戦後80年ーつなぐー
戦争を体験した人が減るなか、富山大空襲を3世代で語り継ぐ親子が、富山での資料館の設置を模索しています。
親子は沖縄慰霊の日に合わせ現地を訪れ、戦争の記憶がどのように受け継がれているのか学びました。
同行した前田記者の報告です。
今月22日。
梅雨が明け、本格的な夏を迎えた沖縄。
南部に位置する糸満市の平和祈念公園にある親子の姿がありました。
西田亜希代さんと娘の七虹さんです。
富山大空襲を体験した父親とともに、3世代で記憶を語り継ぐ活動に取り組んでいます。
2人が訪れたのは、平和の礎。
国籍や敵味方に関係なく沖縄戦で亡くなったすべての人の名が刻まれています。
この日は、激しい地上戦となった沖縄戦で、組織的な戦闘が終結したとされる「慰霊の日」の前日。
多くの遺族が訪れていました。
仏壇にある人たちの名前があるでしょ
(西田さん親子花を手向けて)
*富山大空襲を語り継ぐ会 西田亜希代さん
「大切に弔われているその感覚が伝わってくる」
*富山国際大学付属高校2年 西田七虹さん
「家族の間でも戦争で亡くなった先祖を敬っている雰囲気が感じられて、その文化はすごく素敵だと思った」
那覇市に住む、81歳の女性。
沖縄戦で亡くなった父親の記憶はありませんが、毎年訪れる「平和の礎」から家族のつながりを感じ取っています。
*富山大空襲を語り継ぐ会 西田亜希代さん
「80年経った今年、どんな思いでいますか」
*沖縄戦で父親を亡くした女性(81)
「父親が分からないから思い出も分からない。元気でいるからいつもありがとうと感謝している」
戦争で父親を亡くした88歳の女性。
今年が最後かもしれない。
そう思い、親子3世代でこの場所を訪れました。
*戦争で父親を亡くした女性(88)
「戦のない世の中にしてください。今からを生きる子ども孫たちに苦労させたくはない」
沖縄戦がはじまったのは80年前の1945年3月。
アメリカ軍は、日本本土攻略に向けた足がかりとして54万人あまりの兵力で沖縄本島へ押し寄せました。
対する、10万人の旧日本軍は、兵力を補うため住民や若者を防衛隊や学徒隊として召集。
3カ月以上続いた戦闘で犠牲となった20万人余りの死者のうち、一般市民は9万4000人。
当時、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされています。
そんな沖縄でも、戦後80年がたち、激しい地上戦の面影は薄れてきています。
西田さん親子が向かったのは、那覇市内の中心市街地、おもろまち。
かつてアメリカ軍がシュガーローフと呼んだ丘で、その頂きを巡って熾烈な攻防が繰り広げられ、わずか1週間のうちにアメリカ軍だけで2600人を超える死傷者が出たとされる場所です。
現在、周辺は再開発が進み、過去の戦闘について伝えるのは、展望台の下にひっそりと置かれた案内板だけです。
*富山大空襲を語り継ぐ会 西田亜希代さん
「まさかここだとは思わなかった。新しい街で近代的なので、シュガーローフがここということにびっくり」
*富山国際大学付属高校2年 西田七虹さん
「歴史や起きたことは誰かが努力して伝えたり、広めないと忘れてしまう人もいる」
一方で、沖縄には、各地に戦争の悲惨さを伝える施設があります。
看護要員として動員された女学生136人が亡くなったひめゆり学徒隊について伝えるものや、県立の平和祈念資料館。
また県立博物館では、沖縄が長い時間をかけて育んだ文化を戦争が破壊した歴史を伝えています。
戦災文化財のコーナーに展示されていたのは、琉球王国時代、神殿の門に掲げられていた扁額です。
丸く削られているのには、ワケがあります。
*富山大空襲を語り継ぐ会 西田亜希代さん
「くり抜いてトイレにされたんだって」
*富山国際大学付属高校2年 西田七虹さん
「えっ」
貴重な「物言わぬ語り部」。
西田さんは、大空襲の被害を受けた富山でも、常設の資料館の設置を望んでいます。
*富山大空襲を語り継ぐ会 西田亜希代さん
「子どもたちが学べる施設の中に戦争が織り込まれているのが各地みて共通していて富山でもあればいいなと思う」
23日、慰霊の日。
西田さん親子が、今回沖縄を訪れた一番の目的、それは、沖縄全戦没者追悼式への参列でした。
*富山大空襲を語り継ぐ会 西田亜希代さん
「ものすごい人の数でびっくり。子ども連れから学生さんから県をあげて慰霊祭を迎えていると感じる」
*富山国際大学付属高校2年 西田七虹さん
「この暑さにも関わらず、子どもからお年寄りまで来ていて、この日はすごい特別だと感じる」
犠牲者を悼み、平和を強く願います。
80年たっても癒えることのない深い悲しみ。
その記憶は、親から子、子から孫、次の世代へと受け継がれていきます。
*富山大空襲を語り継ぐ会 西田亜希代さん
「沖縄戦を子どもたちに語り継いでいこうという一般市民の思いが伝わってきた慰霊祭だった」
*富山国際大学付属高校2年 西田七虹さん
「すべての世代に戦争のことを知ってもらう必要があると思う」
「この輪を広めるための活動がもっと必要だと思って、同年代の人たちにどう輪に入ってもらうか、そこが大事かなと思う」
平和の礎や追悼式を訪れ、戦争を知らない子どもたちへ、おじいちゃんおばあちゃんや親の世代が、80年前に何があったのか伝えている光景が印象的でしたね。
富山でも世代を超えた記憶継承の取り組みが、求められています。