米連邦最高裁で6月、世論の分断をさらに広げる保守寄りの判決が次々と示された。
一つは、大学入試で黒人などを優遇する「アファーマティブ・アクション」と呼ばれる選考方法を違憲とした判決だ。さらに、同性カップルの結婚式に関わるサービス提供を信仰を理由に拒めるかどうかが争われた裁判では、「拒否できる」とする判決が示された。いずれもバイデン政権が推し進める多様性とは異なる保守寄りの判決だった。

分断の象徴として政治が注目されがちだが、時代に応じた国民感覚が色濃く表れるとされる裁判にも二分化が及んでいて、国民の間では最高裁に対する信頼低下も深刻になっている。実際に5月のシカゴ大学の世論調査によれば、最高裁判所を「強く支持する」「やや支持する」と回答した人は、過去最高だった1989年の90%から、大きく下落し、過去最低の64%となった。上記判決を受けて、最高裁はさらに「支持」を減らす可能性もある。

世論調査では最高裁判所への支持率が過去最低となった
世論調査では最高裁判所への支持率が過去最低となった
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なぜ、ここまで最高裁への信頼が低下してしまったのか。この原因は、最高裁がリベラル派と保守派の間の文化や価値観の対立に巻き込まれ、それが判決にまでに及んでいることにある。最高裁では現在、保守派の判事が過半数(保守派6人、リベラル派3人)を占めていて、リベラル的な過去の判例に否定的な判決を出すことが相次いでいる。

9人の最高裁判事のうち6人は保守派が占めている
9人の最高裁判事のうち6人は保守派が占めている

こうした保守的な判決を次々と下す最高裁の中で注目されるのが、黒人のクラレンス・トーマス判事だ。トーマス氏は、数々の論争の的となる問題で、保守的な立場を貫いてきた。具体的には、人工妊娠中絶への反対、LGBTの権利についての反対、同性愛者へのサービス提供の拒否に対する支持、武器を持つ権利の支持などだ。また、大統領選挙にも重要な影響を与えてきた。2000年の共和党・ブッシュ氏と民主党・ゴア氏の選挙戦において、フロリダ州の票の数え直しの阻止に対する支持などがある。トーマス判事を巡っては、4月、共和党支持者の富豪から長年にわたって豪華な旅行の接待を受けていたことも明らかになった。トーマス判事の生い立ちを紐解くと、現在のアメリカ社会の分断の背景が見えてくる。

保守派として注目される黒人判事のトーマス氏
保守派として注目される黒人判事のトーマス氏

同じ黒人に差別される時代に生まれた判事

トーマス氏は、1948年にアメリカのジョージア州の貧しい黒人社会で生まれ育った。肌が黒色よりも薄ければ薄いほど、白人に近いとして優遇される、「ブラウン・バッグ・ルール」が存在していた当時の黒人社会内で、肌が黒く、唇が厚く、鼻が低かったトーマス氏は差別を受ける存在だった。だが、彼は優等生として名門ホーリークロス大学を卒業し、イェール大学法学院に進学した。しかし、そこでも差別を感じたという。イェール大学では後に政治家となる、元安全保障担当補佐官ジョン・ボルトン氏やクリントン夫妻などと交流したが、白人の同級生の多くからは、彼の入学は黒人などを優遇する入学制度(差別是正措置)のおかげだと蔑まれていたという。トーマス氏は差別を受けてきた黒人として、社会的な成功を目指すが、その道筋として選んだのは、大勢の黒人がいるリベラル(民主党)ではなく、白人が中心の保守(共和党)だった。

イェール大学院時代のトーマス氏
イェール大学院時代のトーマス氏
トーマス氏は学生時代にクリントン大統領夫妻とも交流があった
トーマス氏は学生時代にクリントン大統領夫妻とも交流があった
トーマス氏とボルトン氏の同窓会の様子
トーマス氏とボルトン氏の同窓会の様子

自身の家族すらも批判し保守派で知名度を上げる

1974年イェール大学法学院を卒業したトーマス氏は、ミズーリ州の検事総長である共和党のジョン・ダンフォース氏の下で、公民権、教育、環境に関する多くの立法作業や、調査を行う職に就き、自身のキャリアをスタートさせた。ダンフォース氏はその後、上院議員にも当選し、トーマス氏もスタッフとして政界に進出していく。ここでトーマス氏は自身の保守的な見解をメディアで公言するようになり「福祉に依存している」と自らの家族すらも批判して、レーガン元大統領が支持していた社会福祉の大幅な削減に賛成の論陣を張る。貧しい黒人の多くが社会福祉の削減の影響も受ける中で、トーマス氏の行動は注目を集めた。こうして、政治の中心地ワシントンで徐々に知名度を上げてきたトーマス氏は、レーガン政権で雇用に関する委員会のメンバーにも任命され、黒人の保守派としての地位を確立させていく。

レーガン政権時代にトーマス氏は黒人保守派としての地位を固めた
レーガン政権時代にトーマス氏は黒人保守派としての地位を固めた

トーマス氏の最高裁判事就任とバイデン大統領との因縁

1991年6月、アメリカで初めて黒人の最高裁判事となった、サーグッド・マーシャル判事が引退を表明し、後任問題が浮上する。当時の大統領は共和党のブッシュ氏であり、新しい最高裁判事を指名する必要があった。ブッシュ氏は、ここでトーマス氏を指名したものの、順調に進まなかった。マーシャル判事はリベラル派で公民権運動の支持者であったが、その後任として保守派のトーマス氏を指名することは激しい反対を受けた。最高裁判事は議会によって厳格な審査が行われるが、公聴会では、トーマス氏は、本来なら反対であるはずの人工妊娠中絶などについて、賛否を明言しないことで、反発を抑える答弁を繰り返した。その結果、トーマス氏を委員会として推薦はしないが、上院の本会議で承認するかの投票は行われることになった。しかし、直前に政府が行っていた身辺調査の結果をメディアに暴露され、セクハラ問題が浮上した。議会の上院では、公聴会を再開する必要があると判断し、テレビの生放送で行われることになった。当時の公聴会のトップは、現在のバイデン大統領が務めていた。トーマス氏とバイデン大統領の確執はここから顕在化していったのだ。トーマス氏は疑惑を否定し、セクハラ問題を黒人の抑圧の一環と反論した。最終的に上院はトーマス氏の指名を52対48で承認したが、大きな禍根を残すこととなった。

