2024年夏季五輪の開催地パリから離れること、約1万6000km。
サーフィン競技会場は赤道を越えた南太平洋に浮かぶフランス領ポリネシアのタヒチ島。
沖合に現れる「チョープス」と呼ばれる波の高さは約7メートル。
世界で最も美しく、最も危険な波で雌雄を決する。
サーフィンの原点は、タヒチ島の人々が木製ボードで波に乗っていたことだと伝わる。
南の楽園では、子どもから大人まで幅広い世代でサーフィンは愛されているようだ。
日本のサーフィンの「聖地」で生まれ育つ
一方、日本のサーフィンの「聖地」と呼ばれるのが、千葉・一宮町釣ヶ崎海岸にある“志田下”と呼ばれるポイントだ。

志田下には、海と陸をつなぐように白い鳥居が建っている。
その“志田下“で稲葉玲王(いなば・れお、27)は生まれ育った。
一宮町でサーフショップ「DEEP SURF」を営むプロサーファーの父・康宗さんの影響で5歳からサーフィンを始めた。
プロサーファーの父・稲葉康宗さん:
ここはサーフィン銀座ですから、この道(九十九里ビーチライン)の両側にズラーっと並ぶサーフショップのオーナーのほとんどが昔からの知り合い、先輩・後輩とか顔見知りで、子どもたちとも海に入る。だから玲王が、サーフィンを始めるのは自然なことでした。

玲王少年はごく自然にサーフィンを始めた。就学前、5歳だった。
「やっぱ、波に乗るのは気持ちいい。狙った波に乗れた時は最高」

父の背中を追いかけ、「聖地」の波で上達する玲王少年は2010年、プロトライアルに挑戦し見事に合格。
13歳、史上最年少でプロに認定された。
「将来の夢は?」と聞いた時、はにかんで答えた。

「お父さんと同じ波に乗りたい」
プロサーファーとなったころから、父の知り合いを頼り、ハワイのサーフィン仲間のもとで練習をする日々が当たり前になった。
海外生活が中心となった最年少プロサーファーの母・弘江さん:
本人がやりたいっていうこと、できるだけ応援、それしかできないですから。本心は、すっごくさびしーぃですよぉ、それはね」
まな息子のスーツケースに、そっと好物のスルメイカを入れてきた。
東日本大震災の津波は九十九里海岸にも
2011年3月11日 東日本大地震。
千葉県沿岸部、九十九里海岸にも津波は押し寄せた。
一家は近隣のホテルへと避難した。
津波はビーチラインを侵食し、「DEEP SURF」にまで押し寄せた。
康宗さんは、ぼうぜんと黒い波を見つめていた。
プロサーファーの父・稲葉康宗さん:
揺れたし、怖かったし、こんなところまで波が来るんだと驚きました。でも一番大変だったのは地震のあとでした。原発事故で飛散した放射性セシウムが九十九里海岸の海水に含まれているといううわさが広がったのです。
例年、サーフィン銀座を訪れる人たちの足が、突然遠のいた。
ショップ、飲食店、宿泊施設では、閑古鳥がゴールデンウィークを過ぎても鳴き続けた。

サーフショップ仲間たちは一致団結して、一宮町そして漁協と連携した。
海水や空気中のセシウム含有量の測定値を日々発信し、九十九里海岸の安全性を訴え続けた。
最年少プロの玲王くんも、そんな父たちと行動を共にした。
稲葉玲王選手:
きれいな海だし、育った海だし、みんなに来てほしいし。だからオリンピックをここでやると決まった時は本当うれしかったです。
海からやってきた神が陸に上がった伝説の場所
サーフィンの聖地と呼ばれる“志田下”。
世界大会に向かう前、サーファーたちは“志田下”で波に乗ってから旅立つともいわれている。
ここは海からやってきた神が陸に上がった場所という伝説が残っている。
志田下の大鳥居から西に進むと、パワースポットとして名高い玉前神社がある。

海から昇る朝日の光は、本州の最東端の玉前神社を起点に、西へ進むと神奈川・寒川神社→富士山→琵琶湖に浮かぶ竹生島→京都の皇大神社→大山にある大神山神社→出雲大社まで。東から西へと貫く1本のレイラインとなっている。
そして玉前神社の境内には“さざれ石“が鎮座している。
君が代の歌詞にある「さざれ石の巌(いわお)となりて」の、さざれ石である。
2013年6月、ニカラグア・サンタナビーチ。
サーフィン会場で、初めて「君が代」が流れた。
国別対抗団体戦アロハカップで日本が優勝を果たしたのだ。

日本の若き男女5人が表彰台の頂点で君が代を歌った。
ポイントゲッターは16歳の稲葉怜王だった。
2021年7月。東京五輪ではアメリカに暮らす五十嵐カノアが銀メダル、女子は都築有夢路が銅メダルを獲得した。

試合会場となったのは、釣ヶ崎海岸。
稲葉玲王は惜しくも代表を逃した。24歳だった。
パリ五輪日本代表に正式決定
2024年3月。パリ五輪日本代表が正式決定した。
稲葉玲王選手:
東京の時は悔しかったけど、頑張れば、こういう結果になる。
最年少プロになってから14年。

スリムだった体型は、世界の波にもまれ、塩に焼かれて見違えるほどたくましくなった。
赤銅色に日焼けし、胸板の厚い27歳。
「楽しいのがサーフィンですから」
南半球の大海原に浮かぶタヒチ。
画家・ゴーギャンも愛した南の楽園で生まれたサーフィン。
北半球の島国・日本の大きな鳥居が建つ海岸にもサーフィンを愛する人たちは暮らしている。
“志田下”で生まれ育った青年は、世界一美しく危険な波を心から楽しむつもりだ。
「狙いは金メダル一本です」
笑顔は少年のままだ。