「フタバスズキリュウ」に「モシリュウ」。研究史に残る重要な化石が発掘されてきた東北地方。こうした中、80年ほど前に「世紀の大発見」とされながらも、行方が分からなくなった化石がある。その名も「イナイリュウ」。化石の紛失によって、研究者たちの間ではある議論がいまもなお続いている。

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全国有数の発掘場所 化石が地域資源に

6月、親子向けの化石の発掘体験イベントが宮城県南三陸町で開かれた。全国でも指折りの化石発掘場所として知られている南三陸町。体験会では、アンモナイトや植物の化石が次々と見つかる。目を輝かせるのは子供だけでない。「子供が恐竜や化石に興味があったから連れて来た」という親は、「自分のほうが夢中になっている」などと話してくれた。

南三陸町では、1970年に世界最古の魚竜のひとつ「ウタツギョリュウ」の化石が発見され、大きなニュースとなった。イベントの責任者は、「南三陸の地名が入った化石もある。化石は町を盛り上げる貴重な資源になっている」と話す。5年前に始まった化石発掘体験への参加者は累計で4000人を越えたという。化石が地域の立派な観光資源となっているようだ。

南三陸町で見つかった「ウタツギョリュウ」の化石
南三陸町で見つかった「ウタツギョリュウ」の化石

そんな南三陸町の隣にある、豊かな自然広がる登米市津山町も、かつて化石で大きな注目を集めたことがある。今から80年ほど前、世紀の大発見とされた大型爬虫類の化石が見つかったのだ。それが、謎に包まれた生物「イナイリュウ」だ。

「日本最古大型爬虫類」イナイリュウの化石

50年ほど前に出版された恐竜図鑑に載っていた「イナイリュウ」。1939年、現在の登米市の「稲井層群」という地層から発見されたことからその名がついた。

発見後、東北大学で鑑定作業が行われたのち、2億5千万年前の「三畳紀」の地層から見つかった、日本最古の大型爬虫類の化石として論文が発表された。

東北大学が発表した論文
東北大学が発表した論文

イナイリュウは、首長竜の祖先にあたるノトサウルス(偽竜類とも呼ばれる)の一種と考えらている。化石が見つかった三畳紀は、ジュラ紀や白亜紀といった恐竜大繁栄時代の前の時代。イナイリュウは、海で生活する原始的な爬虫類で、水中を泳ぐための「水かき」や、鋭い歯を持っていて、魚やアンモナイトなどを食べていたと考えられている。

発見場所にほど近い地元の公民館には、「イナイリュウ」の復元模型が展示されている。見つかった化石は長さ90センチ、幅30センチとかなり大きいサイズ。そこから復元された姿は、体長1.3メートルと推定されている。

登米市・津山公民館に展示されているイナイリュウの復元模型 
登米市・津山公民館に展示されているイナイリュウの復元模型 

そんな、「世紀の大発見」として大きな話題になったイナイリュウの化石だが、保管先の東北大学から姿を消すことになる。

図鑑から消えた「イナイリュウ」

イナイリュウの化石発見者・鈴木喜三郎さん 小学校の教師だった
イナイリュウの化石発見者・鈴木喜三郎さん 小学校の教師だった

東北大学との話し合いで分かったのですが、戦時中、仙台空襲の直前なんですかね…。化石を疎開した時に混乱で無くした可能性が高いと…
(イナイリュウの化石発見者の孫・鈴木孝也さん)

イナイリュウの化石発見者の孫・鈴木孝也さん
イナイリュウの化石発見者の孫・鈴木孝也さん

こう話すのは、発見者・鈴木喜三郎さんの孫、鈴木孝也さんだ。今もイナイリュウの化石を探しながら、多くの人に知ってもらおうと様々な活動をしている。鈴木さんによると東北大学は、戦時中、標本類を戦火から守るためその多くを山形県に疎開させていて、その過程で標本が失われた可能性が高いという。

