「何で辞める必要があったのですか?」

 
 
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平井:
去年7月に防衛大臣をお辞めになったんですけども、あの時、何で辞める必要があったのですか?
日報は、非常に複雑な行政文書で見せろと言われれば見せなければいかん。
しかし、内規は「一年未満で廃棄してもよい」というルールでしたよね。

稲田:
はい。廃棄しなければならないですね。「一年未満、用済み後、破棄」というルールです。

平井:
不思議なルールで分かりにくいですよね。無いって言ったら実はあったと。
それは紙なのかデータなのかよく分かんないので、色々探さなかったと。むしろ防衛大臣として残って、公文書管理の問題をきちんと改革したほうが良かったのではないですか?

稲田:
元々、公文書管理担当大臣もやってましたから公文書の大切さは強く認識しています。
南スーダンは私自身も視察に行きました。南スーダンの現地の部隊が、非常に詳細な日報を作っているんですよ。
それを12月に「ありません」と言うのを聞いた時に、現地の部隊が一生懸命作っているものを本当に”用済み後破棄”で、破棄したんだろうかと素朴に疑問に思いました。
探せばあるんじゃないの?って。ですから「あれば出そう」と指示しました。結局見つけて、統幕から出した。
しかし、その後、「他の部署にもあった」「指示を受けて消去した」などといった報道があったことを受け、特別防衛監察をしたという経緯です。
特別防衛監察をして初めて知ったことがたくさんありました。
一つは私が大臣になる前の7月の話です。当時大きな衝突がありましたが、その時既に「出さない」と決めていたんです。
それも特別防衛監察をして初めて分かったことです。
7月に「出さない」と決めたので、出せなくなったというのはひとつあると思います。

もう一つは、実際には「日報」は部内で4万人がダウンロードして見られる状況にあることが判明しました。だとすると、どこかに絶対ありますよね。
それが当初「ない」ということになっていた。何故なのかっていうことがあって、7月の段階では日報問題で連日大騒ぎになって、結局次官も陸幕長も責任をとって辞めるということになりました。
そうしますと、自分自身も安倍政権の一員として、これ以上安倍政権へダメージは与えられないという思いもありましたので、監督責任をとって辞めるっていうことで私の中ではスッキリきました。

“稲田いじめ”に“国民的稲田バッシング” もうこりごり? 

 
 

平井:
当時ね、国民的稲田バッシングみたいなのがあって、例の「自衛隊も防衛省も応援します」っていう稲田さんの言葉が公選法違反じゃないのに違反だって言われたことありましたよね。
また、キャピキャピした格好で、部隊見に行ったとかですね。

稲田:
それも誤解ですよ。防衛大臣になってからは、自分で言うのも何なんですけど、非常に服装には気をつけていました。
最初に批判されたのは、深夜便で海外に行く時の服装ですよね。サングラスをかけて、パンツをはいて、キャップをかぶっていました。実は、あれは深夜便なので化粧を落として、すっぴんだったんです。そんな姿を人様にお見せすべきではないと。
部隊に行くときは、カーキ色のブルゾンとか然るべき格好をしておりました。まぁ、何を”キャピキャピ”と言うかなんですよね。
クールジャパン戦略担当大臣の時のパリでの服装、あれは、現地の参加意識です。会場では「カワイイミニスター」と呼ばれて大ウケでしたよ(笑)。コスプレイベントでスーツでいる方が変ですよね。自分としてはそのTPOに合わせていたつもりなんです。でも髪型やアクセサリーなど、批判されましたね。

平井:
防衛に詳しい政治家を防衛族と言いますが、実はそれに防衛省の背広組、制服組、記者も入って、みんなで防衛族なんですよ。
で、「女が来るんじゃねぇ」というような意識がちょっとあるんです。
で、多分稲田さんに対してもそういう意識があって、稲田いじめみたいなのがあったのかなと。自分でそう思いませんでした?

稲田:
いじめというと、ちょっと変なんですけど、私はもともと防衛族ではありませんでしたし、しかも女性の防衛大臣が来るということについて、違和感を持っておられるというのは、非常に感じました。

平井:
なぜかね、官僚以上に政治家や記者がそういう感じでしたね。

稲田:
そうですね。よく、防衛省の官僚たちとうまくいかなかったみたいなことを言われるんですけども、それを感じたことはまず無かったですね。

平井:
防衛大臣っていうのは、こりごり?もうやりたくない?

 稲田:
そんなこと思いません。すごく私は色んな意味で勉強になりました。厳しい安全保障環境の下で、一定の成果を上げることが出来て光栄だったと思いますし、防衛省の中の、意思疎通の悪さとか風通しの悪さとか、改革の必要性を強く感じました。

日報を何でもかんでも公開する必要はあるのか?

