熊本大空襲から1日で80年です。当時を知る人が少なくなる中、熊本大空襲につながる熊本市で初めての空襲を経験した女性が公の場で初めて証言しました。
【中原理菜アナウンサーリポート】
「大甲橋の近くには熊本大空襲の慰霊碑があります。80年前のきょう、熊本市内は
火の海となりました」
1945年昭和20年7月1日深夜から翌日の未明にかけての『熊本大空襲』。
熊本市の市街地は焦土と化しました。
1日『平和憲法を活かす熊本県民の会』が開いた集いで証言した熊本市西区花園の
柿原地区に住む津下 環さん。熊本大空襲前年の11月21日、市内が初めての空襲を受けた『柿原空襲』の経験者です。
【津下環さん(90)】
「ヒューという音がして〈何だろう〉と外に出たら(爆撃で)家が倒れた。
空襲のときは怖かったばかりで…」
当時9歳だった津下さんの自宅近くをB29、1機が爆撃。コメを積んだ台の下に隠れ、一命をとりとめました。
しかし、爆撃を受けた家の中では祖母が5歳のいとこを抱き、2人とも亡くなっていたといいます。
柿原空襲の後、熊本への空襲が徐々に激しくなっていきました。
【津下環さん】
「私もいつまで生きているか分かりません。こんなことは二度とあってはならない」
「戦争の本当の恐ろしさを伝えたい」
公の場で初めて戦争体験を語った津下さんの思いです。