
突然の訃報だった。「Dr.スランプ」や「ドラゴンボール」など、数多くのヒット作品を世に送り出した漫画家の鳥山明さんが亡くなった。世界中が悲しみに包まれている。
■【動画で見る】【鳥山作品で育った子供たち】ジャンプ発売日 みんな書店に走りました。記念写真で「かめはめ波」ポーズしました。
■日本、アメリカ、メキシコ… 世界で愛された鳥山作品
大阪では…
(Q鳥山明さんが亡くなられました)
娘:
え!全然知らんかった...
母親:
アラレちゃん、めっちゃ好きやったんですよ。

男性:
えっという感じですね。本当に驚きですね。
男性:
『かめはめ波』の素振りしてましたよ。
アメリカでも…
男性:
本当に?きょう?うそでしょ、とても悲しい...

女性:
オーマイゴッド!私はメキシコ人なのですが、メキシコではとても人気です。ドラゴンボールZは大人気です。
所属事務所によると3月1日に急性硬膜下血腫により亡くなった鳥山さん。68歳だった。
「Dr.スランプ」や「ドラゴンボール」など、数多くのヒット作を生み出し、世界中で多くのファンを楽しませてきた。
所属事務所は、「突然のご報告になりますが、漫画家・鳥山明は2024年3月1日、急性硬膜下血腫により永眠しました。故人は漫画家としていくつもの作品を世に残してまいりました。多くの世界中の方々に支持していただき、45年以上にわたる創作活動を続けることができました」とコメントを発表した。
■「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」。「ドラゴンクエスト」のキャラクターデザインも
鳥山さんは、1978年「週刊少年ジャンプ」の読み切り作品「ワンダー・アイランド」で漫画家デビュー。

その2年後に、名作「Dr.スランプ」を世に送り出す。人間型ロボット、アラレちゃんが天真らんまんに活躍するギャグ漫画「Dr.スランプ」は、アニメ化もされ、「んちゃ!」「バイちゃ!」「キーン」などの流行語を生み出す大ヒットとなった。

そして1984年には、しっぽが生えた少年・孫悟空の冒険を描いた「ドラゴンボール」の連載をスタート。この作品は「週刊少年ジャンプ」の代表作に成長し、単行本は世界中でも大ヒット。累計発行部数2億6000万部以上を記録している。
個性あふれるキャラクターに画期的な戦闘シーンなど、現在の漫画やアニメにも大きな影響を与えたドラゴンボール。連載から40年たった今でも、人気の衰えを感じない、まさに漫画家・鳥山明さんの代名詞になった。
そして、鳥山さんはドラゴンボールの人気が絶頂の中、漫画やアニメとは別の方面からも社会現象を作り出す。

1986年、日本中でブームを巻き起こし、その後、世界的な人気ゲームになる「ドラゴンクエスト」シリーズのキャラクターデザインを担当。「スライム」など、おなじみのキャラクターを生み出した。

ドラゴンボールファン:
ドラゴンボールがきっかけで友達になった小学校の友達と今も仲が良くて。きょうも亡くなった連絡が友達からきた。

ドラゴンボールファン:
(「ドラゴンボール」グッズの)四星球(スーシンチュー)を買いました。悟空のかわいさとかっこよさと強さが好きで見始めました。素敵な作品をたくさん生み出してくださって、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
■「本当にドラゴンボールがあったらいいのに」
去年、アメリカ・ロサンゼルスで開催された「アニメエキスポ2023」には、ドラゴンボールのキャラクターに扮した人が多数来場するなど、鳥山明さんの作品は、日本だけでなく世界中で愛されている。

8日、ロサンゼルスでは…
街の人:
とてもとても悲しいです。大好きな俳優が亡くなったときのようです。
街の人:
彼は非常に創造性のあるクリエイターなので残念です。ドラゴンボールZはアメリカでとても有名です。みんな見てますよ。子供たちも大好きです。
中国では…
街の人:
子供のころに読んでいた漫画の作者が去ってしまいつらいです。この世にドラゴンボールが本当にあったらいいですね。

街の人:
私は漫画の初版をもっています。作品の世界観はとても壮大で、私が子供のころに見た中で最も壮大でした。
■愛知県清須市のロゴや、名古屋東山動物園のコアラ舎のレリーフも鳥山作品
愛知県で生まれ清須市に住んでいた鳥山さん。来年で合併から20年となる清須市のロゴマークのデザインもしていた。

清須市 永田純夫市長:
鳥山先生にお話を持ち掛けたところ、2、3日ぐらいでお返事いただいて、光栄で正直うれしい限りだった。鳥山先生は本市だけじゃなくて、世界的な漫画家の先生でありまして、突然の訃報でびっくりとしか言いようがない。
さらに、名古屋市にある「東山動物園」には…
記者リポート:
コアラ舎にあるレリーフ。実は鳥山さんがデザインしたものなんです。

偶然にも、「週刊少年ジャンプ」でドラゴンボールの連載が開始した1984年11月20日にお披露目されたということだ。
東山動物園の来園者:
子供の時、ドラゴンボールを見ていたので、そう言われると目とかそういう風に見えてくる。
東山動物園の来園者:もう会えないと思ったら寂しいですけど、こうやって後に残る形であったらいいですよね。写真撮って帰りましょう。
多くの人に影響を与えた鳥山さんの作品。所属事務所は「熱心に取り掛かっていた仕事もたくさんあり、まだまだ成し遂げたいこともあったはずで残念でなりません。これからも鳥山明唯一無二の作品世界が、末長く皆様に愛され続けることを切に願います」とコメントしている。
葬儀は近親者のみで行われ、今後、お別れの会などについては決まり次第発表するという。
■愛知県出身で1978年に漫画家デビュー

鳥山明さんは、愛知県出身で1978年に漫画家デビューした。その2年後の1980年に「Dr.スランプ」が連載開始。1984年に「ドラゴンボール」が開始した。「ドラゴンボール」のコミック累計発行部数は2億6000万部を超えた。
さらに、人気ゲーム「ドラゴンクエスト」のキャラクターデザインも担当。
■「みんな両手広げて『キーン』って走った」
「newsランナー」コメンテーターの兵動大樹さんは、「僕ら『Dr.スランプ』から。みんな両手広げて『キーン』って走ってね。『んちゃ』って言って。みんなやってましたから。そっから『ドラゴンボール』に入って行くから、どんなだけすごい世界観を何個も持ってる方だろう。もう鳥山さんなしでは、僕らの子供時代は本当に語れない」と話した。
同じくコメンテーターで京都大学大学院の藤井聡教授は「70年代、80年代、そして90年にかけて、日本がまだ小っちゃな国だったのが本当に世界の『ジャパンアズナンバー1』になっていくときの中心になったサブカルチャーで、これぞ日本っていうもの。いまだに日本といえば『ドラゴンボール』と思ってる方がいっぱいいるぐらいです。われわれの幸せのためにも、日本国家を背負ったような勢いもあるというぐらいのすごい方だったなあと思うと、本当に悲しいですね」と話した。
影響を受けた方は多く、漫画「ONE PIECE」の作者、尾田栄一郎さんは「鳥山先生の残された創造性豊かな世界に敬意と感謝を込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。天国が先生の思い描いた通りの愉快な世界でありますように(抜粋)」とコメントしている。

これからも日本で、そして世界で鳥山さんの作品は愛され続けることでしょう。謹んでお悔やみ申し上げます。
(関西テレビ「newsランナー」 2024年3月8日放送)