「今回、還暦という節目の誕生日を迎えることに、信じられないような気持ちがいたしますが…」

12月9日に誕生日を迎えられた皇后雅子さま。お誕生日に際してのご感想では「これからまた新たな気持ちで一歩を踏み出し、努力を重ねながら、この先の人生を歩んでいくことができればと思っております」と、60年の人生を穏やかに振り返られたが、お妃候補として注目され、結婚後には、陛下が「世継ぎ問題についても、様々な形で大きなプレッシャーが掛かっていました」と述べられたこともあった。

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60歳、ご結婚30年、皇后雅子さまのこれまでの日々を振り返る。

21年ぶりの国際親善訪問

12月9日、60才の誕生日を迎え、陛下と共に上皇ご夫妻への挨拶に向かわれた皇后雅子さま。同日に寄せた文書には、そんな節目の年に心に残ったこととして、こんなお言葉がつづられていた。

2023年6月、陛下と共にインドネシアを訪問された
2023年6月、陛下と共にインドネシアを訪問された

「6月には、天皇陛下と御一緒に、令和になって初めて国賓としてインドネシアを訪問いたしました」
「当初は不安もありましたが、多くの方に温かく迎えていただき、お陰様で、貴重な経験に満ちた思い出に残る初めてのインドネシア滞在となりました」

それは、雅子さまにとって実に21年ぶりとなる外国への親善訪問だった。

フジテレビ 宮内庁担当・宮﨑千歳記者:
国際親善のための外国訪問を本当に久しぶりに果たせたということは、本当に自信につながる大事な一歩になられたのではないかというふうに感じました。

なかでも印象に残ったというのが、陛下と別々の行動を取られた場面だったという。

フジテレビ 宮内庁担当・宮﨑千歳記者:
陛下は大統領とお話しになっていて、皇后さまは大統領夫人から宮殿の中を案内されて、もてなしを受けられていました。やはりお一人ですと緊張ですとか、ご負担もあったと思うんですけれども……。

「バティック」を体験された
「バティック」を体験された

その際、雅子さまは「バティック」と呼ばれる伝統的な「ろうけつ染め」を積極的に体験され、予定にはなかったという伝統衣装の試着にも喜んで応じられていた。

伝統衣装の試着にも喜んで応じられた
伝統衣装の試着にも喜んで応じられた

フジテレビ 宮内庁担当・宮﨑千歳記者:
本当に自然な流れで勧めに応じられていて、その時にカメラに対してお見せになった、本当に自然体の笑顔っていうのは、今回の訪問の中でもすごく重要な場面だったのではないかなと思います。

この笑顔を、国民はどれだけ待ちわびたことだろう。

陛下と歩んだ30年

1963年12月9日生まれ、外交官の父と共に幼い頃から外国暮らしが当たり前だった少女は、いつしか英語やドイツ語など様々な言語を身につけ、超難関の外交官試験に一発合格する才女へと成長した。

1993年6月9日にご結婚
1993年6月9日にご結婚

そんな雅子さまに惹かれ、プロポーズされたのが皇太子時代の陛下だった。

晴れて結婚し、皇室に入っても国際親善に力を尽くしたい、そう願われていた雅子さまだったが、“お世継ぎ問題”という厳しい現実に直面された。

2002年12月、ニュージーランドとオーストラリアをご訪問
2002年12月、ニュージーランドとオーストラリアをご訪問

なにせ最後の国際親善は、愛子さまが誕生された翌年の、21年前に遡る。2004年には陛下が会見で「ことに雅子には、外交官としての仕事を断念して皇室に入り、国際親善を皇族として、大変な、重要な役目と思いながらも、外国訪問をなかなか許されなかったことに大変苦悩しておりました」と述べられた。それが、あの“人格否定発言”そして、適応障害へと繋がっていった。

だからこそ、6月のインドネシアのご訪問は、雅子さまにとって心に残るものとなったに違いない。

フジテレビ 宮内庁担当・宮﨑千歳記者:
当初予定になかった行事にも急きょ、皇后さまがお出になることができた日がありました。当日の体調をご自身で見極めて「元気なので出られます」と自ら申し出られて、それも今回の訪問の特徴的な面だと思います。

それが大学で日本文化を学んでいる学生との交流だった。雅子さまは、卒業論文を書いているという学生には「卒業論文ということは、今4年生ですか?」「何を研究しているの?」と声をかけられるなど、 積極的に若者たちと触れ合おうとされていた。

