イギリス・ロンドンのヘイワード・ギャラリーで今月9日、日本のアーティスト奈良美智氏の大規模回顧展のスペシャルプレビューが開かれた。
「世界で最も影響力ある100人」にも選ばれた奈良氏のイギリス初の大規模回顧展とあって、会場にはイギリス・アート界の著名人やコレクターが多数訪れ、展覧会の規模と熱気は、まさに奈良氏の世界的な影響力を物語っていた。
この展覧会は、奈良氏にとってヨーロッパでは最大規模の展示。150点を超える絵画、ドローイング、彫刻、陶器、インスタレーションが並び、彼の40年にわたる創作の軌跡を体感できる内容となっている。
27億円で落札ー市場も注目する奈良作品
奈良氏の作品が世界で高く評価されていることは、展覧会の規模や来場者の数だけでなく、美術市場にも明確に表れている。

2019年には、奈良氏の代表作「ナイフ・ビハインド・バック」が、香港で開催されたオークションで、同氏の作品としては史上最高額となる2490万ドル(約27億円)で落札された。
奈良氏のイラスト調の人物像には、怒りや孤独といった感情が静かに宿っており、そこに、鋭く心に響く社会や個人へのメッセージが込められている。
一見すると「かわいらしい」とも受け取られるその画風は、観る者の心にさまざまな感情を呼び起こすとされており、この高額な落札額は、奈良氏の作品が国内外で高く評価されている証しでもある。

今回のロンドン展でも、同様のモチーフが展示され、作品の前では多くの観客がスマホを構える姿が見られた。
「ポップじゃなく子ども時代」ー創作の原点を語る奈良氏
会場に姿を見せた奈良氏本人は、スピーチなどは行わず、関係者や友人と作品を静かに見守っていた。筆者も現地を訪れ、その姿を目にしたが、彼の作品が静かに語りかけるような空気感は、本人の自然なたたずまいとも共鳴していた。

「僕の作品の根っこは、ポップカルチャーではなく、自分の子ども時代にあります。まわりには果樹園があり、羊や馬がいました。漫画ではなく、童話を読んで育ったんです」
奈良氏は現地メディアへの取材でこう語っている。展示の構成は、回顧展で良く見られる時系列ではなく、むしろ彼自身の内面と向き合うような流れで構成されていた。
「世界で最も影響力ある100人」ータイム誌が評価したそのメッセージ力
今年4月には、奈良氏はアメリカのタイム誌が選ぶ「世界で最も影響力のある100人」にも選出された。
同誌は彼の作品について、「子どもの視点から戦争や自然破壊に疑問を投げかける」こと、そして「私たちが聞くべきメッセージを、ユーモアと明快さをもって提示している」と高く評価している。

この視点も、まさに今回のロンドン展の核心をなす要素のひとつだ。大きな瞳の子どもたち、ナイフを握る少女などは「かわいい」を超えて、観る者に不安、共感、そして問いを投げかける。
ギャラリー館長が語る奈良作品の深み
ヘイワード・ギャラリーの館長であるラルフ・ルゴフ氏に話を聞いた。
「奈良美智氏は40年にわたるキャリアの中で、反抗や孤独、静けさ、そして“家”という感情的なテーマを多層的に描いてきました。マーク・ロスコやフィリップ・ガストンの影響を受けた彼の色彩や構成は、単なる“かわいさ”の奥に深い対話性を持っています」。

奈良氏の絵画の背景色と人物の表情が対話しているように感じる点を挙げ、ルゴフ氏は「じっくり見ることで、層のように感情が浮かび上がってくる作品群です」と語った。

奈良氏の回顧展は、8月31日までロンドンのヘイワード・ギャラリーで開催中。
怒りと優しさ、政治性と個人の感情、そうした感情を一つの作品に閉じ込める奈良氏の世界に直接触れられる貴重な機会だ。
【取材・執筆:FNNロンドン支局長 田中雄気】