原爆の犠牲になった13歳少女の日記が原爆資料館に寄贈されました。
80年の時を超え日記に託された思いを取材しました。


原爆資料館の地下で多くの来館者を前に講話をするのは、家族の被爆体験などを次の世代に語り継ぐ「家族伝承者」細川洋さん(66)です。

細川さんの父・浩史さんは17歳の時に爆心地から1.3キロ勤務先の旧広島逓信局で被爆。被爆証言者として自身の被爆体験などを長年伝え続けてきました。

浩史さんの意思を受け継いだ細川さん。
この日記に託されたもう1つの思いも伝え続けています。

【細川洋さん】
「一生懸命生きてきた13歳の少女の学校での様子家庭での様子毎日こまめに8月5日の夜までつけている。ぷっつり8月5日で途絶えている現実ですよね」

父・浩史さんは4歳下の最愛の妹・瑤子さんを原爆で亡くしました。
亡くなる前日まで瑤子さんが書き残した日記は浩史さん(当時90)にとって特別なものでした。

【父・浩史さん】(朗読)
「きょうは家庭修練日である。きのう叔父が来たので大変にぎやかであった。いつもこんなだったらいいなと思う。あすから家屋疎開の整理だ。一生懸命頑張ろうと思う」

【父・浩史さん】
「分身ですね。いずれ僕の終末が来たら(原爆資料館に)出そうかなと思っている。僕が生きている限りは大切にしようと思う」

浩史さんはおととし11月に亡くなり、日記は、息子に託されました。

【細川洋さん】
「自分が死んだらこの日記も一緒に(棺桶に)入れて燃やしてくれと言っていたんですが、(その後)日記帳の原本を寄贈しようと思うんだがと言ったら「それもいいな」と沢山の人に見てもらえるので、それも瑤子が喜ぶのではないかと言ってくれていた」

今回、日記のほかにも瑤子さんが使っていた学習帳や万年筆などおよそ40点の遺品を寄贈します。

「当たり前の日常生活が突然終わってしまうのが戦争の現実であり原爆被害だということは一番感じてほしい」

そして、6月9日、日記を含めた瑤子さんの遺品が寄贈されました。

【原爆資料館・石田芳文館長】
「将来に向けての人類共通の財産になると思っています」

日記に残された13歳の少女の記憶は、妹の思いを伝え続けてきた父・浩史さんからその思いを託された息子、洋さんへ。そして、80年の時を超えて平和を願うすべての人へ届けられます。

【細川さん】
「個人的なメモリーボックスから日本へ世界へ横の広がりへバトンを渡す、次世代へ未来へバトンを渡すいい機会(だと思う)」

被爆80年を迎え継承の思いは未来へと繋がっていきます。

テレビ新広島
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