「水の競技やってたんで次は陸でも行くか、みたいな」
パラアスリートとして新たな挑戦に踏み出した高知県出身の小松沙季さん。パリパラリンピックでの予期せぬ棄権から、やり投げへの転向まで、その軌跡と未来への展望を追った。
元バレーボール選手がパラリンピックへ、そして予期せぬドクターストップ
高知中央高校時代に春高バレーに出場し、大学卒業後はVリーグでも活躍した小松さん。

引退後の体調異変から体にまひが残り車いす生活となった時、カヌーと出合い、わずか半年で東京パラリンピックに出場した。

そして2024年のパリパラリンピックにもカヌー日本代表としてエントリーしていたが、予選当日に突如棄権を発表した。その背景には、想像以上に厳しい現実があった。

小松沙季さん:
車いすになって「てんかん」の診断を受けていたこともあって。レース当日の早朝、体調がちょっとすぐれなかったので(てんかんを考慮して)水上競技ということもあって、いろんなリスクを考えてドクターストップとなりました。

小松さんは車いす生活となってから「てんかん」の発作に悩まされるように。水上競技で起こりうる最悪の事態を考慮し、ドクターストップとなったのだ。
小松沙季さん:
本当は選手村で待機するような感じだったんですけど、せめて会場には行かせてくださいっていうのと同時に、なんとかレースに出させてもらえませんかとお願いしていた。

ギリギリまで粘ったが、結果は覆らなかった。
棄権では終われない!「水から陸へ」やり投げで世界を目指す
パラアスリートにとってコンディションを整えるのは簡単なことではない。「車いすユーザーだから歩けないだけ、というのは意外とあんまりない。体幹、腹筋が利かず、ただでさえ生活するだけでも大変」と小松さんが語るように、スポーツに向けて体調管理することは非常にハードルの高い課題となる。
病気と向き合う中、ギリギリまで体を追い込んで臨んだパラリンピック。だからこそ「棄権」という結果では終われない。
パリでの挫折から半年。小松さんは新たな道を選んだ。
小松沙季さん:
まだパラアスリートとして次のロスは目指したいなと。カヌーではなくて競技転向。やり投げで、次のロスはメダルに向けて挑戦できたらいいなと。

これまで日本パラカヌー連盟の強化指定選手として活動してきたが、2025年3月末、1年間の認定期間が終了。そこで4月から、陸上競技の「やり投げ」に転向することを発表した。
小松沙季さん:
投げるのは得意だと思います。小学校の時とか陸上競技大会でソフトボール投げとかに出ていました。肩は強い方だと思います。

偶然にも、パリオリンピックやり投げの金メダリスト・北口榛花さんと奄美大島で出会い、投げ方についてアドバイスをもらうなど交流を深めた。新たな挑戦への意欲は高まるばかりだ。
メダルは通過点―「生きづらい社会を変えたい」目指すは社会の変革
アスリートとして頂点を目指す一方で、その視線はさらに先を見据えている。
小松沙季さん:
メダルは途中ですね。最終的な目標ではないですね。

真に目指すのは、社会の変革だ。
小松沙季さん:
私でいうと障害ですけど、障害を負うことによって選択肢が狭まったりしている。私が社会を変えようと思っても、まだ私にその力はなくて。でも社会が変わるきっかけはつくれるんじゃないかなと思って、イベントをコツコツやっている。

2025年4月6日、鹿児島県の奄美大島で障害者への理解を深める体験イベントを企画した小松さん。こうした活動を通じて、「障害者が生きづらい社会を変えたい」という思いを実現しようとしている。
小松沙季さん:
活動をしていくにあたって影響力、説得力はあった方がいいと思っている。そういう意味では、メダルを取れたら一番かな。

4月26日、愛媛県松山市で行われたパラ陸上競技選手権大会に参加した小松さん。女子強化指定基準Bを超える14.66mを記録し、好調な滑り出しとなった。
思い描く未来のために。まずはやり投げの日本代表を目指し、新たなスタートを切った小松沙季さんの挑戦は、まだ始まったばかりだ。
(高知さんさんテレビ)