宮城県山元町中浜地区で代々受け継がれてきた神楽があった。震災による津波で一時存続が危ぶまれたが、地区に住む男性たちの指導のもと「こども神楽」としてよみがえった。津波で家族4人を失いながらも、神楽を復活させた男性を取材した。

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町に響く太鼓と笛の音

5月某日、宮城県山元町の小学校から聞こえる太鼓と笛の音。この日行われていたのは、「神楽」の授業だ。神楽とは、歌をうたい、舞を踊り、神事の時に奏するもの。代々受け継がれてきた地域の伝統を受け継ごうと、震災直後から小学4年生のカリキュラムに取り入れられているという。毎週月曜日の午前中の1時間を使って、子供たちは神楽を学ぶ。子どもたちに指導するのは、神楽の伝統を守り続けて来た地域の男性たちだ。

高山一男さん:
踊りは太鼓の音に合わせる。太鼓が早くなれば踊りも早くなるし、ゆっくりになれば踊りもゆっくりになる。必ず太鼓の音に合うように、踊らないといけない。

子どもたちに神楽の舞を指導する 高山一男さん
子どもたちに神楽の舞を指導する 高山一男さん

中浜地区で農業を営む高山一男さん(74)もそのうちの一人だ。自ら舞を踊り、子供たちに手本を見せ、子供たちは、高山さんの見よう見まねで踊る。子どもたちからは、「1年生の時から先輩の神楽を見てきて、舞を踊る様子が格好いい」「意外と楽しい」といった声が挙がる。
指導に熱が入る高山さん。一方で、今もなお、深い悲しみを抱えながら生きている。

今も消えぬ後悔の念

高山一男さん:
外に出ているときが震災を忘れられる時間。家に帰ってくるとどうしてもまだ思い出す。

震災で家族4人を亡くした高山さん 仏壇に手を合わせるのが朝晩の日課だ
震災で家族4人を亡くした高山さん 仏壇に手を合わせるのが朝晩の日課だ

東日本大震災の津波が山元町を襲ったあの日。高山さんの自宅には、妻の恵美子さん(当時58)と長女の陽子さん(当時33)、帰省していた次女の真由美さん(当時30)と真由美さんの長男で孫の悠真くん(当時6カ月)がいた。妻と娘たちは遺体で見つかったが、現在も孫の悠真くんは行方不明のまま。震災から12年が経つ今も、消えぬ後悔があるという。

震災の津波で帰らぬ人となった高山さんの妻・恵美子さん
震災の津波で帰らぬ人となった高山さんの妻・恵美子さん

高山一男さん:
地震のあと、すぐに妻と電話がつながり『家の中が大変だから早く帰ってきて』と言われ、心配だったので、『早く帰るから』と電話を切ってしまい…。一言「逃げろ」って言葉が出なかったのが、非常に残念でしょうがない

「津波が来るかもしれない」気づいたのは、電話を切った後だった。職場で津波の危険性が無くなるまで待機。移動が可能になったタイミングで自宅を目指すが、行く手をがれきが阻む。道中で車を乗り捨て、遠回りをしながら2時間かけてたどり着いた、我が家があるはずの場所。そこで沈みゆく夕日が照らしていたのは、知らない町の姿だった。

東日本大震災直後の山元町 
東日本大震災直後の山元町 

高山一男さん:
「仮設住宅で、ただ黙って部屋の中にいるっていうのも無理なもので…自分でどうしていいか分からなかった」

当時を「泣くことしかできなかった」と振り返る高山さん。夜になると酒を飲み、自暴自棄になったこともあったという。そんな悲しみに暮れていた高山さんを救ったのが、神楽の指導だった。

友と伝える地域の伝統

高山さんのもとに舞い込んできたのは、津波で校舎が被災した中浜小学校の児童への「神楽」の指導の依頼。「伝統の灯を絶やしてはいけない」そんな思いから、悲しみに耐えながらも、依頼を受けることを決意したという。高山さんがその時頼ったのが、同じ中浜で生まれ育ち、代々伝わる「神楽」を一緒に守ってきた、2人の幼なじみだった。

高山一男さん:
町が被災して、子供たちの心も傷だらけなんだよね。そんな子どもたちが、神楽をやりたいと思っているなら、ぜひやろうじゃないかと。俺の方から2人に連絡した。

高山さんが相談を持ち掛けたのは、千尋正さん(75)と斎藤新弥さん(79)。70年来の親友だ。震災後、時には共に酒を飲み、一緒に泣き、励まし合ってきた。

高山さん(右)とともに神楽の指導をする 千尋正さん(中)と斎藤新弥さん(左)
高山さん(右)とともに神楽の指導をする 千尋正さん(中)と斎藤新弥さん(左)

千尋正さん:
毎晩泣いていたってどうしようもない。ただ慰め合っても先に進まない。子どもたちが俺たちを頼っているなら…。

斎藤新弥さん:
毎晩一緒に飲み食いした。(震災)に区切りをつけて気晴らしでもしたらいいのではと。

「震災」と「神楽」を通じて深まった絆

今年で13年目になる「こども神楽」。今では学校の発表会だけでなく、地元のお祭りなどで披露されるようにまでなった。高山さんは、練習に取り組む子供たちに、成長した悠真くんの姿を重ねることもあるという。

高山一男さん:
悠真も今頃これぐらいだなって。写真を見ると何も変わらない小さい子供だけど。

高山さんたちは、悲しみを乗り越えたわけではない。ふるさとの伝統を守るため、寄り添ってくれる仲間たちと、前を向いて生きることを決めただけだ。その中で3人は「神楽が心のよりどころとなった」と口をそろえる。

高山さんの孫・悠真くん いまもまだ行方不明のままだ
高山さんの孫・悠真くん いまもまだ行方不明のままだ

千尋正さん:
みんな震災で心に傷を受けた。当時、仕事から帰ってきて一緒に飲んで泣いて…その繰り返しだった。心のよりどころ、すがりたいものがあった。震災があったから、絆がより深くなった。

斎藤新弥さん:
元々子供のころからの付き合いだから…死ぬまでの付き合いじゃないか。

高山一男さん:
3人が肩を組んで絆が深まったというのは、震災後余計に感じるね。体が続く限り、指導に努めたいと3人で話している。

中浜で生まれ、ともに笑い、酒を酌み交わし、ときには涙した3人の仲間。ふるさとに代々伝わる笛と太鼓の音を、これからも響かせていく。

(仙台放送)

仙台放送
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