あの日から3年。今も癒えぬ心の傷。
「(当時)ご家族で来ていた人もいると聞いている。心が痛みます」(東京からの観光客)
「妻とツアーでカズワンに乗ったことがある。ひとごとじゃない。痛ましい事件・事故があったというのは非常に残念」(高知からの観光客)
「当時のことを思い出すと本当に何でこんなことが起きてしまったんだろう。これを防ぐことができなかったのか」(献花に訪れた人)
犠牲者らへ祈りを捧げた。
知床沖で発生した“沈没事故”から3年―
2022年4月23日、知床半島沖で沈没した観光船「KAZU1(カズワン)」。
午後から天候が荒れる予報のなか、乗客乗員26人を乗せ、午前10時にウトロ漁港を出航。
乗っていた26人は海面水温約3度の冷たい海に投げ出され、20人が死亡、6人が行方不明となった。

桂田精一社長が姿を現したのは事故から4日後だった。
「この度はお騒がせして大変申し訳ございませんでした」(知床遊覧船 桂田精一社長)

「桂田さん、説明責任果たせたと言えますかね、あれで」
「社長、逃げも隠れもしないって言ったじゃないですか」(ともに記者)
「会見があるんで急いでいるんですよ」(桂田社長)

会見は事故後の1回だけ。
約120人が参列した2025年4月23日の追悼式会場に桂田社長の姿はなく、2024年まで供えられていた花もなかった。

「本当に事故に向き合って真摯な対応をしてほしい。本当のことを話してほしいと願っています」(杉浦登市さん)
当時、桂田社長が経営する宿泊施設で働いていた杉浦登市さん。
事故後、桂田社長に何度も謝罪を進言してきた。
「(Q:桂田社長の対応に関してはどう感じていますか?)社長の行動については、良くも悪くも予想通りだなという気持ちですね」(杉浦さん)

息子と母親が沈没船に…家族が明かす胸中
十勝地方に住む50代の男性。当時7歳の息子とその母親が行方不明となった。
「お誕生日おめでとう!いえーい、ふーはははは」(乗客の家族)
事故前年、2021年の息子の誕生日です。
楽しげな2人の声。いまその声を聞くことも、ともに誕生日を祝うこともかなわない。

男性は民事訴訟に参加するため、2024年春、息子の死亡認定を自治体に申請。
4月23日に知床に来たものの、式典には2025年も参加しなかった。
「自分の中ではそんなに月日がたったとは感じていない。桂田社長は言い訳ばかりしていないで、自分の罪を認めてしっかりと責任を取ってもらいたい」(乗客の家族)

事故直後からボランティアとして捜索してきた桜井憲二さん。
10回にわたる捜索を行い、乗客の家族らの声を受け止めてきた。
「見つからないっていうのはつらいですよね。永遠に行方不明ですから」(桜井憲二さん)

事故から3年を迎え、桜井さんら捜索ボランティアは家族の思いに応えようと沈没現場付近での洋上慰霊を企画し寄付を呼びかけた。
「家族がどういう風景をみてどういう楽しみで知床に来て、どういうふうに船の上で走って見ていたのかなって」
「名前を呼ぶとか、いろんなことを悔いのないようにしてほしいなと思います」(ともに桜井さん)
寄付は目標の1000万円を上回る1300万円が集まった。
あの日と同じウトロ漁港から出港し、沈没したカシュニの滝付近で7月中旬を予定している。
「その場でお坊さんの読経も流れますし誰の目をはばかることも必要ないので、亡くなった家族のことを胸の中にちゃんと抱えて、前に進むきっかけにしてほしいなと思います」(桜井さん)

運航会社・桂田社長はいま何を思うのか
「桂田さん!遺族に一言お願いします」(阿部空知 記者)
カメラを避けタクシーの座席で身をかがめた知床遊覧船の桂田社長。

3月には乗客14人の家族らが運航会社『知床遊覧船』と桂田社長を相手取り、約15億円の損害賠償を求めた民事訴訟が開始。人目を避けるように渡り廊下を使って本館に入った。

法廷では乗客の家族らが意見陳述し、悲痛な胸の内を明かした。
「私はどんなに子どもを抱きしめたい、子どもと手をつなぎたいと思ってもできません」(乗客の家族)
桂田社長はこの意見陳述に3回ほど頭を下げた。

時折、椅子にもたれ、そして目を閉じて話を聞いていた。
この姿に乗客の家族は…。
「涙ながらに意見陳述しているさなかに、桂田は目をつぶって体を前後にゆらゆら揺らしたりして裁判が自分のことじゃないみたいな感じで意見陳述を聞いていましたね」(乗客の家族)

裁判の後、「法人代表者として、ご遺族の皆様への謝罪と償い、犠牲者の方々への慰霊を続けていく所存です」などとコメントした桂田社長。
事故から丸3年の23日、桂田社長に電話してみたが…。
「出ませんね」(斉藤健太 記者)

23日の追悼式にも姿を現わさなかった桂田社長。
未曽有の事故から3年が経つが、遺族らの苦しみは続いている。
