「旧優生保護法」のもと不妊手術を強制されたとして、県内の女性2人が国に損害賠償を求めた裁判の判決が、6月1日、仙台高等裁判所で言い渡される。全国の一連の訴訟に先駆けて起こされた、今回の裁判。「最初の原告」となった女性が、いま願うこととは。

「生きているうちに…急いでほしい」

飯塚淳子さん
「生きているうちに、とにかく早く進んでほしい。急いでほしいという思いが強くあります」

飯塚淳子さん(77)
飯塚淳子さん(77)
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「旧優生保護法」を巡る裁判の原告の1人・飯塚淳子さん(仮名)77歳。
16歳の時、軽い知的障がいを理由に、妊娠できないようにする不妊手術を強制された。
以前、飯塚さんは取材に対し、当時、何があったのか語ってくれていた。

飯塚淳子さん:
「眠り薬がおにぎりの中に入っていたのか、父親と会った後のことがまったくわからない。子どもを生まれなくするための手術をされて、それで終わりだっんたでしょう。本当にみじめです」

終戦の翌年の1946年、小さな農村に生まれた飯塚さん。父親は体が弱く、母が山菜取りの仕事をしていた。きょうだいは弟と妹が6人。一家は生活保護を受けていた。母は仕事で忙しく、運動会などの行事を見に来ることができなかったという。飯塚さん自身でさえ、母の手伝いに追われて学校に行けない日もあった。

15歳で知的障害児の施設を卒業。奉公に出された。住み込みで働いて一年が経った頃、「奉公先の女性に、『出かけるからついておいで』と言われた」という。
連れて行かれたのは、川沿いのベンチ。そこで手渡されたおにぎりを食べてから、近くに建つ診療所へと向かった。中には、なぜかしばらく会っていなかった父もいた。
飯塚さんには、そこからの記憶がないという。

その建物は、不妊手術を行う県立の診療所だった。飯塚さんは「できるなら16歳に戻りたい」と話した。

“最初の原告”壁となった「除斥期間」

1996年まで存在した旧優生保護法。「不良な子孫の出生を防止する」とうたい、遺伝性とされた病気を持つ人や知的障害のある人は、不妊手術を強いられた。各都道府県に残されている記録を確認すると、手術を受けたのは全国で2万4991人にのぼる

飯塚さんたちが、全国で初めて国に損害賠償を求める裁判を起こしたのは2018年。
翌年、仙台地裁は、旧優生保護法を「憲法違反」と判断したが、不法行為から20年で損害賠償を請求する権利が消滅する「除斥期間」を理由に訴えを棄却した

高齢の飯塚さんにとって、「裁判」は、負担の大きなものだった。
地裁判決後、疲れから心に不調をきたしたという。

飯塚淳子さん
「1人でじっとしていられないから、電話をかけまくる。結果、電話料金が膨大になる。落ち着きません…今もずっと」

飯塚さんの提訴以降、全国各地で旧優生保護法をめぐる訴訟が起こされた。
仙台地裁のように、「除斥期間」を理由として、原告の訴えを退ける判決が続いたが、転機が訪れる。2022年2月、大阪高裁での判決だ。
大阪高裁は「除斥期間をそのまま認めることは、著しく正義、公平の理念に反する」として、原告の訴えを棄却した一審判決を取り消し、国に損害賠償を命じたのだ

これ以降、3つの控訴審と3つの一審で、原告勝訴の判決が相次いだ。この流れの中で、仙台高裁は判決を下すことになる。

宮城県内に住む70代と80代の男性2人への賠償を認める判決が下る 2023年3月・仙台地裁
宮城県内に住む70代と80代の男性2人への賠償を認める判決が下る 2023年3月・仙台地裁

60年以上苦しんだ原告…早期解決を

子供を産めなくなった飯塚さん。23歳の時、男の子を養子に迎えた。現在、障がい者支援施設で暮らすという、息子とのひとときは、飯塚さんにとって、過去の辛い記憶と向き合う中で、数少ない楽しみになっていた。新型コロナで思うように面会ができなくなり、より一層、子供の大切さを感じたという。

23歳で養子を迎えた飯塚さん
23歳で養子を迎えた飯塚さん

飯塚淳子さん
「新型コロナの感染拡大前は、子供のところによく行っていた。裁判が落ち着いたら、また子供に会いに行きたい」

 
 

望まぬ不妊手術から約60年。1月の控訴審・口頭弁論で「結婚や子供というささやかな夢を奪われ、人生を狂わされた」と訴えた飯塚さん。いま願うことは、ただ一つだ。

飯塚淳子さん
「いい判決であってほしい…最高裁まで行かずに、今回でいい方向に行くのが一番良い」

原告の高齢化は進み、35人いた原告のうち、5人はすでに亡くなっている。原告団は判決だけでなく、政治判断による早期解決を求めている。注目の判決は6月1日午後3時、仙台高裁で言い渡される。

(仙台放送)

仙台放送
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