「まさか正月にこんなことになるなんて夢にも思わなかったし、現実を受け止められない」
地震から1カ月以上が経過した2月6日。
輪島の朝市通りで和菓子店を営む、女将の塚本民子さん(72)は骨組みだけが残り変わり果てた姿の店を見て話した。

「これが現実なのか」一瞬にして変わった景色
1月1日、孫と一緒におせち料理を楽しんでいた時、突然経験したことのない大きな揺れに襲われた。
店のショーケースもタンスも倒れ、食器棚から飛んできた皿が指に当たりケガをしたが、血を流しながら一目散に外に飛び出した。
外に出た瞬間目にしたのは、前日に「来年もよろしくね」と挨拶を交わした近所の人の家が屋根から崩れている光景だった。ぼうぜんとするなか、息子に連れられ、高台にある自衛隊の基地を目指して必死に走った。
「人生はこんな一瞬にして変わってしまうのか」
道中で倒れた電柱、歪んだ道路を見ながら、これから先への不安が押し寄せた。
高台にたどり着いた後、朝市通りのあたりが炎に包まれているのを目にした。

約200棟を焼いた大規模な火災。思い出の詰まった店も失った。
朝市通りで愛された「えがらまんじゅう」

塚本さんは86年続く和菓子店「饅頭処つかもと」を、輪島朝市通りで、夫と息子と家族3人で営んでいた。
店の看板商品は鮮やかな黄色が特徴的な「えがらまんじゅう」。

もち粉をこねた生地でこし餡を包み、クチナシで黄色に染めたもち米の粒をまぶした石川県の郷土菓子で、店では毎朝生地をこねて蒸したてのものを提供していた。

塚本民子さん:
あんこを見るのも大嫌いという人もうちのまんじゅう食べて美味しいと言ってくれたり、365日必ず買いに来てくれるお年寄りの方もいて、とにかく笑顔でまんじゅうを買いに来る人を見るのが生きがいでした。
「輪島を元気にしたい」店の再建に向け…
一瞬にして日常の景色を奪い去った地震に多くの人が絶望する中、塚本さんは前を向いていた。
塚本民子さん:
なにか動かないと気が済まないんです。うちのまんじゅうが好きと言ってくれている人が何百人といる。一刻も早くまんじゅうを作って元気な姿を輪島市民に見せたい。
2月6日、輪島市にある工務店に姿を現した塚本さんは、店を再建させるための計画を進めていた。

朝市が再建するまで、まんじゅうを作る場所として、塚本さんが所有している輪島市内の畑に工場を建てようと考えている。
再建に向け始動も、立ちはだかる壁
しかし、畑に工場を建てるためには「農地転用」という県の許可が必要になる。
「農地転用」を申請するには設計図や資金計画書など様々な書類を提出しなければならないため、火災で多くのものを失った塚本さんにはハードルの高いものだった。
塚本さんの息子 圭一郎さん:
農地転用は誰に聞いても時間と手間がかかると言われ、2~3年かかるとも言われた。そんなに待っていたら仕事にならない。
さらに工場の建築費、まんじゅうを作る機械の費用も、とても自己負担できる金額ではないと肩を落とした。
それでも輪島で…

塚本民子さん:
農地転用の問題がある、早くゴーサインが欲しいです。でもメラメラと燃えているんですよね。輪島が大好きなんです。生まれた土地だし、のんびり癒される。ここが世界で一番なんです。なにかできることはないかなと模索して足元からコツコツやっていく。輪島の復興のため、「えがらまんじゅう」の味を後世に伝えていくために命の限り頑張りたい。
(執筆:FNN取材団 北山茉由)