韓国の急激な少子化に歯止めがかからない。女性1人が生涯に産む子の数を示す合計特殊出生率は、2023年に0.72まで落ち込んだ。前年の0.78から0.06ポイント下がり、8年連続で過去最低を更新した。経済協力開発機構(OECD)加盟国のうち、出生率が1を下回っているのは韓国のみだ。下位の日本(1.26)やスペイン(1.19)と比べても、断トツで最下位の状態が続いている。

「非婚」「非出産」を選択する女性が増加

少子化に歯止めがかからない理由として、高い教育費や住宅価格の高騰など経済的な負担の大きさが指摘されている。

韓国では歴代政権が17年間に37兆円を投じ、少子化対策を進めてきた。尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権でも子育て家庭への住宅購入支援や子育て手当支給などの対策を打ち出しているが、目立った効果は出ていない。

韓国で少子化がこれほど急激に進んだのはなぜだろうか。

結婚や出産では「明るい未来」が得られないと考える女性が増えているという
結婚や出産では「明るい未来」が得られないと考える女性が増えているという
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結婚や出産を「放棄」する若者が増加したのは、単に経済的な理由だけではない。特に若い女性たちの間に結婚・出産に対する否定的な考えが広がったと感じる。結婚や出産では「より良い人生」「明るい未来」「自己実現」が得られないと考え、自ら「非婚」「非出産」を選択する女性が増えているのだ。

こうした認識の変化は何に起因しているのか。女性の意識の変化から少子化を考えてみたい。

良妻賢母から「高学歴専業教育ママ」へ

筆者が韓国に留学した1980年代当時、韓国の女子大生にとって進路の選択肢は多くなかった。就職しても結婚前の腰かけ扱いが一般的で、いずれ結婚し家庭に入ることが前提とされた。女性は良妻賢母になることが求められ、それが常識とされる保守的な時代だった。

筆者の友人は地方局のアナウンサーに合格したが、結婚が決まると、姑の意向で辞職した。個人的には「もったいない」と思ったが、女性は家に尽くすことが優先され、自己実現のために仕事を続けるのは不可能に近かった。

韓国の女子大学生(1980年)
韓国の女子大学生(1980年)

この世代の女性たちは家父長制度的な慣習のもと、家事労働や祭祀などの親族行事などで嫁としての伝統的な役割が求められた。女性の自己犠牲を前提とした「良妻賢母」の立場に変化が生じたのは、1990年代に大学を卒業した女性たちの世代からだ。

女性の大学進学率は1990年の32.4%から急増し、2005年には80.8%に達し、その後も70%台後半の高い進学率が続いている。女性の高学歴化は労働市場にも反映され、2000年代にかけて女性の管理職・専門職進出が加速した。

就業女性が結婚や出産の前後に仕事を中断するのは日韓共通の現象となっているが、韓国ならではの特徴も見られる。日本では出産後の職場復帰が早まっているのに対し、韓国ではいったん仕事を中断すると、高学歴層の女性ほど仕事に復帰しない傾向が指摘されている。

韓国の専業主婦を分析した柳采延(ユ・チェヨン)常葉大学講師の研究によれば、仕事を辞め専業主婦となった高学歴の女性たちは子どもの教育に専念する現象が生じているという。出産や育児によって1回仕事を中断すると以前と同様の待遇を受けることができない就業構造の問題もあるが、母親の教育への関与の形態が大きく変化したことも一因となっている。

大学修学能力試験の際には会場の外には受験生の家族の姿も見られる(2023年11月)
大学修学能力試験の際には会場の外には受験生の家族の姿も見られる(2023年11月)

大学受験をモチーフにした韓国ドラマ「SKYキャッスル」には、塾講師の手配から受験の段取りまで母親が「教育マネージャー」としてすべてを取り仕切る姿が描かれている。ドラマの中で母親は「教育の管理、マネジメント」全般を統括し、教育を「仕事化」している。子どもの教育で成果を挙げることが母親の評価を高め、自己実現の欲求を満たすことができる。専業教育ママは女性の社会進出に十分対応しきれない社会の中で、「良妻賢母」の枠を超えた新たな選択でもあったと言える。