昼食会で出された「押し寿司」 皇室の伝統に“新風”

そればかりではない。こうした、雅子さまの微笑みは、日本へのお客さまをも包み込む。

その一つが、11月に来日したベトナムのトゥオン国家主席夫妻への昼食会でのもてなしだ。

元宮内庁職員 皇室ジャーナリスト・山下晋司氏:
日本の良さといいましょうか、そういうものもぜひ伝えたいというお気持ちは、両陛下とも非常に強くお持ちだと思うんです。

それは、皇室の伝統に新風を吹き込む出来事だった。

元宮内庁職員 皇室ジャーナリスト・山下晋司氏:
明治7年(1874年)に明治天皇ご臨席のもと、外国の公使を招いて西洋料理を振る舞ったというのは記録としてありますので、そこからですと来年ちょうど150年という節目になるんですけれども、その間、外国の賓客を招いての料理というのは西洋料理というふうになっていたんですね。

ところが、両陛下は…

フジテレビ 宮内庁担当・宮﨑千歳記者:
以前からお二人でお考えになっていたそうなんですけれども、両陛下が和食を取り入れたいという提案をされて、今回初めてオードブルに、和食(押し寿司)を提供することになったんです。

それに加え、江戸切子のグラスを使い日本酒で乾杯するという趣向を凝らした。

フジテレビ 宮内庁担当・宮﨑千歳記者:
お庭の紅葉が見えるお部屋で、そこから日差しが差し込んで、(江戸)切子のグラスがとても輝いていたりですとか、そこからものすごく会話が弾んでいたそうなんですよね。

そんな“和のもてなし”があったからこそ、雅子さまと国家主席夫人の帰り際、7分もの立ち話につながったという。

フジテレビ 宮内庁担当・宮﨑千歳記者:
恐らくその余韻のまま別れを惜しむような形で、なかなかそこまで長く話し込まれることはそんなに多くないと思うんです。

元宮内庁職員 皇室ジャーナリスト・山下晋司氏:
ひょっとしたら、将来的に「全て日本食」っていうことだってあるかもしれないですよね。そういうことも含めて、令和における新しい国際親善の形というものが、少しずつ見えてきたなと思っています。

“和へのこだわり”の原点

令和における“新しい国際親善の形”。“和へのこだわり”。その原点は、雅子さまの幼い頃から母・優美子さんが大切にしてきたことだという。

“和へのこだわり”の原点には、母・優美子さんのお考えが…
“和へのこだわり”の原点には、母・優美子さんのお考えが…

元宮内庁職員 皇室ジャーナリスト・山下晋司氏:
「日本のことを忘れると、それこそもう根無し草のようになってしまう」と。ですから、日本の文化や伝統や歴史というものも大事にしながら、国際的に活躍するっていう、そういったものが恐らく、お母さまのお考えだったんだとは思います。

そんな教えを受け、 ハーバード大学留学中も、自ら「日本文化クラブ」なるサークルを立ち上げ、折り紙や巻き寿司を紹介するなど活動を行われ、外務省に入ってからは、海外で和食を紹介したいと日本料理教室に通われていた。

海外で和食を紹介したいと、日本料理教室に通われていた。右が山田寿男さん。
海外で和食を紹介したいと、日本料理教室に通われていた。右が山田寿男さん。

指導をしたのは、当時、銀座の日本料理店「晴美」の店主だった山田寿男さんだ。

山田寿男さん:
これは雅子さまが料理教室に習いに来て、出席した時の料理の献立なんです。これを持っていった時に、お母さまが見て「これは食べたね」っていうようなことがありましたから、おうちで作られていたのかなと思いますね。

雅子さまは、どんな生徒よりも熱心だったという。

山田寿男さん:
献立表の端っこに空欄があるんですよ。そこにメモができるようになっていて、必ずそれとボールペンを持って、それで気がついたらすぐにメモしていました。

その甲斐あって、得意料理は「ふろふき大根」だったという雅子さま。そういった和の料理や精神が、皇室での30年あまりの月日を経て、新たな一歩の礎となったのだろうか。

 9日に発表されたお言葉は、こんな決意で結ばれている。

「来る年が、我が国、そして世界の人々にとって、明るい希望を持って進んでいくことのできるより良い年となることを願いつつ、国民の皆様の幸せを祈りながら、できる限りの務めを果たすことができますよう努力してまいりたいと思います」
(「Mr.サンデー」12月10日放送より)

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