「原発事故があった地域だからこそできる、新たなまちづくりを」…阪神淡路大震災を経験した女性が、東日本大震災の被災地へ移住。原発事故で失われたコミュニティが、どのように戻り新たに生まれていくか、寄り添いながら見つめている。
災害と向き合う移住者
2024年2月、福島県浪江町で進められていたのは住民による防災マップ作り。その輪の中にいる葛西優香さんは、3年前に浪江町に移住してきた。「災害の時に助けを求められる人、助けたいって思う人がいる町って、そういう町があるべきだなってずっと思っている」と葛西さんは話す。

阪神淡路大震災で被災
葛西さんは「東日本大震災・原子力災害伝承館」で常任研究員を務めている。研究テーマは「双葉郡でどのようなコミュニティが戻り、生み出されているか」

その原点には、自らの被災経験があった。阪神淡路大震災…大阪出身の葛西さんは当時小学2年生だった。「ゴジラが来て、私が生まれた大阪を踏みつぶしていってるんだと思った」と振り返る。歪んだドアをこじ開け、母と姉とともに必死に外へ避難。そこで「大丈夫!?」と声を掛けてくれたのか近所の人だった。

「普段いつも見ている方が目の前にいて、声をかけてくれてすごく安心して、我に返ることができた」という。コミュニティが災害時に人を助けることを、実感する原体験となった。

転機となった東日本大震災
そして東日本大震災。当時、東京で会社員だった葛西さんは、パニックになる同僚たちの姿に衝撃を受け、防災研究の道に進むことを決心した。

研究の転機となったのは2017年。避難指示解除直後の、福島県浪江町を訪れたときだった。
「この町に来た時に、人の営みというものがなかった。でも、ここでも絶対必要とされるコミュニティが戻ってくるだろうと。それをちゃんと見たうえで、他の地域にも伝えて行きたいっていう思いがあった。この浪江に住んで、皆さんと共に時間を過ごしたいと言うふうに思った」

町民のこれまでに耳を傾ける
この日、葛西さんが訪ねたのは、避難先から浪江町に通う志賀さん夫婦と妹の宮下由三子さん。宮下さんは近い将来、浪江町に戻ることを検討している。
原発事故以前と以後、そして現在。人々がどんな繋がりの中で過ごしてきたのか、丁寧に耳を傾ける。

復興を肌で感じる
葛西さんが住む行政区では、2015年に住民の有志で傷んだ神社を再建する委員会が結成され、2022年には神社での盆踊りが11年ぶりに復活した。
「病院とかそういうものではなくて、生活の中に当たり前に馴染んでいたものから復活させて行くんだなということを学ばせていただきました」と葛西さんは話す。

町民に寄り添って
駅周辺の整備計画や国の研究施設の建設など、環境が大きく変化している浪江町。
葛西さんは町民と一緒に、変化を受け入れながら残すべき浪江の文化や歴史を探していきたいと考えている。

「人の繋がり、今まであった繋がりをそのまま継承していきたいっていうお話があったので、やっぱりそこを守り続けるということが大事なんだと思っています」

(福島テレビ)