【スタートアップ】キッチハイク(東京)は保育園留学事業を全国で展開している。原点は「世界一素敵な過疎のまち」を目指す檜山管内厚沢部町。この町に3年前、移住した山本雅也CEOに地域の豊かさと、地域から変える未来について聞きました。 BOSS TALK#104
――保育園留学はどういうものですか。
「保育園留学は地域に1~3週間、家族で滞在し子どもが保育園に通うプログラム。この事業は全国の約50地域まで広がりました」
――子どものころはどんなお子さんでしたか。
「友達と遊ぶのが好きで、いつもなにか楽しいこと、おもしろいことをしようと考えていました」
世の中を良くし、変えるには仕組みを作る側に移ろうと、広告マンを辞めて創業
――社会人に向けて、どういった道を選ばれましたか。
「広告会社の博報堂に入りました。5年間ほどで働き、広告業やクリエイティブなことは分かってきましたが、例えば、選挙に行こう―とメッセージで訴えても、世の中の人はなかなか選挙に行かない。世の中を良くし、変えていくには仕組みが必要だと思い、仕組みを作る側に移りたいと思い創業しました」
――創業されて、どういった事業を始めましたか。
「料理を作る人と食べる人をマッチングするサービス『キッチハイク・ドットコム』です。食でつながる体験の価値を確かめようと、1年半かけて、世界の計120の地域を訪ね、『こんにちは。ご飯をつくって』と頼み、人の家のご飯を食べ歩いてみました。これを社会実装できれば、こんなに素晴らしいことはないと確信してリリースしましたが、2013年のスタート当初は利用者が全くいませんでした。ところが、東京で、料理を作りたい人と食べたい人のマッチング、例えば、渋谷に住む方が目黒のおうちに行って一緒に作って一緒に食べる。そうしたニーズが出てきて、2016、17年ごろから、利用者がぐっと伸びました。どういうケースが芯を食っているのかは、本当に利用者の方に教えてもらいました」
厚沢部町の保育士の本気で向き合う姿に感動し、保育園留学を事業化
――保育園の話は一切出てこないですね。
「キッチハイク・ドットコムのサービスは新型コロナウイルスの流行前までは行っていました。不特定多数の人が食卓を囲むのは社会を良くしようとして、やっているのに、コロナ禍では社会の迷惑になると思って2020年3月1日、サービスをストップしました。感染が拡大し始めたころ、厚沢部町から、誕生から100周年(2025年)を迎えるメークインについて、ブランディングやプロモーションを依頼されました。インターネットで情報を集めていたら、『認定こども園はぜる』の(広大で自然を生かした)園庭の写真がバーンと出てきて、雷が落ちてきたように心を打たれ、その半年前に生まれた娘を通わせてあげたいと思いました」
――3週間、保育園留学をされてみた感想は?
「玄関から光が降り注ぐ神々しい感じがあって、廊下はすごく広く、走ることができる。子どもが自由に創造性、主体性が引き出される設計になっていて、娘も本当に思いっきり遊ばせてもらって、どんどん変わっていきました。施設もすばらしいのですが、留学してすごく感じたのは保育士先生方の本気度です。子供に対し、本気で向き合ってくれ、主体性や創造性を引き出そうというところに感銘を受けました。滞在中に、厚沢部町役場の係長の木口孝志さんとランチをしたり、飲んだりしました。そのやり取りの中で、厚沢部町も子どもが減り、2019年開園の『はぜる』(定員120人)の入園者も減る中、保育園留学は地域の未来を変えられるとの思いが募り、事業化を決めました」
――受け入れる町の人は保育園留学が広がる現状をどういうふう思っていますか。
「厚沢部町はメークイン、アスパラ、まいたけを作るなど、一次産業がメーンのまち。観光資源がないので、見慣れない子育てファミリーが道を歩いていると、『保育園留学ですね』と、温かく迎え入れていただいている。すごくありがたいですね」
スタッフは全国各地に 地域にとどまり、リモートで仕事ができる働き方を推進
――スタッフの方はどれくらいいらっしゃいますか。
「社員40名ほどで、業務委託のメンバーを合わせると70名ほどになります。キッチハイクではパーパス(事業展開の目的)として『人生を、謳歌しよう』と呼びかけています。本当はこうしたいけど、できないことが多くある。特に子育てをしていると、制限がありますが、あきらめずに自分たち、家族の人生を謳歌していこうと言っています。働き方では、地域に住みながらリモートで働く『地域リモート』を推進しています。地域内の雇用がないと、仕事の多い都会に引っ越してしまいす。逆転の発想で、地域に根付きながら仕事ができれば、地域にとどまることができる。都会から地域に引っ越して働くことができると思います」
――みなさんのお住まいはバラバラですか。
「東京圏のメンバーは大体20~30名ぐらいで、残る50名ほどはいろいろな地域に住んでいます。厚沢部町には4名います」
――CEO自身が厚沢部町に住んでいますね。
「(移住から)もう3年経ちます。東京にもオフィスはありますが、半年に1回ぐらいしか行きません。なるべく娘と一緒にいるように心掛けています」
「厚沢部町、北海道のための事業は将来、世界で必要とされる」
――ボスとして大事にしていることは?
「ビジョン2050『地域を未来の先駆者へ』を掲げています。企業の中期経営計画は2、3年など数年先までの計画ですが、地域や日本の未来を考えると、2050年の視点から考えることが大切だと思います。数年先から逆算してやるのか、数十年先から逆算してやるのかで、かなり違います」
――この先の北海道での事業の見通しは?
「保育園留学が進化し、思いもよらぬポジティブな現象やスタイルが生み出されると期待しています。厚沢部町と北海道のおかげで、わが家、特に娘の人生はすごく好転しました。厚沢部町や北海道のためにやることが、ゆくゆくは日本全体、もしかしたら海外の先進国、地球全体に対して必要な事業になるのではないかと思っています」
――保育園留学は北海道が抱える問題の解決の糸口になりそうな気がしました。