“ミスタープロ野球”と呼ばれ愛された長嶋茂雄さん(89)の告別式が都内で営まれ、王貞治さん(85)や松井秀喜さん(50)など、多くの盟友やまな弟子たちが最後の別れを惜しみました。

慣れ親しんだジャイアンツマークと、永久欠番である背番号「3」とともに朗らかな笑顔を見せる長嶋茂雄さん。

6月3日、肺炎のため、89歳で亡くなった“ミスタープロ野球”。
その告別式が8日午前に営まれ、長男・一茂さんや、次女の三奈さんが見守る中、現役時代、ともに9連覇を成し遂げた巨人“V9”のメンバーや、監督時代のまな弟子たちが参列しました。

最初に弔辞を読んだのは、巨人の黄金時代に「ON砲」と呼ばれ、共に戦った王貞治さんです。

王貞治さん(85):
長嶋茂雄さん、あなたへの弔辞を読む日がこんなに早く来るとは思ってもいませんでした。存在そのものが日本人の誇りでした。そんなあなたに私は迷惑ばかりかけていました。私が入団した年の宮崎キャンプで同室にさせられ、世間知らずの私は部屋の片付け、布団の上げ下げなどすることもできず、挙げ句に寝相は悪いわいびきはかくわで迷惑をかけっぱなしだったようで、1週間で部屋を変えさせられましたが、その間、長嶋さんは一言も文句を言いませんでした。私にとっては長嶋さんは“超普通の人”でした。あなたとの60有余年、私にとっては忘れることのできない貴重な年月でした。

そして、まな弟子の松井秀喜さんは二人三脚の“素振り特訓”に思いをはせました。

松井秀喜さん(50):
監督、今日は素振りないですよね?その目を見ていると「バット持ってこい!今からやるぞ!」と言われるようでドキッとします。でも今はその声を聞きたいです。監督はひとたび、ユニホームを着てグラウンドに出ると、強烈な光を発し、私と二人で素振りする時は“バットマン長嶋茂雄”になりました。監督を退任する日、(バットを)振っている途中、涙が止まりませんでした。「何泣いてんだ。タオルで涙拭いて、ほら振るぞ」そう声をかけてくださいました。私は長嶋茂雄から逃げられません。それが私の幸せです。日本に帰ってくるたびに監督にごあいさつに行くと、監督の言いたそうなことを言おうとするのに言わない。でも、その気持ちはいつも受け取っておりました。これからも監督が、なぜ私にたくさんのことを授けてくださったのか、その意味を、その答えを自分自身の心の中で監督に問い続けます。今度は私が監督を逃がしません。ですから今日は「ありがとうございました」も「さようなら」も私は言いません。その強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください。

フジテレビ
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報道スポーツ部
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