発災から「7年」を迎えた西日本豪雨。
被災地の今を取材しました。
今年も鮮やかなヒマワリが咲いた熊野町の被災地…。
あの日から「7年」が経ちました。
【当時保育園の年長】
「なんか水があふれ出していてそこに向かおうとした瞬間、後ろからお母さんが服を引っ張ってきて、引っ張った瞬間土砂が流れてきたから、それがなかったら巻き込まれていたのかなと怖かった」
熊野町川角の住宅団地「大原ハイツ」。
あの日、12人の尊い命が奪われました。
この週末、献花台の前には犠牲者を悼む多くの人が訪れ、その一人ひとりが記したメッセージが並べられていきます。
犠牲者に寄せる思いや未来への誓い…。
キャンドルに火が灯されていきます。
【被災した団地に住む人】
Q:息子と西日本豪雨について話すことは
「しょっちゅう話しますね。梅雨になるにつれて不安な気持ちが大きくなるんですよ7年経っても…防災グッズも集めてここに置いておくよとか、安心できる形を作っている」
そして…。
「黙とう!」
団地に土石流が襲った午後8時ごろに黙とうがささげられました。
熊野町では5年間の復興計画が終わり、防災交流センターや避難路など防災面が強化され、災害前と同じような日常に戻ったとされる一方、被災住民は災害の風化を懸念しています。
【大原ハイツ復興の会・小川直明代表】
「時間の経過とともに記憶はだんだん薄れていくんだと思うが、被災をしていない人たちに被災の怖さを伝えていかないといけないなと思う」
【広島県警危機管理課・佐藤賢課長】
「いまだに5名の方が行方不明です。本日はわずかな手がかりでも発見すべく全力を挙げて取り組んでいただきたい」
災害関連死を含む153人が犠牲となり5人の行方が今もわかっていない西日本豪雨。
4人が犠牲となった広島市安芸区の上瀬野地区には7年の節目に災害碑が建立されました。
【被災者】
「これを機にみんなの絆が一層強くなったらいい。7年になるんですがホタルが初めてこの川に帰ってきてものすごい感動した」
復興とともにあの日の教訓をいかに後世に繋ぎ防災意識を高めるか…。
7年経ったいま、多くの地域が抱える「課題」です。