関東大震災から9月1日で100年を迎えるのを前に、FNNは震災直後のおよそ10時間に及ぶ記録映像と数多くの写真を入手した。

劇場が建ち並ぶ浅草「六区」が焼き尽くされ、12階建てのシンボルタワー「凌雲閣」が崩れ落ちている。

また、両国国技館や官公庁の近代的なビルも焼失する様子が、映像から確認できる。

さらに、100人が海水浴をしていたという鎌倉市の由比ガ浜には9メートルの津波が襲いかかり、壊滅的な被害が出た。

激しい揺れにより、鎌倉の大仏は30センチも動いていた。

中でも甚大な被害を出したのは東京の4割を焼き尽くしたという火災だ。
取材により、当時の市民の貴重な手記を見つけることができた。
「列車が来ない…振り返ると空は真っ赤に」
震災当時、有楽町の外資系企業に勤め、横浜の自宅に帰ろうとしていた大関鬼子郎さんは、東京が火に包まれる様子をこう綴っている。

「有楽町駅から横浜桜木町行きの省線(列車)を待ったが来ない。そのうち平野屋の裏の方で火事が起こり、散々広がって警視庁、総監官舎、帝劇(帝国劇場)と燃え移った」「しばらくするうち、多摩川の丸子の橋を渡ったが、…振り返り見れば帝都の空は真っ赤である」

震災による犠牲者およそ10万5000人のうち、9割が火事による焼死と言われている。
そして、焼死者のおよそ4割がいたという場所が、東京・墨田区の「本所被服廠(ひふくしょう)跡」と呼ばれた、東京ドームより一回り大きい広大な空き地だ。

ここに避難していた人の大半が火に巻かれて命を落としたのだ。

震災後、この場所に立てられた東京都慰霊堂。
フジテレビ・榎並大二郎キャスターが訪れると、そこには渦を巻く真っ赤な炎に人が巻き上げられる恐ろしい絵画が展示されていた。

学芸員によると、この時空き地で起きたのは「高熱の竜巻、火災旋風とも呼ばれている」という。

併設の施設には震災の火災で焼かれてぐにゃりと木に垂れかかった鉄板も展示されている。

FNNは、この火災旋風に襲われながら生き延びた人物の貴重な手記を、初めて撮影することができた。
生存者が遺した「火災旋風」の“地獄”
“火災旋風”から生き延びた男性の手記:「ゴゥーーと言うようなちょっと言葉にならぬ不気味な音に振り返ってみると…巨大な悪魔が大マントを両手で広げてかぶせるように迫ってくる。」

「ハッと思ったら身体が宙に浮かび上がった。2メートルか3メートルくらい上がったと思うが…北方と思われる方にはまだ空中に舞い上がっている人や荷台が見えました」
「建築足場や、焼トタンが飛んでくるようになった。トタン板は蝶が舞うように飛び交い、一人の頭をそぐようにしてまた次の人の頭へと、その人の頭が小皿のような形で切れて落ちる…生き地獄だ」

専門家によると震災による広域の火災や、火災旋風と呼ばれる現象は、現代に首都直下地震が起きた場合にも起きる可能性があるという。
「被災地」とされた多くのフェイク写真
また、関東大震災の際に、被災地として紹介された写真の中に、背景を書き換えたり、合成したフェイク写真が多数含まれていたことも、取材によりわかった。

災害にはつきものとされるこうしたフェイク画像や、デマ情報は、時に混乱や誤った避難行動を助長し、二次災害を引き起こすおそれがある。

当時こうした写真は、新聞や公的刊行物にも掲載されていたという。
なぜこのようなフェイク画像が作られ、大量に出回ったのか。

写真を発見した元共同通信の沼田清さんは、その原因の一つとして「新聞社みたいに大きなところが震災の被害を受けてすぐに動き出せなかった」と指摘する。
関東大震災により東京の新聞社17社のうち14社が倒壊し、すぐには発行できない中で、被災状況を知るすべとして飛ぶように売れたのが、こうした写真だったというのだ。
このようなフェイク画像や流言は、ネット空間と親和性があり、現代社会で震災が起きればより深刻な問題になる恐れがあると専門家は指摘している。
フジテレビは当時の多くの映像や写真、手記などから100年の時を経て伝えられる関東大震災の真実と、首都直下地震に備える現代への教訓について、特別番組で伝える。
「イット!×わ・す・れ・な・い特別編 関東大震災100年の真実」9月3日(日)午後4時~午後5時25分 フジテレビなどで放送予定(「51st フジサンケイクラシック 最終日」放送延長の際は、放送時間短縮または休止の場合あり)