「能登人を訪ねて」今回は、珠洲市で食を通して地元に恩返しがしたいと頑張る夫婦に会いに行った。珠洲市の屋台で出される”とんこつ醤油ラーメン”このラーメンを作っている夫妻は、食を通して珠洲に生きることを心に誓ったという。復興にかけるその思いを伺った。
震災2カ月後に珠洲に戻りラーメン店を再開
この記事の画像(19枚)珠洲市野々江町、道の駅すずなりのすぐ目の前にキッチンカーでラーメンを提供している店がある。店の名前は“とりとん”。人気は、豚骨醤油ラーメンだ。いまは夜の営業がメインで、試験的に不定期で昼の営業を行っていると言う。訪れた客に感想を聞いてみると「美味しい」はもちろんのこと、このあたりは夜になると真っ暗で、ここだけ光っていると安心するという人もいた。
稲垣真一アナウンサー:
屋台のようで、屋台じゃなさそうな…でも、赤ちょうちんに『ラーメン』って書いてありますね
店を営むのは、大阪出身の秋房大介さんと珠洲市出身の妻・和佳奈さん。2人は2023年4月、珠洲市内で弁当店を開業。その後、キッチンカーを導入し、この場所でラーメン店を始めた。
元日の能登半島地震の影響で水が使えないことから、一時休業したが、2カ月後の3月には営業を再開させた。
2人の出会いは兵庫県。イタリアンレストランで出会った。大介さんは和佳奈さんの笑顔がかわいいと話し、和佳奈さんは大介さんの優しさを感じたという。その後、和佳奈さんのお父さんが、大介さんに『珠洲で飲食をやってみないか』って誘われ珠洲に移住を決断したという。大介さんは移住することに不安はあったが、それ以上に、自分の店を持つ楽しみに引かれたそうだ。
そして2024年1月1日の能登半島地震。キッチンカーは無事だったが、水が出なかったため、大介さんの実家がある大阪へ避難。
中止すべきか悩んだ結婚式…「地震に負けない」との思い
大介さん:
できるところまでの範囲だけ片付けを終わらせて、その後は2月に結婚式が控えてて、結婚式は絶対やるぞっていう思いはあったんで…
実は2人は2月に結婚式を挙げることになっていた。中止すべきか悩んだそうだが、ある思いがあったという。
和佳奈さん:
結婚式があったから、みんな集まって顔を合わせられて、やってよかったかなって…
大介さん:
地震が起こったからって結婚式キャンセルしたら地震に負けた気がしたんで…地震なんかに負けんぞっていう気持ちでしたね。
そして避難所で口にするのは難しい、温かいラーメンを珠洲のみんなに食べてもらいたいという思いが募り、大阪から戻ってきた。和佳奈さんは、ラーメンを器でどうしても出したかったそうだ。3月10日に、和佳奈さんの両親が営む店に水が戻り、翌日から店を再開させた。
「器で食べる温かいラーメン」を珠洲の人に
和佳奈さん:
器で提供したら地元の方もたくさん来てくれて、『やっぱり器で食べる温かいラーメンは違う』って喜んでくれました。
そんな2人の思いがつまったラーメンをいただいた。麺のすごいシコシコ具合が第一印象として残る。細麺のストレート麺だが、横浜から仕入れているそうだ。スープも良い感じでトロトロのチャーシューも絶品だ。
昼の営業が終わった後、2人の姿は和佳奈さんの両親が営むイタリアンレストランにあった。ここで洗い物をしているそうだ。実はキッチンカーにはまだ水が通っていない。そのため、両親の店で仕込みや洗い物を行っているんだという。さらに大介さんは、市内で働く解体業者の人のために夜ご飯を作っていた。
聞くと2人、朝から昼は避難所に届ける弁当作りや、キッチンカーでラーメンを提供。夕方からは珠洲市に滞在する作業員の夕食を配達しているんだという。この日のメニューは、リクエストのあったカレーだ。大介さんは、「何かいろんなことに手を出しすぎちゃって…」と話すが、楽しそうだ。
和佳奈さんのおなかには新しい命
夕食の配達中、稲垣アナがある事に気づいた。マタニティーマークだ。実は和佳奈さん、いま、おなかに新しい命を宿していた。4カ月だという。大介さんは、信じられない気持ちと嬉しさがあふれたそうだ。
しかし、まだ地震で道路はガタガタ、つわりにはかなり厳しいと言う。夕食の準備中も、ある程度で部屋を出た。においにも敏感なためだ。それでも協力を惜しまない和佳奈さんに大介さんは、感謝の気持ちを口にしていた。
キッチンカーについて、和佳奈さんは、「珠洲の笑顔があふれるお店、お客さんがまた来られた時にも『戻ってきたよ』とか言って下さる場所になってくれたらいいなって思います」と話していた。大介さんも「今までも珠洲のお客さんに助けられてた部分がたくさんあるので、これから恩を返していきたいなと思います」と力強く語っていた。
(石川テレビ)