唯一の化石が失われたたイナイリュウ。それが原因なのか判然とはしないが、その後、数々の図鑑から徐々に姿を消していくことになった。

調べていくと1970年代以降、図鑑からイナイリュウが消えてますね。
まさにイナイリュウ、”いない”リュウですよ
(イナイリュウの化石発見者の孫・鈴木孝也さん)

東北大学もイナイリュウの化石を捜索したが、手がかりさえ見つからなかったという。長年化石研究に携わってきた、東北大学・永広昌之名誉教授は当時の状況について、「戦争末期に標本類や重要書類の一部を山形に疎開させたという記録はあるが、何を移したのか、それがいつ戻ってきたのかという記録も公式なものとしては一切無い」と話す。

これまでたった一体しか化石が見つかっていない「イナイリュウ」。今後、新たな化石が見つかる可能性も十分にあるという。

イナイリュウは、今のイルカくらいの頻度ではいたと考えるのが普通。どこかで、運良く化石になって残った別の個体がいるはず。ぜひ見つけてもらいたい
(東北大学・永広昌之名誉教授)

東北大学・永広昌之名誉教授
東北大学・永広昌之名誉教授

イナイリュウ…実は魚竜説も

イナイリュウを巡っては、古生物研究者の間で長年議論されている説がある。
「イナイリュウはウタツギョリュウなのではないか」というものだ。

そもそも、発掘されたイナイリュウの化石は、主に胴体のみで、種の特定に重要とされる頭部、「ひれ」や「水かき」といった四肢を判別する大部分がなく、化石から得られる情報は決して多くなかった。そんな中でも東北大学は、脊椎骨の突起などから「イナイリュウは爬虫類の一部であるノトサウルス類」と判断していた。

そのイナイリュウの化石発掘から、31年後の1970年。隣町の南三陸町で、日本最古の魚竜・ウタツギョリュウの化石が見つかった。頭部の化石が見つかり、魚竜と特定するのに大いに役立った。

「イナイリュウ」の化石が見つかった場所のすぐ近くで発見された「ウタツギョリュウ」の化石。ここで、先ほどの節が浮上する。化石が見つかった地層(三畳紀)や、体長(イナイリュウ:1.3メートル ウタツギョリュウ:1.4メートル)といった点で、共通点が多かったためだ。

南三陸町で見つかった ウタツギョリュウの化石
南三陸町で見つかった ウタツギョリュウの化石

「爬虫類とされたイナイリュウは、実は魚竜なのではないか」そんな疑問が、研究者の間で湧き上がったのは、必然の流れだったのだろう。しかし、時すでに遅し。イナイリュウの化石は紛失していて、比較調査することはかなわなかったのだ。

この疑問に対し、一つの見解が示されている。1986年、フランス・パリの古脊椎動物学の専門家 ジャン=ミシェル・マザン氏が、残されたイナイリュウの化石のスケッチをもとに、再検証を試みたのだ。この検証をもとに発表された論文で、「イナイリュウとウタツギョリュウは脊椎骨の突起などで違いが見られる別種」とされた。

ジャン=ミシェル・マザン氏による論文 (引用:Proceedings of the Japan Academy)
ジャン=ミシェル・マザン氏による論文 (引用:Proceedings of the Japan Academy)

こうした専門家による「お墨付き」がある中でも、イナイリュウ魚竜説は、議論され続けている。背景には「化石の紛失」が影響していることは疑いようもない。

化石発掘場所 現在はコンクリートに覆われている
化石発掘場所 現在はコンクリートに覆われている

イナイリュウが、「自分をなんとかしてくれ見つけてくれ」と叫んでいるんじゃないかという思いはありますよね…
(イナイリュウの化石発見者の孫・鈴木孝也さん)

イナイリュウの化石が発見された場所は、現在コンクリートで覆われ、再調査できない状態だ。それでも鈴木さんは、今も化石を追い求める。
祖父が見つけたイナイリュウの存在を証明するために。

(仙台放送)

仙台放送
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