「キャリア断絶」と「ママ虫」

だが、この状態にも変化が生じている。高学歴専業ママから教育を受けた子ども世代は「同じ体験を子どもにさせたくない」「自分が子どもに同じことをしてやれる自信がない」と口にする。大学受験に成功してもさらなる競争が続く韓国社会で、物理的・精神的なゴールを見出すのは容易ではないからだ。

特に問題となっているのは女性の「キャリア断絶」だ。韓国では「経歴断絶女」、略して「経断女(キョンダンニョ)」と言う。結婚や妊娠・出産、育児などでキャリア断絶を余儀なくされた女性が再就職した場合、職級や給与の面で待遇が以前より悪くなるケースが圧倒的だ。再再就職の場合は再就職時よりさらに悪化する。

教育に自己実現を求めずとも、職場や社会の中で活躍する女性が増え、選択肢も多様化した。

男女ともに独身者、単身家庭が増加し、もはや「結婚しなければ一人前ではない」とは言えない世の中だ。女性が自身の人生を重視するために、結婚・出産を拒否するハードルは下がりつつある。

一方で、子育て女性を取り巻く韓国社会の状況は厳しいままだ。

「ママ虫」というスラングは、韓国社会の根底に“子連れの母親は迷惑”という考え方が根強く残ることを示す
「ママ虫」というスラングは、韓国社会の根底に“子連れの母親は迷惑”という考え方が根強く残ることを示す

2016年に韓国で出版されベストセラーになった小説『82年生まれキム・ジヨン』(チョ・ナムジュ著)では、出産により退職した主人公が社会からの疎外感に悩む姿が共感を集めた。象徴的なのが、ベビーカーを引いて公園でコーヒーを飲もうとした主人公を見たサラリーマンが、「ママ虫はいいよな」と揶揄する場面だ。「ママ虫」はネット上のスラングで「周囲に配慮しない勝手な母親」を意味する。韓国社会の根底に子連れの母親は迷惑だという考え方が根強いことを示す言葉でもある。

カフェなど公共の場にノーキッズゾーンが設けられ、子どもを排除しようとする動きもある。客に快適さを保証するための措置ともいえるが、子ども、障がい者、老人など社会的弱者への嫌悪につながりかねないリスクもはらむ。経歴断絶のハンデにも関わらず、子供を産み育てているのに侮蔑され、排除されるなら、誰が子どもを産みたいと思うだろうか。

このままの勢いで少子化が進めば「国家が消滅」する――韓国では危機感が強まる。

しかし、結婚・出産は強制されてできるものではない。

雇用や住宅支援など経済的な要因が満たされたからといって、単純に出生率が増えるというものではないことは、過去の少子化対策の失敗が示している。

今必要なのは、女性に抑圧的な社会状況を根本的に変えていく努力ではないだろうか。

子育てと仕事の両立、厳しい競争圧力の緩和、そして何より弱者に寛容な社会をつくること。多様な生き方を認め、将来に希望が持てるようになって初めて、結婚・出産を肯定的に考えることができる。

日本でも非婚・非出産を選択する若者は増加傾向にあり、韓国の少子化は他人事ではない。「産めよ、増やせよ」ではない、社会的な価値観の転換をうながす少子化対策が求められている。
(フジテレビ客員解説委員、甲南女子大学准教授 鴨下ひろみ)
(表紙デザイン:さいとうひさし)

鴨下ひろみ
鴨下ひろみ

「小さな声に耳を傾ける」 大きな声にかき消されがちな「小さな声」の中から、等身大の現実を少しでも伝えられたらと考えています。見方を変えたら世界も変わる、そのきっかけになれたら嬉しいです。
フジテレビ客員解説委員。甲南女子大学准教授。香港、ソウル、北京で長年にわたり取材。北朝鮮取材は10回超。顔は似ていても考え方は全く違う東アジアから、日本を見つめ直す日々です。大学では中国・朝鮮半島情勢やメディア事情などの講義に加え、「韓流」についても研究中です。