飲酒運転の事故に巻き込まれた親子。
母親を亡くした悲しみを抱えながら、前を向いて歩きだした全盲の男性の思いとは。

■事故で母親が死亡。大久保さんも一時意識不明の重体に陥った
大久保孝之さん:きょう2回目、退院してからしか行けませんので、きょうで2回目です。ちょくちょくと(花を)置いてくださる方がおられるようで、今回の事件のことを思ってくださっていると感じています。
大久保孝之さん(51)。全盲の男性だ。
おととし12月30日、大阪府岸和田市で、歩いていた大久保さん親子に車が突っ込んだ。

■一人の身勝手な行動で大きく狂わされた人生。苦悩の1年間
この事故で、母親の春江さん(82)が死亡。大久保さんも一時意識不明の重体に陥った。
車を運転していたのは岸和田市に住む岩井拓弥被告(31)。
酒を飲んだ状態で運転し、死亡事故を起こしたとして危険運転致死傷の罪で起訴。
一審で懲役12年の判決を受けましたが、刑が重すぎるとして控訴した。
およそ10時間、酒を飲んだ後、車を暴走させ、二人に衝突したときのスピードは、
時速50キロを超えていた。
大久保孝之さん:ここに来ればまた母に会えると思って来てます。母親がいなくてもしっかりと日常生活からすべてにおいて自分がやっていく。
一人の身勝手な行動で大きく狂わされた人生。苦悩の1年間が始まった。

■大久保さんは20歳のころに網膜色素変性症と診断。35歳で視力を失う
大久保孝之さん:道を把握してますのでね。今も自転車通りましたけど、前から何が来てるかっていうのは、いま車が来てますやん。そういうのを認識してる。
大久保さんは20歳のころに網膜色素変性症と診断され、35歳のころに完全に視力を失った。
いまは光を感じることもできない。
そんな大久保さんの目となっていたのは、母親の春江さんだった。
大久保孝之さん:職場まで行くとか慣れたことは自分でやってて、初めて行くときは困難だろうと、よく(母が)気を遣ってくれてました。
事故当日も連れ添って歩いていた二人。

■「母親を亡くしたのは僕の責任や」
大久保さんが意識を取り戻したのは事故の翌日。
大久保孝之さん:兄と姉が来てくれまして、母親が亡くなったって告げました。ぼくは涙を流して兄と姉に謝罪をしまして、母親を亡くしたのはぼくの責任やと。ぼくが行こうって誘ったからぼくは母親にこんな目に遭わしてしまった。
大久保孝之さん:母親は僕のために尽くしてくれる人だったので。こんだけ涙もろい人間じゃなかったんですけど、なぜか涙が止まらないんです。
大久保さんも、くも膜下出血のほか、背骨や膝の骨折など大けがをし、4カ月間入院。右脚にはもう二度と治らないけがをした。
大久保孝之さん:痛みはあるし、感覚がなくなってしまいまして。膝立ちができない状態ですね。膝が曲がりませんので正座ができませんし。

■退院からわずか2週間で大久保さんの姿は経営する整骨院に
退院からわずか2週間。大久保さんの姿は、経営する整骨院にあった。
事故前の生活を少しでも早く取り戻したいとの思いからだ。
整骨院に通う人:交通事故のときに新聞見てびっくりしたもん。年末やったよね。先生の顔みてホッとしたわ。元気な顔見てね。

■傷の癒えない体でフルマラソンに再び挑む
仕事に復帰するだけでなく、傷の癒えない体で打ち込んでいることがある。
伴走者:寒いですね。よろしくお願いします。行きましょか。
実は大久保さんは、ブラインドマラソンの選手。
12年前から趣味でマラソンを始め、京都の福知山マラソン・全盲の部で、過去4度優勝した実力者だ。
伴走者:心配したけど、疲れとか痛みとか。
大久保孝之さん:痛みはある。膝とか腰がなかなか言うこと聞いてくれない。もう一回一緒に走ることができてどう思った?
伴走者:もう奇跡やと思った。全身骨折とかすごい症状の情報がきてたから。この人すげえなって思って。それくらいすごいことなんですよ。今走れてることが。
事故に遭ったあの日も、母親の付き添いでマラソンの練習に行く途中だった。
母親のベッドは今も亡くなる前のまま残されている。

■目標は「フルマラソンを完走」
大久保さんはフルマラソンを完走するという目標を立てました。
大久保孝之さん:母親は僕の胸の中にずっといてくれてますので。いてくれるからこそ、ぼくも頑張らなあかんと思ってますからね。
事故から11カ月後、戻ってきた場所は、あの、栄冠を手にした福知山マラソンだった。
体の痛みに耐えながら懸命に走る大久保さん。
25キロ地点に入ると…
伴走者:膝はいける?
大久保孝之さん:痛いですけど頑張りますよ。走っていて苦しいときとか、なんでか母親の顔が浮かんできますね。

■見事目標を達成。『何とか出来たよ、何とか走り切れたよ』と母に伝えたい
記録は4時間52分16秒。
自己ベストからは1時間半以上遅れましたが、目標のフルマラソンを完走することができました。
大久保さんの知人:すごいやん!(ペース)落ちんとそのまま!
大久保孝之さん:大会に出て、スタートラインに立って、完走する。タイムはおいといて、事故前はできてたから出来るだけ近づこうと。家帰って『何とか出来たよ、何とか走り切れたよ』って(母に)言いたいですね。

■被告には「罪を受け入れてほしい」
事故から1年。
21日には、加害者である岩井被告の控訴審が開かれる。
大久保孝之さん:(被告には)罪を受け入れてほしいというのがあります。受け入れてくれたら僕は僕の人生を歩んでますし、母親もそれを見てくれていると思います。
これからは一人でも生きていこうと、大久保さんは前を向き続ける。
大久保孝之さん:ぼくが嘆いていたら、落ち込んでいたら母親も悲しみますのでね。ぼくがしっかりと事故前の自分をしていくことで母親も少し安心してくれるのかなと。母親にもこういうのができたよって言い続けていきたいと思います。
事故前の日常を取り戻すこと。心の中で想い続けること。
それが支えてくれた母親への恩返しになる。
(関西テレビ「newsランナー」 2025年3月19日放送)
