創立100年を迎えながらも震災と原発事故の影響で2017年から休校が続いている福島県双葉町の県立双葉高校。高校最後の年、母校に戻ることが出来なかったかつての高校生は、恩師の背中を追って教員の道を歩んでいる。「一生懸命生きろ」あの日の恩師の言葉が背中を押す。
創立100年…母校は休校続く
![双葉高校創立百年記念式典・挨拶する猪狩良太さん](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/7/f/700mw/img_7f7f4d39209a539046f5d50dd113238d63585.jpg)
「2011年3月11日、あのときから私たちの運命は大きく変わりました」
10月8日開かれた双葉高校の創立100年の記念式典。若者の代表として挨拶したのは猪狩良太さん(30)だ。
![夏の甲子園3回出場・双葉高校](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/4/a/700mw/img_4abef6c28968e5c424613260b3118f3d81403.jpg)
双葉高校はかつて夏の甲子園に3回出場した文武両道の名門校。原発事故で帰還困難区域となり、双葉高校は立ち入りが制限され、校舎は今も震災当時のまま。2017年から休校となっている。猪狩良太さんは「今まで引き継がれてきたものと我々もプラスで加えなければいけないこと、復興にはいろんな面で必要なのかなと感じました」と話す。
![休校続く双葉高校の校舎](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/3/a/700mw/img_3ac16be52ab280e040dbd9591a30595083341.jpg)
教員7年目 きっかけは恩師との出会い
![福島県立白河旭高校で教壇に立つ猪狩さん](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/2/b/700mw/img_2b9bcc900468fd55a95081007553390359418.jpg)
「義和団事件、日清戦争が終わった後の中国で起こった出来事だよというところで」
教員となって7年目になる猪狩さん。福島県白河市にある県立白河旭高校で教壇に立っている。教員を目指すきっかけとなったのが、高校3年間担任だった志賀和人先生との出会いだった。
「生徒のために力を注げる高校教員になりたいなと思ったのは、志賀先生があってのことだったかな」と振り返る。
![猪狩さんの恩師・志賀和人先生](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/a/0/700mw/img_a0942b1fedb10ed1e2c22b2ee318b57b96512.jpg)
原発事故で避難
富岡町出身の猪狩さんは、原発事故で着の身着のままの避難を経験した。
猪狩良太さん:(同級生で)うちが流されたんだとか、親が死んだんだとか、うち帰ったらなんもなかったんだとか、刻一刻と原発の状況も悪くなっていく中でやっぱり「転校するわ。ごめん」という友達もいっぱいいた。
![震災で物が散乱した教室](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/a/e/700mw/img_aee7d7f161e043f804ffc3e631423e7e87730.jpg)
生徒は県内外に散らばり
双葉高校の生徒たちは県内外に散らばり、原発事故から2ヵ月後、県内4つのサテライト校での授業が始まった。教科書や勉強道具を支援物資の中から探すことからのスタートだった。
「その1年間みんなとりあえずがむしゃらに一生懸命に生徒も先生方も今思えばやってた年だったので」と語る。
猪狩さんは生徒会長として、サテライト校が集まるイベントなどを企画。一番の相談相手が志賀先生だった。
![恩師と高校当時の猪狩さん](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/a/6/700mw/img_a6704cc3b602a4c4098748b9160da381101893.jpg)
恩師の言葉いまも鮮明に
卒業式の日、志賀先生の言葉が今でも鮮明に残っている。
猪狩良太さん:(志賀先生が)「高校3年間の最後の年に思うような学校生活とかを送らせてあげられなかったことが本当に悔しい」と。今思えば志賀先生だって被災したし、(そのなかで)本当に自分の身を削って進路指導とか色んなサポートして下さったなって。「この震災の経験っていうのは、お前らの人生にとっては絶対マイナスじゃない。絶対プラスなんだ」とお声掛けしてくださって。「一生懸命なんかをしたり、物事に向き合えば得られるなにかがある」と。
震災の経験を生徒に
志賀先生の背中を追って教員となった猪狩さん。数年後、恩師の訃報を耳にした。
猪狩さんは、震災の記憶が殆どない生徒たちにあの時の経験を伝えている。
![](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/3/e/700mw/img_3e95268716186b6d7006884a391994cf43321.jpg)
「本当に今は感じないかもしれないし、特別に思わないかもしれないけども、やっぱり改めて自分の生まれ育った地元とか、ずっと一緒の友達とかは大事にしなさいっていうところとか、自分が経験したってことも踏まえて、伝えていってもいいのかなって思うところではありますね」
歩み固かれ目は遠く
双葉高校の記念式典。
「双葉郡の復興はまだまだこれからですが、それでも一歩ずつ着実に前進しています。歩み固かれ目は遠く地に足をつけてしっかりとした目標をもって教壇に立ち続けたいとここに誓います。何事にも一生懸命に」
![2023年10月8日・双葉高校創立百年記念式典](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/9/7/700mw/img_97e4fc37f7b5fd668ef6286fb2111c5279436.jpg)
記念式典のこの日、双葉郡の思いを伝えた猪狩さん。卒業生でもあるシンガーソングライターの渡辺俊美さんが100年を記念して作った曲に母校と恩師の姿が重なった。
![式典で歌うOBの渡辺俊美さん](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/4/d/700mw/img_4dbfae024bcbaf42ef7e08c27d3f9e9672331.jpg)
唄・渡辺俊美さん:「♪沈黙の校舎に我が名を刻め あなたの教えは人生をつらぬく」
”一生懸命生きろ”恩師の言葉を胸に
猪狩良太さん:教育現場が復興したり、再開するというところが、震災以降の大きな一歩になるんじゃないのかなと思っていて、あの本当にいつになるかもしれないわからないんですけれども、再開した後もそこで教壇に立てたらな、なんていうところも思いながら、その時のためにいろんな知識とか、まだまだスキルとかを見つけて、教員人生を歩んでいけたらいいかなって思ってます。(志賀先生は)お前まだまだペーペーだよって、多分ご覧になって笑っているんじゃないかなと思います。
![恩師の言葉を胸にきょうも教壇に立つ](https://fnn.ismcdn.jp/mwimgs/5/2/700mw/img_52ec4afee8369ceffea2d5cc28cc6a6b89380.jpg)
今は少し遠くなってしまった恩師と故郷。
「一生懸命生きろ」背中を押した恩師の言葉を胸に、きょうも教壇に立っている。
(福島テレビ)