 
 

平井:
日報問題でね、ひとつ最近すごく気になったことがあります。
確か自衛隊出身の自民党の衆院議員が、「日報を何でもかんでも公開するな」みたいなことを言いましたよね。
確かに、そんな国ないですよね?

稲田:
ないです。

平井:
ちゃんとした民主主義国家においては。
今、小野寺大臣が日報をどんどん出してますね。それは法律で決まっていますから、出すんですけども。
出すのやめるっていう選択肢はないんですか?

稲田:
それ是非検討してもらいたいです。
PKO活動期間中の「戦闘隠し」の話がありましたよね。
「戦闘」っていう言葉が日報に書いてあるので隠そうとしたんだろうっていう話があるんですけども、それは全くありません。
一般的には「戦闘」と、あのPKO5原則に関わる「戦闘行為」というのは、まったくの別概念です。
PKO5原則の戦闘行為、5原則に関わる戦闘行為があったと言ったら、すぐ撤収しなきゃいけない。

私は「戦闘」と思えば「戦闘」と書くようにと言ってきました。
国会で議論がされているからといって、「戦闘」と書きづらくて「武力衝突」と書くのはおかしいので、「戦闘」と思えば「戦闘」と書くようにということは、言ってきたんです。

ただ、実際、国会の議論と現地の日報でどう書くかっていうことは気にするなと言っていても、現地の部隊は気にすると思うんですよね。それ自体、本当の実情が伝わってこない。
日報に書けないって言うのはよくないので、例えば、欧米諸国のように、何十年後かに全てを公表するというやり方も一案かもしれません。
今だったら黒塗りにした部分は、何年たっても黒塗りのままでしょ。
むしろ何十年か経てば黒塗りの部分も外して、しっかり公開するってことも有意義なことではないでしょうか。
 

“私らしさ”を忘れていたあの頃・・・

平井:
もし安倍首相から、「稲田さん、もう一回防衛大臣やってくれ」って言われたら何をしたいですか?

稲田:
陸海空の縦割りの改革です。
あとは、内局と制服の間の意思疎通を改善する。風通しの悪さを非常に感じましたからね。
日報の問題でも、すぐに、部隊ないし制服の方々が内局に相談に来られたら、こんな大事にはならずに済んだと思います。
安全保障上や外交上の問題があったり、プライバシーの問題があれば、その部分は黒塗りをして出せばよろしいわけですよ。
ですから、もう少し意思疎通をはかれば良かったのです。それは文民統制の問題もありますが、国民に対する説明責任の在り方はもっと考えた方がいいと感じています。

 平井:
今回の稲田さんの防衛大臣辞任っていうのは稲田さんにとっては初めての挫折ですね。
みんな覚えているのは、稲田さんの野党時代の民主党政権に対する舌鋒鋭い追及です。
当時、何人か自民党に予算委員会のスターがいて、衆参両院でガンガンやりましたよね。向こうはヘトヘトになったわけです。
稲田さんは、あの時の政権奪回の、キーパーソンだったわけです。
そのあと規制改革担当大臣、政調会長、防衛大臣になって、ずっと安倍さんの秘蔵っ子として活躍し、まさにポスト安倍にも名前が挙がっていました。
それが稲田バッシングが始まった時には、特に左の方から、「今のうちに潰しておけと」というエネルギーをものすごく感じました。
一番何が悪かったと思いますか?

稲田:
今から考えると、案外自分らしくなかっっていうところが大きいかな。

平井:
それはどういうこと?

稲田:
私の良さと言ったらおかしいですけど、やっぱり言いたいことを言う、やりたいことをやる。そして自分が正しいと思ったら、やるっていうところだったんです。
それなのに、あまりにも、守りに入ったし、首相に迷惑かけちゃいけないという思いが強かった。
いや、もちろん防衛大臣は重要な職責なので当たり前なんですけど。
この1年を振り返って一番思うことは、自分らしくなかった、ということです。

 平井:
攻撃は最大の防御なりって…

稲田:
やっぱり自分らしくやりたいことをやる。
もちろん挫折で勉強したことも多いんですけれど、そういう自分の中で「これはやっちゃダメ」とか自分の中の限界みたいなものを作ったことが、かえって良くなかったなと、反省しています。

(対談日:平成30年4月24日)
 

平井文夫
平井文夫

言わねばならぬことを言う。神は細部に宿る。
フジテレビ報道局上席解説委員。1959年長崎市生まれ。82年フジテレビ入社。ワシントン特派員、編集長、政治部長、専任局長、「新報道2001」キャスター等を経て現職。