幼稚園の頃からアイスホッケーを始めた伊藤樹さん。しかし、8歳の時に交通事故に遭い、下半身が動かなくなった。そんな樹さんが19歳で単身アメリカに渡った。目指すは、パラリンピックでの金メダル獲得だ。
「ホッケーのレベルも天と地くらい違うし、ホッケーに対する取り組み方とか、ホッケーがカルチャーなので」と樹さんは語る。
世界一の環境に身を置くことを決意した彼の挑戦が始まった。
■【動画で見る】交通事故乗り越え パラアイスホッケーで金メダル目指す

■ホッケーは生きる支え 挫折から這い上がる
事故後、樹さんは厳しい現実に直面した。
「学校の友達に悪口言われて学級会開かれたりとか、『歩けないくせに』とか。けんかになると最終的にその言葉を相手が言うみたい」と母の紅子さんは当時を振り返る。
そんな中、樹さんはパラアイスホッケーと出会う。
「片付けしていたら面白いもの出てきて、小学校の宿題。例文が全部ホッケーになっていて、全部ホッケーって書いている」と紅子さんは笑う。
ホッケーが、樹さんの生きる支えとなっていった。

■若きエースの苦悩
高校1年で日本代表の若きエースとなった樹さん。しかし、北京パラリンピックの出場をかけた世界大会には年齢制限で出場できず、チームも敗退。
伊藤樹さん:自分が引っ張っていかないといけない立場なのに、ふがいない結果に終わってしまったことが残念」と悔しさを滲ませる。
この経験が、樹さんのアメリカ行きを決意させた。
伊藤樹さん:次のミラノ大会には絶対に出て、メダル争いをできるように。金メダルを目標にして昔の記録を塗り替えようと今必死に頑張っているので。
と、熱い思いを語る。

■アメリカでの新生活
アメリカでの生活は、樹さんにとって挑戦の連続だ。
手だけで運転できる装置をつけた車の運転にも挑戦している。「運転は慣れた、駐車は慣れないけど。まっすぐ走っているだけなんで、そんな難しいことはしていない」と話す一方で、事故のトラウマは消えていない。
伊藤樹さん:右にめっちゃ寄るでしょ俺。対向車線が怖いから。事故のトラウマで、対向車線が怖すぎる。

■強豪チームでの奮闘
樹さんが入団したのは、全米の大会で優勝した強豪チームだ。体幹が使えないハンディを、テクニックで補う努力を重ねている。
チームメイトたちも樹さんの能力を高く評価している。「樹は、すごく才能があるプレーヤーで、スティックのハンドリングがすごく上手で、彼はいつも楽しそうにプレーするのがすごくいい」とアメリカ代表選手は語る。

■「樹がいなかったらアメリカという選択肢もなかった」貪欲な姿勢が周囲を変える
チームの練習がない日も、健常者に交じって早朝から個人練習に励む樹さん。その姿勢は周囲にも影響を与えている。
一緒に渡米した日本代表のチームメイト、松下真大さんは「樹がいなかったら(アメリカ)という選択肢もなかったと思いますし、ホッケーが日常だから超楽しいです」と語る。そして「万が一、パラにいけなかったらと考えただけでも吐き気がするくらい。そのために(アメリカに)来ているので」と、樹さんと同じ決意を示す。
■新たな挑戦、アスリート社員として
樹さんのアメリカ生活を支えているのが、東京のアパレル企業だ。アスリート社員として採用され、競技に専念できる環境を得た。
ビーズインターナショナルの皆川伸一郎会長:18歳とは思えない、自信に満ちあふれていて、自分のビジョンを分かっている。それを楽しそうに話してくれるのがすごくいい印象ですね。

■夢への一直線
初めてのことばかりのアメリカ生活。それでも樹さんの目標は揺るがない。
伊藤樹さん:パラで優勝するためです。パラで優勝できないのに来る意味ないです。
氷の上で、挑み続ける。すべては幼いころからの夢を、叶えるために。19歳の若きアスリートの挑戦は、まだ始まったばかりだ。
(関西テレビ「newsランナー」2025年1月30日放送)