藤井聡太七冠を筆頭に盛り上がりが続く将棋界。12月17日には西山朋佳女流三冠が棋士編入試験で勝ち、5番勝負を2勝2敗として史上初の“女性棋士”誕生に王手をかけた。

高知県初の女流棋士であり、女性への将棋普及にも力を入れている島井咲緒里女流二段(44)に話を聞いた。
集まれ!“しょうぎ女子”
高知市で6月に開催された「しょうぎ女子入門教室」。会場の土佐中学高校には約40人の子供たちが集まった。簡単なルールで楽しめる「どうぶつしょうぎ」や積み木としても遊べる「ハート将棋」などを通じて、全くの初心者も将棋に親しめるように工夫されたイベントだ。

企画した島井さんは「最初はルールが複雑で戸惑っている子も多かったけど、徐々に慣れて楽しんでくれているようでよかった」と語る。
天才少女の人生を変えた「親友」との出会い
島井さんは南国市出身。6歳の頃、3歳上の兄と祖父が対局しているのに「私も混ざりたいと覚えた」のが将棋との出会いだという。近くの将棋道場に通い始めると、同世代の女子は「皆無」だったが、「ちっちゃい自分でもおじさんとかお兄ちゃんにどんどん勝てて、それが快感で気持ちよかった」と振り返る。

県内の小学生大会で1年生にして優勝するなど、天才少女と話題に。中学受験で一時将棋を離れていたが、土佐中学校2年生の時に出会いが訪れる。

島井咲緒里さん:
三重県での女性の大会に、他に女性でやっている人がいなかったので招待されて、「(これで将棋は)最後にしよう」ぐらいの気持ちで行かせてもらった。そこで同い年の岩根忍さんに出会って、「そんなに強いのにもったいないわ」みたいなことを言われて。

現在女流三段で、今では親友という岩根さんの言葉に奮起。当時の棋力はアマ二段程度だったが、中3の1年間は「人生で一番将棋を頑張り」、土佐高校1年生の時にプロデビューを果たした。
女流の地位向上へ日本将棋連盟から独立
将棋のプロには2つの制度がある。女性だけがなれる“女流棋士”に対して、藤井七冠や羽生善治九段などの“棋士”には性別の条件はないが、これまでに女性の棋士は1人もいない。かつては女流棋士が男性棋士に勝つだけでニュースになるほどだったが、近年では福間香奈女流五冠(32)や西山女流三冠(29)などのトップ層が男性棋士に勝つのは珍しいことではなくなった。

島井さんの28年を超える女流棋士のキャリアで大きな転機が、2007年の日本女子プロ将棋協会(LPSA)設立だ。女流棋士の知名度アップと地位向上を目指して当初は女流全員で日本将棋連盟を離れて新団体を立ち上げる計画だった。しかし「どんどん減って結局、3分の1ぐらいしか独立しなかった」という。
将棋を通じてジェンダー問題に一石
当時20代だった島井さんの背中を押したのが、女流棋士の先輩で現LPSA代表理事の中倉宏美女流二段(45)だ。「(独立派が)少人数になったので(島井さんが)心配になっている時があって、電話で『大丈夫だよ、一緒にLPSAを立ち上げようよ』みたいな話をして」と思い出す。

LPSA設立の背景には「(将棋界での)居心地の悪さを変えていきたい気持ちも強かった」が、17年たった今は将棋ブームも追い風に「女性人口も増え、まいた種が実になってきている」と手応えを感じている。

中倉宏美さん:
将棋は男の人がやるものというのが根深く歴史的にもあって。女性が将棋をやるだけでちょっと奇異の目で見られていたところからスタートして、女流棋士の制度が誕生して今年でちょうど50年なんです。将棋界で女性が活躍することは、世の中のジェンダー問題に一石を投じる象徴的なことになると思うし、多様性を認めることにつながる。そういう意味でも頑張っていきたい。
女の子に憧れてもらえるように
そんな中倉さんと一緒に“ナンバー2”として「二人三脚」で組織運営にあたる島井さん。高知で将棋を始めた当時を振り返り、「全然女の子、いなかったですし、寂しいというか、もっと仲間とか一緒にやれる子がいたら違っただろうな」と話す。

島井咲緒里さん:
女の子に「女流棋士、かっこいいな」と憧れてもらえるように私たちがまず頑張って、制度とか環境を整えていく。プロを目指す子もいたり、趣味としてずっと将棋を楽しんでくれる女の子が増えて、人生が豊かになってくれればいいなと。プレイヤーとしても精一杯やりつつ、普及にも力を入れていきたいと思います。

2人の人間が向かい合って盤上で繰り広げる勝負。その魅力は時代が変わっても不変のものだろう。ただ、島井さんや中倉さんたちの思いと取り組みは、社会の変化の中で将棋という伝統文化に新たな可能性を付け加えている。
(高知さんさんテレビ)