今年6月、全国に先駆けて高知県須崎市が画期的な取り組みを始めた。1歳未満の乳児に対し、1回最大90万円の感染症予防薬を無料投与するという。
乳児が感染すると重症化しやすい『RSウィルス感染症』。2歳までにほぼ100%が初感染し、細気管支炎や肺炎といった重い症状の恐れがある呼吸器系の感染症だ。
無料投与するのは昨年発売の新たな予防薬『ベイフォータス』。重症化を抑制する抗体医薬品で、従来の予防薬と比べて効果の持続期間が長く、1シーズン1回の投与で済む。
非常に有効だが、保険が適用されるのは基礎疾患などがある乳児のみ。健康な赤ちゃんは90万円を支払わなければならない。それをなんと須崎市は、1歳未満の全ての子供に対する無料投与を実現させたのだ。
『ベイフォータス』の薬価は1回90万円。一方、日本より先に発売されているアメリカでの薬価は1回約415ドル(約6万2千円)で、10倍以上の開きがある。
なぜ日本の薬価がこんなに高額なのか。そして須崎市はなぜ無料投与を実施できたのか。関係者を取材した。
薬価「90万円」はこうして決まった
薬価はどうやって決まるのか。厚生労働省の担当課によると、『類似薬効比較方式』で決めるのだという。
これは、「同じ効果を持つ似たような薬がある場合はそれに合わせる」ということ。ベイフォータスの薬価は、既存の『シナジス』との比較で決まった。
シナジスは月1回の投与を8回ほど繰り返す注射薬。1回の薬価が約10万円なので、平均80万円ほどになる。これに合わせたからベイフォータスの90万円は妥当だということなのか。
厚労省は「(日本の10分の1以下の)アメリカの薬価について、把握はしているが、国によって制度が異なるので」との回答だった。
医師が指摘する「高すぎる薬価」の背景
ベイフォータスの薬価について、医師の立場から疑問を呈するのが谷口医院の谷口恭院長だ。
【谷口医院 谷口恭院長】
薬価を従来からある類似薬に合わせるのは理にかなっていると思います。ただし、合わせる薬の薬価が妥当なのかどうか。
ベイフォータスでいうと、比較対象のシナジスの80万円という薬価は本当に適正なのでしょうか?実はシナジスは2002年の発売から23年間、薬価が変わっていないのです。

新薬の開発には莫大な費用と時間がかかります。そして後に類似の新薬やジェネリック医薬品が出たりすることで、価格が下がっていきます。
シナジスは発売当初は非常に画期的な薬でしたから、80万円という高額な薬価も納得がいきました。しかし20年以上もそのままの価格が維持されているのはなぜなのでしょうか。薬価改定は、原則として2年ごとに行われるはずなのですが…。
ベイフォータスの有効性はかなり高く、米疾病対策センター(CDC)のデータによると、RSウィルスに感染した小児の入院を防ぐ確率は90%。重症化を防ぐ確率は81%(投与後150日まで)です。
乳児にとって高い効果が期待できる予防薬ですが、現状、自費で投与する人はほとんどいないと思われます。
実際にアメリカでは約415ドル(約6万2千円)で販売している訳ですから、同じ薬が日本で90万円というのは疑問を感じざるを得ません。
(谷口医院 谷口恭院長)
全ての子供に無料で…突破口は自治体との連携
ベイフォータスの製造販売を行う製薬会社にも話を聞いた。
【サノフィ株式会社の担当者】
ベイフォータスは、すでに世界20か国以上で、全ての乳児に対する『定期接種』のような形で導入されています。
日本でも希望する子供たち全員への予防投与を目指していますが、現在の1回90万円という高額な薬価もあって、保険対象とならない、ほとんどの子供たちが受けられていません。
薬価は国の制度ですから、国のルールに乗っ取った形に従わざるを得ません。しかし、保険の対象に限定した形ではなく、全ての子供たちがRSウイルス感染症による重症化から守られるよう『定期接種化』することで役立てることはできます。
定期接種化は国が様々なプロセスを経て決定し、市区町村が主体となって実施するものですが、国の手続きにはどれくらいの時間がかかるか明確ではありません。
保険対象ではない多くの子供たちもベイフォータスを接種できるように、自治体に対してアプローチを始めました。
全国延べ500近くの自治体に連絡をし、最初に手を挙げてくれたのが須崎市だったのです。
須崎市の取組みを受けて、他県を含めた自治体からの問い合わせが増えています。この秋からは、徳島県の鳴門市で同様の取り組みが始まる予定です。今後も連携を増やしながら、国としての定期接種化を目指していきたいです。
安心して子育てできる街へ
須崎市は、2025年度、ベイフォータスの購入費用として350万円を予算計上。対象人数を90人前後と想定しているが、始まって2カ月で18人が接種を受けたという。「安心して子育てができる街づくり」を目指し、今後も前向きに取り組んでいく予定だ。

【谷口医院 谷口恭院長】
今はRSウィルス感染症に対する確立された治療法はありません。そのため、重症化リスクを軽減させるベイフォータスは、乳児にとって非常にありがたい予防薬です。医師としては「できるだけ多くの乳児に投与したい」と考えます。
須崎市の取組みは、住民にとって、とてもありがたいことですし、今後、他の自治体にも広がることを期待したいです。一番良いのは定期接種のワクチンと同様の扱いにして、全ての子供たちが受けられるようになること。効果が得られることがはっきりしているので、希望する保護者も多いのではないでしょうか。
今、高額療養費の見直しなど、社会保障費に関する議論が展開されています。しかしその前に、ベイフォータスやシナジスのような不思議な薬価設定を見直すべきではないかと思います。
(谷口医院 谷口恭院長)