JR福知山線脱線事故で大けがをした女性が心に負担を抱えながらも記憶を語り続けている。
話すことへの葛藤とトラウマとは。

■事故を“語る”ことは“事故と向き合い続ける”こと
脱線事故の際、犠牲者が最も多かった2両目に乗車していた、浅野千通子さん(46)は、各地で講演を続けている。
浅野千通子さん:毎年この季節がやってくると、春の暖かさとか桜の色とかを感じて、すごく心地いい反面、すごく心がざわざわするというか、揺れ動くというか、そういうのを毎年感じるんですね。
20年前のあの朝、通勤中にたまたま駅までのいつものバスが遅れ、たまたまあの電車に乗った。
浅野千通子さん:講演を全部終えた後に、ふっと気づいたらものすごく疲れてたんですよね。過去のうつ状態のときを思い出すくらい、すごく疲弊してた。
語ることを通して、浅野さんは事故と向き合ってきた。

■体は治るも心に大きな傷 心境の変化「誰かの役に立ちたい」
これは事故直後の浅野さんのレントゲン写真。
右の太ももの骨が骨盤にめり込んだほか、全身14カ所を骨折する重傷。左足は折れた骨がスネから飛び出していた。
浅野千通子さん:事故に遭って、すごく痛いしつらいけど、肉体さえよくなればもとに戻れるんだ、それだけの思いでずっと突き進んでて。
入院中の浅野さんの日記:リハビリで左足をうかしたまま2秒くらい静止できた。早く歩ける日が来て欲しい。
7回にわたる手術と、懸命なリハビリを経て、体はほぼ元通りの状態に。
一方で、PTSDや、躁鬱(そううつ)病と診断され、心に大きな傷を負っていた。
十数年たち、結婚して子どもを授かると浅野さんの心境に変化があった。
浅野千通子さん:自信持って見せられる背中でありたいなって、そんふうに思ったんですね。その時に自分のなかに湧いてきたのは、自分自身がこれまで経験してきたことを伝えていくっていう活動をすることで、もしかしたら誰かの役に立てるかもしれないと思ったんです。

■「目の前で人が死んでいくのによかった」 生き残れた喜びと後悔
記憶を語り始めた2019年のある講演。
相手は鉄道の安全に関わるJR東日本の運転士や車掌らおよそ300人だ。
覚悟を決め、壮絶な記憶と苦悩を包み隠さず話した。
浅野千通子さん:若い青年のような方が一緒に挟まっていたんですね。その方が急にワーッと動き出したんですね。『動かんといて、あんたがいま動いたら私が死ぬから、動かんといて』って叫んだんですね。でも彼の力がものすごく強くて、もう息もできない。声も出ない。
浅野千通子さん:“もう死んでしまうんだな”そう思ったら、ふっと彼の力が抜けた。
浅野千通子さん:『あ、彼死んだんだな』っていうことが分かりました。その時、私は『よかった、また息できるから、よかった』っていうふうに思ったんですね。目の前で人が死んでいくのに『よかった』って。自分のことしか考えられなかった。そのことは、後々になってずっと私の中で苦しみとして残り続けました。
生き残れた喜びと、その裏にある後悔。

■むしばまれる心 支えられた子どもの存在
講演を重ねるたびに、負担は確実に浅野さんの心をむしばんでいった。
浅野千通子さん:過去のどんな経験を話しても大丈夫って、話せるって思ってたから、(講演で)話してたんですけど。そこでやっぱりすごく疲れが出るんですよね。自分で思っていた以上に、経験談を話すっていうことが、すごく大きなストレスになっていた。
それでも、語り続けることができたのは、自分の役割を改めて意識させてくれる子どもの存在だ。
浅野千通子さん:子どもってほんとに無条件に愛してくれるんですよね、私のこと。もう自動的に自分の存在価値を認められるようになるっていうか、『私いてるだけでいいんだ』みたいな、それを感じさせてくれて。

■「安心は尊い」 講演を続けるために選んだ道
もう1つ、講演をする理由がある。
浅野千通子さん:(講演を)やめようって思うときは、ほんとにやめようって思うんですけど、気が付いたらまたやってる。講演してみて、色んな声をいただくんですね。ほんとに心のこもったメールをいただくことが時々あって、それを読ませてもらうと、ほんとに『あー安全って尊いな』ってすごい思う。
自分の心を守りながら、それでも講演を続けていくために、浅野さんはある選択をした。
それが、目の前で息を引き取った青年には触れないこと。でも、決して記憶から消し去ったわけではない。
浅野千通子さん:毎年、慰霊式には行ってたんですよ。亡くなった方っていうと、やっぱりその人のことが一番思い出される。その人にこう手を合わせたいというか、ちゃんと今生きてますって。

■事故から20年 “あの日”に講演を
事故から20年、浅野さんはことし慰霊式に出席しない。
浅野千通子さん:たまたまその25日に講演の仕事をいただいたので、この日だからこそ、命の尊さを多くの人が聞いてくださるみたいなので、伝えに行くことのほうが、今の私にとって、一番いい選択じゃないかなって。
いくら時が過ぎても、重くのしかかる事故の記憶。
それでも、これからも、自分にしかできないことで、「安全」について問うていく。
(関西テレビ「newsランナー」2025年4月23日放送)
