80年前、空襲で多くの子どもの命が奪われた大分県津久見市の保戸島。25日は犠牲者の死を悼む慰霊祭が行われました。
80年前の1945年7月25日、当時、旧日本海軍の軍事施設があった津久見市の保戸島はアメリカ軍の空襲を受けました。
落とされた爆弾のうちの1発が当時の国民学校の校舎を直撃し、子どもや教員計127人が死亡し、75人が重軽傷を負いました。
◆児玉直輝記者
「空襲から80年が経った25日、島の寺では犠牲者を悼む慰霊祭が行われています」
海徳寺では毎年、慰霊祭が行われていて25日は80人以上が参加し、亡くなった人たちを悼みました。
◆慰霊に訪れた人は
「120何人も一度に(亡くなった)ということを知らないでいた期間が長くて、知ってからも中々ここに来れなかったので、 きょう話を聞けて、SNSとか上手にできない世代だけど広めていかないといけないと思った」
◆保戸島中学校の生徒は
「この戦争の恐ろしさや悲惨さを忘れないようにしたい」
また爆弾が落とされた国民学校の跡地である保戸島小中学校には慰霊碑が建てられていて、訪れた子どもたちが黙祷を捧げていました。