樹齢600年の「被爆樹木」をテーマに紙芝居制作

原爆の熱線や、爆風のすさまじさを後世に伝える「被爆樹木」。
長崎市内には27本が残っている。
このうち、爆心地から約800メートルの場所にある山王神社の2本の大クスは樹齢600年とも言われ、長崎市が委託した樹木医による定期的な診断が行われている。

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長崎市出身の歌手・福山 雅治さんは、原爆の熱線を浴びながらも力強く生き続けるクスノキをテーマに歌を作っている。

この、山王神社のクスノキを題材にした紙芝居を作り、平和のメッセージを伝える活動をしている人がいる。
長崎市出身の菅原 真希さん。

菅原さんが2009年に制作した紙芝居「ひろちゃんとの約束」。
大楠と小鳥によって、原爆から守られた女の子の物語です。

紙芝居「ひろちゃんとの約束」
「山王神社の大クスの幹から、小鳥の骨が発見されました」
 ある日、その記事を新聞で読んだ一人のおばあさんが大楠に会いにやってきました。
「小鳥さん・・・あぁ、あなたはこんなところにいたのね。ずいぶん探したのよ」

「大楠はおばあさんの背中を見つめながら誓いました。忘れません。ずっとずっと覚えていますよ。ヒロちゃんのこと、小鳥さんのこと、原爆で亡くなった一人ひとりのことを」

被爆者から聞いた、クスノキから見つかった骨の話を元にし、長崎市が主催した「長崎から伝える平和の紙芝居コンクール」で優秀賞を受賞した。

長崎市出身の菅原さんは、福岡の大学を卒業した後、1年間福岡で教壇に立ち、2008年に被爆者と世界をめぐる船旅に参加した。

菅原 真希さん:
ピースボートは、被爆者の方が世界中をまわって原爆のことを伝えるんですけど、そのときに写真を見せると、モノクロでもものすごい衝撃があるらしくて、写真を絵におこすと少しやわらかくなるんじゃないかと

いまは長崎市の海辺で夫とカフェを営みながら、地域の子供たちに絵を教えたり、平和を伝える創作活動などにあたっている。

紙芝居制作は親子二人三脚で

紙芝居の絵は菅原さんが担当し、文章は母親の明子さんが作った。
明子さんは、小学校の教師として爆心地に近い城山小学校などで勤務し、長年 児童への平和教育などに携わってきた。
紙芝居の上演も、一緒に行っている。

菅原さんの母 吉田 明子さん:
「最後の被爆者の方が亡くなりました」という台詞が紙芝居の中にあるが、その日もこのクスノキは、子供たちの頭上に葉音と共に傷ついた体をさらしながら、子供たちへの訴えが続いていくのだと思う

2人は毎年、8月9日の前後に山王神社で、子供たちを集めて紙芝居の上演を行ってきたが、2020年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため中止とし、絵の展示のみを行う。

菅原さんは、紙芝居の制作を通して、子供の頃から受けてきた平和学習の意味に気付いたと言う。

菅原 真希さん:
子供たちは被爆者の方から話を聞いたり、平和学習を通して学ぶが、それが出せないから、自分の中でため込んで恐怖が増幅したり、苦しかったり、もういやだという話になる。発信していくことで、自分の気持ちも整理が付くし、そのことを丁寧に伝えていくことが大切だったと気付いた

菅原 真希さん:
子供たちが、原爆のことを知るだけではなく、自分で解釈して自分なりの平和のメッセージを発信する。
まずは、家族など身近な人に伝えられるようになればと考えている。

被爆樹木が「物言わぬ証人」として伝え続けるメッセージ。
その命のメッセージを受け取った菅原さんの継承の活動は続く。

(テレビ長崎)

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