被爆者の核廃絶への思いを受け継ぎ、世界に。その活動を続ける広島の大学生が、核兵器禁止条約の2回目の締約国会議が開かれたアメリカ・ニューヨークを訪れ、各国からの参加者らに被爆国の若者としてのメッセージを伝えた。
被爆地の思いを自分の言葉で伝えたい
11月、英語のスピーチを練習していたのは、広島市立大学1年の大内由紀子さん。
![広島市立大1年 大内由紀子さん](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/c/d/700mw/img_cdf5d87390460a188a9e743342b50d37266128.jpg)
広島と長崎出身の大学生でつくる平和団体の代表の大内さんは、ニューヨークで核兵器禁止条約の2回目の締約国会議に出席するため準備を進めていた。
![広島市立大 11月](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/7/8/700mw/img_781b71c84a78c4798aa9e11f3b56f260519934.jpg)
広島市立大学1年 大内由紀子さん:
被爆地広島に住んでいる者として、やはり改めて核兵器がいかに恐ろしいものであるかということを、いかに不必要であるかということを自分の声で、行動を持って示したいと思います。頑張ります
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/b/c/700mw/img_bca9bb4b013fe194b4c068d0e8c0778c364856.jpg)
核兵器の開発や使用などを全面的に禁止する初めての国際条約「核兵器禁止条約」には、93の国、地域が参加しているが、アメリカの核の傘に守られる日本や核保有国は参加していない。
被爆者団体、広島市などは、以前から日本政府に参加を求めている。
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/f/0/700mw/img_f0c594b0cc007b18f517f30ea45d6793560645.jpg)
条約に参加する国が集まる初めての締約国会議は2022年、オーストリアのウィーンで開かれ、大内さんも当時、高校生平和大使として現地を訪れ、世界の若者たちとの交流イベントに参加して平和を訴えた。
![2022年6月 ウィーン](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/5/1/700mw/img_51f0f39a3368c6dc4a23a9e2296f456e443497.jpg)
大内さん(当時、高校生):
スローガンは微力だけど無力じゃない。日本の高校生として何ができるのか考え続けたい
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/0/7/700mw/img_07e9c02077993008065a96bbe2399704355091.jpg)
そこで海外の若者たちが同じように核兵器廃絶を願い、活発に平和活動を行う姿を目にしたことが今回、再び締約国会議を訪れる原動力となった。
![2022年6月 ウィーンで他国の若者と交流](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/5/6/700mw/img_565ec4bd83fdca7d4c678f41277517e1488391.jpg)
11月28日にニューヨークの国連本部で開幕した2回目の締約国会議には、広島市の松井市長も出席した。
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/f/0/700mw/img_f0b1902f0eaa1fa9dccd2c476d58b705675120.jpg)
広島市 松井一実市長:
今、私たちが手にした核兵器禁止条約をより実効性のあるものにすることが、ますます重要になっています
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/f/8/700mw/img_f826a472cfdf4886108951b27a3f0b70502154.jpg)
今回の締約国会議の舞台となった国連本部の議場で、世界中の市民団体や広島市の松井市長などが核兵器廃絶を訴える中、大内さんはある被爆者から平和の願いを託されていた。
![国連の議場での大内さん](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/6/0/700mw/img_60b7a08a5dfbf5eb8dab5a11eff79458443639.jpg)
被爆者から託された「折り鶴の思い」
大内さん:
会いに行った被爆者の方は、川野登美子さんなんですけど、この方は佐々木禎子さんのクラスメートで、かつ親友だったんですね。川野さんから、禎子さんのエピソードを伺うと同時に、30冊のノートを頂いた
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/4/3/700mw/img_43022cf9a338734bf6c206967fcd033e533447.jpg)
佐々木禎子さんは、平和公園の「原爆の子」の像のモデルで、2歳の時に被爆し、10年後に白血病を発症、病院で回復を祈る折り鶴を折り続けたが、12歳で亡くなった。その後、折り鶴は広島の平和を願う象徴となった。
被爆者の川野さんから託されたのは折り鶴の再生紙で作られたノート。
![「原爆の子」の像に届いた折り鶴の再生紙のノート](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/3/6/700mw/img_36d702ccbf230e9ccea65e19e9a210d0331619.jpg)
ニューヨーク滞在中、大内さんは議場だけに留まらず、若者の交流会やデモなどに参加し、行く先々でこのノートを各国の外交官やアメリカの平和活動家たちに手渡しながら、核兵器の廃絶を呼びかけた。
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/f/8/700mw/img_f8ffb7660aa8c0c5b69b93e2cf5cf658442656.jpg)
大内さん:
アメリカの国内にも、これだけ多くの活動家がいるということを自分自身知ることができたので、大変心強く感じましたし、次もそういった活動家たちと一緒に頑張っていきたいなという気持ちが高まりました
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/d/2/700mw/img_d2a714b0ab2f44b2e142d9256e59d792653311.jpg)
ニューヨーク滞在中に、大内さんの心のなかでより大きくなったのが、条約に参加しない日本政府への不満。
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/8/f/700mw/img_8f68d72b15505747736cf3065ceb8ce7344456.jpg)
滞在最終日、現地の日本領事館の前で、その思いを練習を重ねてきたスピーチに込めてぶつけた。
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/b/6/700mw/img_b6af8a2aa186712114d73d9bea86226b537952.jpg)
大内さんのスピーチ:
小さなことの積み重ねが大きなムーブメントになるということ、それは核兵器禁止条約にも当てはまります。私は日本政府をとても残念に思います
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/8/3/700mw/img_83ec665202880105d0a04aeaddb47492560265.jpg)
唯一の戦争被爆国として、核兵器廃絶に向けた動きを日本が主導するよう大内さんは訴えた。
大内さんのスピーチ:
勇気を持ってください。核兵器によって作られる平穏は平和とは言えません
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/9/b/700mw/img_9bcb068abb17ede8082f932cca838d30579064.jpg)
今回の経験で、大内さんは、帰国後も引き続き、日本政府に核禁条約への参加を働きかけていく決意が固まったという。
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/5/b/700mw/img_5b5135bf4d66a310c42fcdc976b71b40463265.jpg)
大内さん:
被爆者の方から私たちの活動に大切なことは、「団結と継続」という言葉をいただきました。なので日本国内のみならず、海外の活動家とも団結して、そして継続して同じ活動ができるように頑張っていきたいと思います
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/9/5/700mw/img_95417006ea52687e7239d1b005a2279c626813.jpg)
次の締約国会議の開催は2025年3月。「私たちは微力だが無力ではない」大内さんは、日本政府が新たな一歩を踏み出すよう訴え続ける。
(テレビ新広島)