1966年に起きた、いわゆる袴田事件のやり直しの裁判は9月26日に判決が言い渡される。判決を前に3回のシリーズで事件を振り返る。1回目は事件の発生から釈放まで。拘置は実に48年に及んだ。
強盗殺人放火事件で逮捕
今から10年前の2014年、静岡地裁が裁判のやり直しを認めたことで48年ぶりに釈放された袴田巌さん(当時78)。
姉のひで子さんは「応援していただいたみなさんのおかげでございます。本当にありがとうございます。ただうれしい。それだけでございます」と喜びを語った。

1966年6月30日未明。
当時の静岡県清水市でみそ製造会社の専務の自宅で火事が起き、焼け跡から多数の刺し傷がある一家4人の遺体が見つかったほか、多額の現金なども盗まれていたことが発覚した。

事件から49日後。警察は元プロボクサーで、当時現場近くの従業員寮に住んでいた袴田巌さん(当時30)を逮捕。
肩や手にケガをしていたことや押収されたパジャマから微量の油と本人とは別の型の血液が検出されたことが理由だった。
“5点の衣類”を証拠に死刑判決

~袴田さんの取り調べの音声~
「大変恐ろしいことをやったと思っています。もう夢中で 見られちゃったからしょうがない」
警察による取り調べは苛烈を極め、心身ともに限界に達した袴田さんは逮捕から19日後に犯行を“自白”。
ただ、有力な証拠はなく裁判では一貫して無罪を主張した。

事態が暗転したのは事件から1年2カ月後。
みそタンクから大量の血痕が付着したズボンやシャツなど、いわゆる“5点の衣類”が見つかったのだ。

袴田さんは「自分のものではない」と訴えたが、静岡地裁はこれを決定的な証拠として死刑を言い渡し、その後、控訴も上告も棄却されたため1980年に死刑が確定した。
裁判のやり直し求めるも棄却
弁護団は自白が強要されたものであることなどを理由に裁判のやり直しを求めたが、1994年に静岡地裁が棄却。

袴田弁護団・西嶋勝彦 団長(当時):
自白が崩れて、もはや(公判を)維持できなくなったことを取り繕うために「自白は元々(証拠としての)評価が低かった、と。自白の過小評価、評価替えをしている」と私たちは考えます
東京高裁(2004年)と最高裁(2008年)でも判断が変わることはなかった。
姉・袴田ひで子さん(2008年):
弁護士や支援者に支えられて頑張ってきましたが、大変残念です
検察の証拠開示で“一筋の光”
それでもあきらめることのなかった護団と姉・ひで子さん。
2008年4月に再び裁判のやり直しを請求すると一筋の光が差し込む。

袴田弁護団・小川秀世 弁護士(2010年):
今回開示された証拠を見たところ、我々としては新たないろいろな視点がここから伺い知れる。これをとっかかりにしていろいろな形の主張ができるのでは。私は思いを強くしました
これまで表に出てこなかった検察側の証拠 約600点が開示され、また、“5点の衣類”に付着した血痕のDNAを調べたところ、検察側・弁護側いずれの鑑定でも被害者のものとも袴田さんのものとも確認できなかった。
“ねつ造”を理由に再審開始決定

そして2014年3月27日。静岡地裁は袴田事件の裁判をやり直す決定を出した。
この時、死刑確定から実に34年が経過。

村山浩昭 裁判長は“5点の衣類”について「捜査関係者によってねつ造された疑いが相当程度ある」と断罪。
さらに「拘置し続けることは耐え難いほど正義に反する」として、袴田さんの拘留を解いた。

袴田ひで子さん(2014年):
何か不思議な気がして、夢でも見ているような気がしました。手を握るなんて40余年なかったんです。48年ぶりです
しかし、この時はまだ弁護団も、袴田巖さんも、ひで子さんも、ここからさらに10年にも及ぶ闘いが待っているとは知る由もなかった。
(テレビ静岡)