あす8月9日は、長崎原爆の日です。
修学旅行で平和学習を行うことがいまや当たり前になっていますが、その継承活動のきっかけとなった長崎の被爆者の思いに迫ります。

広島市中区の平和公園。
原爆資料館の入館者が過去最多となる中、大勢の修学旅行生も、平和学習に訪れています。
その中には被爆者の証言に耳を傾ける時間を設ける学校も多くあります。

広島を訪れ、平和学習をするその礎を築いた学校が東京にあります。

(1978年)
「今まで写真とか文章でしか知りえなかったものが実際にこの目で見られた」

今からおよそ50年前の映像です。
中学生が平和学習をしに修学旅行で訪れたことがニュースになっていました。
山陽新幹線が開通し東京から広島への移動時間が大幅に短縮したことがきっかけでした。

当時、全国に広がる先駆けとなった学校が東京にあります。
そのきっかけは?

その学校は、東京都葛飾区の上平井中学校。
手がかりを探しに学校を訪ねました。

【葛飾区立上平井中学校・二階堂 裕文副校長】
Q:資料とか当時のことがわかる人は?
「そういうものは残ってはおりませんね」

古い資料を探したものの見当たらず、知っている人もいませんでした。

そこで訪ねたのは…
上平井中学校のある葛飾区の歴史を伝える博物館です。
学芸員に聞いてみると。

【葛飾区天文と郷土資料館 学芸員・小峰園子さん】
「大変恐縮なんですが、私もまったく存じあげなくて」

しかし、自分たちも知るべきことだからと調査をしてくれました。
当時の先生が見つかりました。

【上平井中学校 元教師・柴田廸春さん】
Q:すごい量の資料があるんですが、これはいったいどんなものなんものですか?
「これは全部ヒロシマ修学旅行にかかわるものです。生徒の感想文です」

ヒロシマ修学旅行を推進した教師の一人柴田さんは、当時のことを教えてくれました。

【上平井中学校 元教師・柴田廸春さん】
「中心だったのは江口保さん。この人自身が被爆者ですから長崎の」

江口保さん。
広島へ行き、被爆者の話を聞く平和学習の礎を築いた教師です。

(1945年8月9日11時2分 長崎で原爆がさく裂)

江口さんは、17歳のとき、爆心地から800メートルで被爆しました。
長崎県立瓊浦(けいほ)中学校(現在の長崎西高)の中庭にいた江口さん。
原爆投下の記憶はありません。
気づけばたくさんの傷を負いやけどをしていました。
命は助かったものの目の前で大勢の人が亡くなった衝撃。
被爆証言集に活動の原点が記されていました。

「再び被爆者をつくらぬ」
(原子野に樹々よ-葛飾区被爆者の証言とその歩み:葛飾区被爆者の会編)

東京で教師になった江口さんは、被爆体験を生徒に伝え始めます。

「平和に生きるための話はすべての教科の根幹」
「何としても生徒たちに原爆資料館を見学させ、じかに被爆者に接しさせてやりたい」
『原爆碑を洗う中学生 被爆教師江口保さんの平和教育』より
(出版:草の根出版会、著:小林文男)

新幹線の開通をきっかけに、ヒロシマ修学旅行を開始。
こだわったのは、学徒動員で亡くなった同世代の慰霊碑前で被爆者やその親に直接証言をしてもらうことでした。

当時、今のような語り部はおらず、被爆者に手紙を書き、会って依頼をしました。
江口さんたちの熱心なお願いで語り始める被爆者が増えていきました。
こだわったのは事前学習です。
生徒主導で学び、講演会も企画しました。

被爆証言に協力した一人、元原爆資料館館長の高橋昭博さん。
2011年に亡くなった後、資料館に寄贈された高橋さんの資料には、生徒と高橋さんとの長年に渡る手紙のやりとりがたくさん残されていました。

夏休みに平和学習をするため高橋さんの家に泊まりがけで訪れた生徒もいました。
青柳史真さん。

【青柳史真さん】
「自分が思っていたよりももっと原爆が恐ろしいと思いました」

手紙を書いた青柳さんです。
現在は・・・教師をする傍ら自宅で文庫を開いています。

【牛山史真さん(旧姓青柳)】
Q:牛山さんにとって江口先生はどんな存在ですか?
「やっぱりきっかけを作られた、本当に一人から初めて教師集団を動かして子供たちのその後の生き方を変えてしまうすごい力をもった先生だった」

中学時代の経験を通じて、その後の人生の中でも平和の発信を続けてきました。

【牛山史真さん(旧姓青柳)】
「今、私にできることは子供たちに本を通じてこういうことがあったんだねと伝える。
小さなことでも自分ができる範囲でできることをやっていけばいいのかなと思いました」

ジャーナリストや教師になり、平和に貢献する同級生もいて、ヒロシマ修学旅行は生徒の進路に影響を与えました。

小峰さんは調査を続け、当時の教師や江口さんの長女にも聞き取りを続けていました。

【葛飾区天文と郷土資料館 学芸員・小峰園子さん】
「やっぱりこれはみなさんに周知して、共有して、伝え方、継承の仕方なども踏まえて伝えていくことが重要かなという風に非常に感じました」

江口さんは、その後、定年を前に広島に移り住み、手弁当で全国から訪れる学校の平和学習の世話をしました。

6月、広島を訪れた小峰さん。
「上平井方式」と呼ばれた修学旅行の平和学習が全国1000校、20万人を超える生徒に広がったことを知りました。
今、小峰さんは、平和の思いを地元の子供たちへ伝えようとしています。

「再び被爆者を作らない」

一人の被爆者が伝えたかったメッセージは、その命が尽きようとも今もつながっています。

テレビ新広島
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