東京・文京区で27日、両陛下が豊島岡墓地を訪れ、三笠宮妃百合子さまの墓所に拝礼された。
皇室の慣例で斂葬(れんそう)の儀には参列されなかったが、玉串をささげられた。
29日には、一般の拝礼が行われる予定だ。

墓所を皇族方が参列

両陛下は27日午後3時前、東京・文京区の豊島岡墓地を訪問された。

三笠宮邸を訪問された上皇ご夫妻(25日)
三笠宮邸を訪問された上皇ご夫妻(25日)
この記事の画像(11枚)

皇室の慣例により、26日に行われた「斂葬の儀」には参列されなかったが、三笠宮妃百合子さまの墓所に初めて足を運び、玉串をささげて拝礼された。

墓所をあとにする際、喪主を務めた孫の彬子さまに歩み寄り、丁寧に声をかけられる場面もあった。

午後2時からは「一日墓所祭」が行われ、秋篠宮ご夫妻や愛子さま、佳子さまなど皇族方が参列された。
上皇ご夫妻も拝礼が予定されていたが、上皇后美智子さまのリハビリの状況を考慮し、延期されることになった。

29日には、1日だけ墓所の前で一般の拝礼が受け付けられる。

悠仁さまも初めて皇室の葬儀に参列

ここからは、フジテレビ・社会部の宮崎千歳宮内庁キャップが解説する。

青井実キャスター:
ーー29日にお墓の前で一般拝礼も行われるということですけれども、26日の「斂葬の儀」、そして27日の「一日墓所祭」について、どんな儀式で、そしてどんなしきたりがあるのでしょうか。

27日午後3時前、両陛下が墓地に到着されました。26日の斂葬の儀には、皇室の慣例で参列されなかったので、初めての拝礼ということになったわけですが、皇室の慣例というのはどのようなものですか?

豊島墓地に到着された陛下
豊島墓地に到着された陛下

フジテレビ・宮崎千歳宮内庁キャップ:
もともと長い歴史の中で、天皇陛下というのは基本的に御所にいらっしゃる存在というのが伝統的なあり方で、親しい人が亡くなった場合も、ご自分が行くのではなくて、お使いを派遣される形で気持ちを示されてきました。

今回、両陛下も、その葬儀の前に4回弔問されているんですけれども、今の時代は非公式な形で弔問されるようなことはあっても、葬儀の儀式ということに関してはお出にならないという伝統的なやり方が今も受け継がれています。

青井キャスター:
ーー一方で、上皇ご夫妻も参拝予定でしたけれども、美智子さまの足の状況をふまえてお取りやめになったとことです。16日に、三笠宮邸を弔問された時のご様子を見てどう思われますか?

宮崎宮内庁キャップ:
10月、転倒して骨折して手術を受けられたばかりで、もう車イスを離れて、つえを手にして歩かれていることに本当に驚いて、素晴らしい回復ぶりだと思いました。リハビリに熱心に取り組まれているので、つえをついて歩けるようにはなられたんですけれども、まだ上皇さまに手を添えられたり、支えが必要な状況です。

2016年に百合子さまの夫の三笠宮さまの墓所を拝礼された際ですが、両手で玉串を持つ必要がありまして、支えが必要な今の状況ですと、これは少し安全面も考えても難しいのではないかと思います。もう少しリハビリが進んで回復が進んだら、日を改めて、きちんと弔意を示しになりたいという強い気持ちを持っていらっしゃると思います。

参拝された秋篠宮さま
参拝された秋篠宮さま

青井キャスター:
ーー午後2時ごろの映像を見ると、愛子さまなども26日に続いて参拝されました。皇族方の葬儀は、百合子さまの夫、三笠宮さまが亡くなられた2016年以来ということで、愛子さまと悠仁さまは初めて皇室の葬儀に参列されました。

宮崎宮内庁キャップ:
愛子さまは、ご家族の深い悲しみに寄り添いたいということで、本当に深い拝礼でお気持ちを示されていたように感じました。また、悠仁さまはまだ高校3年生で、午前中に学校を休んで、26日、皇族として斂葬の儀という大事な儀式に参列されました。まだ学生なので、黒いスーツに喪章をつけるような形での参列でした。

100歳でも知的好奇心が旺盛

木村拓也キャスター:
百合子さまは、昭和天皇の弟である三笠宮さまと結婚され、上皇さまの叔母にあたります。「ひげの殿下」としても親しまれた三笠宮寬仁さまのお母様としても知られております。

青井キャスター:
ーー記録で確認できる皇族としては最高齢の101歳ですけれども、どんな方でいらっしゃいますか?

宮崎宮内庁キャップ:
三笠宮さまと75年間連れ添われたんですけれども、公務・家庭・研究とも、あらゆる面で支えられて、本当に仲がむつまじくて、同じお墓にお入りになるというのも生前の希望で、それに沿って26日に埋葬されました。

戦争でお住まいが空襲で全焼して防空壕(ごう)で生活されたり、経済的にもとても苦労なさっています。お子様が5人いらっしゃって、そのうち男のお子様3人がいずれも早く亡くなられて、3人の息子に先立たれるという本当に深い悲しみを経験されても、いつも穏やかに冷静に受け止めて、誰に対しても優しい方で、家族の本当に精神的な柱でいらしたというふうに聞いています。

木村キャスター:
一連の儀式は、16日の一般の納棺にあたる「御舟入(おふないり)」から始まり、24日に棺を客間へと移す「正寝移柩(せいしんいきゅう)の儀」、25日に御霊を権舎に移す「霊代安置(れいだいあんち)の儀」やお通夜が行われました。26日には本葬にあたる「斂葬の儀」が執り行われ、10人の皇族方や石破首相、駐日大使など約500人が参列しました。喪主を務められた孫の彬子さまは、気丈に振る舞われながらも涙をぬぐわれる姿も印象的でした。

宮崎宮内庁キャップ:
百合子さまのことを彬子さまは尊敬して大切に思っていらっしゃったので、喪主として気丈に振る舞ってはいらっしゃったんですけれども、やはり悲しみがあふれ出す部分があったのではないかと思います。

木村キャスター:
本葬を終えまして、お墓にはさまざまな大切なものがあるということでして、例えばご家族の写真やお子さま方の乳歯、お母さまの手縫いの着物、百合子さまが愛好されていた漢字パズルなどが副葬品として納められました。

宮崎宮内庁キャップ:
知的好奇心がすごく旺盛で、100歳になっても漢字の勉強を続けてらっしゃったんです。そういう好きだったものを、ご家族で一つ一つ丁寧に選ばれたんだと思いますし、また家族思いでいらっしゃったので、5人いらしたお子様の乳歯を大切にとってあって、それも一緒にお墓に納められたと。

青井キャスター:
ーー今後の儀式は、どのようなスケジュールでしょうか?

木村キャスター:
29日に一般の拝礼が受け付けられます。また、亡くなられてから30日、50日、100日、1年など節目ごとに儀式が行われる予定です。 

宮崎宮内庁キャップ:
喪主の彬子さまは、30日間喪に服され、その後公務に復帰しながら節目の儀式に臨まれます。
(「イット!」11月27日放送より)