、やっぱり知ってもらいたいなって思うんです」
防災の第一歩は「知ってもらうこと」。埋もれていた声が聞こえるように。
桃子さんの母 実和子さん
「私と娘が1人で『大変なんです』って言ってすぐ変わるとは思ってないんですけれども、それがいろんなところに、そういう声が上がって、みんながこうちょっとずつ変わっていったらいいなと思うので、伝えることを諦めたくないなって思っています」
高橋さん親子だから、語れる経験談に、聞いていた人たちには、多くの気づきがあったようです。
「閖上の記憶」丹野祐子代表
「『私なんか』っていう人がいっぱいいるんですよ、でも『私なんか』って声を上げていかないと、多分何も始まらないし、何も見えない。15年経って何も変わってないんだなってことが余計感じたので、これからもどんどん声を出して、ガンガン表に出てきて」
参加者
「もう本当にまだまだわからないことばっかりだなと。ざっくばらんに聞くことから始まるんじゃないか」
桃子さんの母 実和子さん
「知っていただく、それによって『こういうこともできるのかな』って思ってもらえるだけで十分。より自分事としてみんなが考えられるような時間とか、活動をやっていけたらいいかなと思っています」