俳優の大東駿介さんが、訪れた街のうんちくや、まだ地元住民にも知られていないような魅力を探す「発見!てくてく学」。
今回訪れたのは、大阪市北区の茶屋町です。
大阪・茶屋町は阪急大阪梅田駅の東側にある、最新のファッションやグルメの発信地として知られる大阪市を代表するお出かけスポット。
【大東駿介さん】「あれ?ここロフトですよね?」
まず最初に訪れたのは、かつて「梅田ロフト」があった場所。梅田ロフトは2025年4月に惜しまれながら閉店したばかりで、現在は阪神梅田本店に移転しています。
【大東駿介さん】「小学1、2年生くらいの時に、親戚のお姉ちゃんが高校生で彼氏できたから、『デートついてきてくれへんか?』って言われてついていったんです。その彼氏がこのロフトでスパイダーマンの人形を買ってくれたんですよ。急に思い出した。甘酸っぱ!」
■茶屋町の名前の由来は意外な“植物”
歩いていると、大東さんもお世話になっている「梅田芸術劇場」が見えてきました。
【大東駿介さん】「宝塚の方がやっていると(外の道が)楽屋口で花道ができるんですよ。僕が通るとみんなスッと目をそらす(笑)」
ちなみに、このあたりは江戸時代から「あるもの」が有名な町だったんですよ。
【大東駿介さん】「そのころからお芝居とかじゃない?」
違います!ヒントは梅田芸術劇場前のモニュメントにありました。
「菜の花や 月は東に 日は西に」与謝蕪村の俳句が書いてあります。
なんと茶屋町は、江戸時代から菜種油の原料となる「菜の花」が街一面に広がっていたのです。
そして、その美しい菜の花畑をゆっくりと眺めるためのお茶屋さんが立ち並んでいたことから「茶屋町」という名前が付いたとされています。
【大東駿介さん】「美しい菜の花畑が広がっていて、そこを見物するためにお茶屋さんがいっぱいできたんや。そういうことやったんすね」
■明治時代にあった高い塔の正体は?
さらに、明治時代にはこんなものも…。なにやら高い塔のような建物が見えます。
【大東駿介さん】「展望台?菜の花を上から一望するための展望台」
果たして正解なのか、大東さんは謎を解き明かしに聞き込みすることになりました。
■老舗カレーハウスの“激安”値段設定に大東さん「おかしい!」
聞き込みの途中にふらっと立ち寄ったのは茶屋町の高架下にある「カレーハウス ケーツー」は、1990年からこの場所に店を構えています。
創業当時から変わらない昔ながらの欧風カレーが人気のお店です。
なんと、どんなカレーも600円!
【大東駿介さん】「値段安すぎません!?計算するの面倒くさくなった?」
大東さんは「スパゲティカレー」という名物メニューを味わいました。
このメニューはご飯の代わりにスパゲティが下に敷かれているという独特のスタイルです。これもトッピングのチキンカツ込みで600円!
【大東駿介さん】「おかしい!スパイシー。色んな意味で美味しい。なんでこれまで来なかったんや」
■茶屋町は昔“遊園地”だった!
「ケーツー」の店主に、写真について聞くと、“りょううんかく”という建物ではないかとヒントをもらいました。
店主に教えてもらって訪れたのは「綱敷天神社(つなしきてんじんしゃ)」。綱敷天神社はなんと約1200年前から茶屋町を見守ってきた氏神様です。
街のことを知りつくしている禰宜の白江さんに聞くと、あの建物は「凌雲閣(りょううんかく)」だと判明しました。
凌雲閣はある施設のシンボルタワーだったのです。
明治中期にこの茶屋町には「有楽園」という大きな遊園地が広がっていました。3900坪にわたる園内にはボート池や温泉、飲食店などがあり、大阪市を代表するアミューズメント施設として賑わいを見せていたそうです。
その遊園地のシンボルとして建てられたのが、当時の最新建築技術を詰め込んだ9階建ての展望台「凌雲閣」だったのです。
【大東駿介さん】「こういうでっかい建造物があったってのは全く知らなかったです」
白江さんによると、この凌雲閣は、建てられた当時(明治24年)は日本一の高さを誇っていたそうです。
しかし、翌年には東京浅草に同じ「凌雲閣」という名前の建物が建ち、日本一の座を譲ることになったとのこと。
■“菜の花”が茶屋町の始まり!?
ちなみに、これらの資料は神社の持ち物ではなく、白江さんが個人的に集めたものなんです。
【白江さん】「氏神様はその地域にとっての歴史の宝箱。歴史をしっかり残さないといけない思いで残しています」
そんな白江さんのとっておきのお宝は「生写真」「有楽園」で販売されていたとされる“鶏卵写真”です。
凌雲閣の下で作業をしている人たちが写る写真の色を分析してもらったところ、黄緑色が。やはり、茶屋町は「菜の花畑」だったのです。
凌雲閣は、菜の花畑を見渡すために建てられた可能性もあるそうです。
【大東駿介さん】「菜の花めっちゃ重要やん!いまでこそこれだけ大都会になってますけど、ある意味始まりですね」
■”茶屋町”創業のヤンマーの歴史
次に大東さんが訪れたのは、ヤンマーの本社ビル。
【大東駿介さん】「ど真ん中にあったんや!全然知らんかった。ヤン坊、マー坊ですかあれ?僕の知ってるヤン坊マー坊じゃない」
ヤン坊、マー坊は現在で9代目!いつの間にかシュッとしてたんですね。
ヤンマー本社ビルでは、都会とは思えない驚きのものが作られているそうなんです。
ヤンマーは1912年に茶屋町で創業。創業者の山岡孫吉が大阪でガス発動機の修理・販売を行ったことが始まりでした。
1933年には世界で初めてディーゼルエンジンの小型実用化に成功し、その名は世界的に広まっていきました。
現在は、特に農業や漁業などの生産者を支援していて、日本の「食」を支える製品作りや活動も行っています。
■都会のど真ん中に約20万匹のミツバチが!
ヤンマー本社ビルの12階食堂の吹き抜けにあったのは、なんと約20万匹のミツバチが暮らす養蜂場でした!
【大東駿介さん】「おる!めちゃくちゃおる、おもしろ!」
ミツバチは自分の家を覚えていて、毎日約2キロの範囲を飛び回って蜜を集めるんだそうです。
この活動に携わるのは「梅田ミツバチプロジェクト」代表・小丸さん。
小丸さんは世界の都市養蜂技術を現地で視察し、ミツバチたちにとってストレスの少ない環境を徹底的に研究しています。
■季節によって味が全く違うハチミツに大東さん感動
【梅田ミツバチプロジェクト 代表・小丸さん】「都会の中で育つ花って、基本的に農薬使わないじゃないですか?ピュアな蜂蜜がとれるんです」
実は蜂蜜は同じ産地でも、その時期に咲いている花によって味や色が違います。
5月に採れた蜂蜜はバラなどが入っていて、フローラルで爽やかな味わい。一方、7月に採れた蜂蜜はコクがあり、深みのある味わいでした。
【大東駿介さん】「全く別物!食べ比べしたら、いかに働きバチが季節を運んで来てくれるかっていうのも分かりますね」
さらに、ヤンマーと小丸さんは都会に住む子供たちへの食育活動として、ミツバチを間近で見られる勉強会もこの養蜂場で行っているとのことです。
大阪の一等地、梅田茶屋町で昔からある企業や商店が、この街らしさをどのように残し、現代に新しい形として繋いでいるかを感じた大東さんでした。
(関西テレビ「newsランナー 大東駿介の発見!てくてく学」2025年10月23日放送)