バイデン大統領が当時委員長を務めた公聴会の資料
バイデン大統領が当時委員長を務めた公聴会の資料

トーマス氏「黒人社会への裏切りではない」

最高裁判事に就任したトーマス氏だが、その保守的な立場は、一部の黒人社会で裏切り者と見なされることにつながった。しかし、トーマス氏自身は、自分が批判を受けた行動は黒人社会に対する裏切りではなく、むしろ黒人の利益を純粋に守るための方法だったと説明する。彼はかつて、イェール大学での学生時代の経験をワシントン・ポスト紙にこう語っている。「毎日、自分自身を証明しようとしなければならない。なぜなら、人々が私に対して抱いている前提は、あなたは愚かで、ここにいる資格がないというものだからだ。」

黒人がイェール大学に行けるのは肌の色のおかげだと言われていた彼は、黒人を優遇しているように見える積極的差別是正措置政策は、白人が自分たちの人種的・階級的特権を反映させるために利用しているのだと考えている。黒人が真の意味で、成果を得る機会を奪っていて、白人からの優遇措置に依存しない場合にのみ、真に立ち上がり、その成果を誇りに思うことができるということを彼は強調する。こうした背景もあり、6月29日には、ハーバード大などの入学選考で黒人や中南米系を優遇する積極的差別是正措の訴訟で、最高裁は法の下の平等を定めた憲法に違反していう判決を下すことにつながっていく。

大統領選にも影響する最高裁判決

また、民主党のゴア氏と共和党のブッシュ氏が争った2000年の米大統領選では、全ての州で開票結果が出そろう一方で、投票結果が確定していないフロリダ州が焦点となった。この時点で獲得した選挙人は、ゴア氏が267人、ブッシュ氏は246人。フロリダの25人を制した方が大統領になることは確定だった。ではなぜ、フロリダ州だけ結果の確定が遅れたのか?それは、ブッシュ氏がゴア氏をわずか1,784票の僅差でリードしているだけだったからだ。この差は、フロリダ州の有効投票総数の0.5%弱でしかなく、州の法律で自動的に票を数え直すルールが発動されたからだ。再集計の結果、ブッシュ氏のリードはわずか327票に縮まったが、ゴア氏側は不満を示し、連邦最高裁に訴えた。しかし、最高裁はゴア氏側の訴える投票の再集計を5対4で阻止。この決定により、ブッシュ氏の勝利が確定した。 トーマス氏は当然、判決の中で再集計に反対した。

ジョージ・ブッシュ元大統領
ジョージ・ブッシュ元大統領

トーマス氏への反発と妻の存在

トーマス氏を支持する人々は、彼が困難な人生経験を経てアメリカの黒人の、不公平な状況を変えようとする独自の方法を行っていると評価する。一方で彼を裏切り者と呼んでいる人たちは、手段を選ばず頂点に立つことを目指し、公正さや平等を欠いており、黒人の社会的な進歩を妨げるものだと批判する。

トーマス氏の最高裁判事就任式では隣にジニー夫人の姿があった
トーマス氏の最高裁判事就任式では隣にジニー夫人の姿があった

最高裁が保守的な判決を続ける中で、トーマス氏とリベラル派の対立を深めた要因の1つが、トーマス氏の妻のジニー氏の存在だ。保守的な発言を繰り返すトーマス氏であるものの、判事としては政治的な発言制約があるが、妻のジニー氏はない。そのため、個人的に保守強硬派のグループを設立して代表的な存在となり、トランプ前大統領が当選した後には、MAGAと呼ばれる「アメリカを再び偉大」という運動を支援するようになる。トーマス夫妻はトランプ時代に地位を高め、ホワイトハウスとの直接的なつながりと影響力を確立した。彼らと民主党の対立を一層深めたのは、2020年の大統領選挙。バイデンの勝利が確定した時、ジニー氏と彼女の仲間たちは選挙の信頼性に疑問し、結果を覆すためのトランプ支持キャンペーンを積極的に展開していた。ジニー氏自身も1月6日のデモ行進に参加し、フェイスブックでMAGAを支持する投稿をしていた

歴史の転換点に?次々と重大な判決が下る

今年、最高裁は数々の歴史的な保守寄りの判決を下してきた。社会の分断が鮮明となる中で、多くの人は2024年の大統領選挙が極めて重要となってくると感じている。なぜなら次の政権の期間では、高齢で引退をささやかれる判事がいることから、次期政権に最高裁判事を指名できるチャンスがあるからだ。リベラル派の判事を選んで保守派の動きを止めるのか、それとも保守派の判事を選んで、今後も保守的な判決が出続けるのか、この重要な分かれ目になるとも言われている。アメリカ社会を分断する価値観の対立は、次の大統領選でさらに鮮明な形で現れて来る可能性が強まっている。

(FNNワシントン支局 石橋由妃)

石橋 由妃
石橋 由妃

東京生まれ、中国・北京育ち。イギリス留学を経て、アメリカン大学大学院でデジタルメディアを学ぶ。趣味は山水画、油絵。ワシントン支局カメラ・企画担当。