東日本大震災の津波で最愛の子ども3人を亡くした木工作家の男性が、宮城県石巻市にいる。「消えてしまいたかった…」失意のどん底にいた男性を救ったのは、同じ石巻市で津波の犠牲になった、アメリカ人外国語指導助手の遺志を継ぐ「本棚づくり」だった。
この記事の画像(21枚)海を渡った「テイラー文庫」
4月24日、アメリカのワシントン・ダレス国際空港。
遠藤伸一さん:
お疲れ様です
関係者:
本当に来た!
現地の関係者に迎えられたのは、遠藤伸一さんと妻の綾子さん。石巻市在住の彼らが、はるばる海を越え、1万キロ以上離れた異国の地に来たのは、ある理由があった。
遠藤伸一さん:
テイラー先生の思いを母校に持ってこさせてもらえるのはすごい楽しみ、重要な役割をさせてもらっている。
石巻市の小学校などで外国語指導助手をしていた、テイラー・アンダーソンさん。
東日本大震災の津波で犠牲になった一人だ。
「異国の地で帰らぬ人となってしまった娘の遺志をつなぎたい」そんな思いからテイラーさんの両親が始めたのが、被災地の小学校などに英語の本を贈る「テイラー文庫」という活動だ。
その本を収納する本棚の制作で白羽の矢が立ったのが、木工作家として活動する遠藤さんだった。
男性の心を救った「本棚作り」
遠藤伸一さん:
どうやって生きていけばいいか。最初は消えてしまいたい思いもあった。
遠藤さんは、東日本大震災による津波で、中学1年生の長女・花さん(当時13)、小学4年生の長男・侃太さん(当時10)、小学2年生の次女・奏さん(当時8)を失った。
自分を責め続け、自暴自棄になった時期もあった。そんな深い悲しみの中にいた遠藤さんを救ったのが、子供たちに英語を教えてくれていた、テイラーさんの遺志を継ぐ「本棚作り」だった。
遠藤伸一さん:
亡くした子どもの遺志、生きた証を作っていく生き方なら俺にもできるのかなと。
最初の本棚が完成したのは震災から6カ月後の2011年9月。震災当日にテイラーさんが勤務していた、石巻市の万石浦小学校に贈られた。本棚は時を超え、いまもなお、子供たちに親しまれている。
その後も本棚を作り続け、これまでに作った本棚は、被災地の学校を中心に29カ所に贈られた。そして今回、30カ所目にして初めて海を渡り、テイラーさんの母校ランドルフ・メーコン大学に贈られることになった。
遠藤さんは「本棚を贈られるのが自分の母校で、日本とアメリカでつながる。テイラー先生もうれしいだろうし、私も自分のことのようにうれしい」と語った。
異国の地で思いをつなぐ
アメリカに到着した翌日、遠藤さんはさっそく、大学で本棚の組み立てに取り掛かった。テイラーさんの後輩となる、学生約50人とともに、本棚を完成させるという。
遠藤伸一さん:
テイラー先生の思いをつなぐことができることに感謝しています。皆さんがテイラー先生の思いをつないでくださることにも感謝しています。きょうはよろしくお願いします。
普段から日本語を学んでいる学生たちだが、コミュニケーションをとるのが困難な中、片言の英語と身振り手振りで作業工程を伝えていく遠藤さん。
最初はぎこちなかった学生たちも、自然と本棚作りにのめり込んでいく。
参加した学生は「日本とアメリカの架け橋となる本棚に関わることができてうれしい」「テイラーさんの記憶をこの大学で生かし続けていくことに携わることができて感謝している」などと話す。遠藤さんが本棚に込めた思いは、しっかりと学生に伝わっているようだ。
この日はテイラーさんの両親も見学に訪れていた。板に開けられた穴が気になるという。遠藤さんは「出来上がったときに、本棚を挟んでもお互いが見えるように」と説明した。2人は大きくうなずき、本棚の仕上がりに満足しているようだった。
テイラーさんの父 アンディー・アンダーソンさん:
出来上がった本棚をほとんど見てきたが、これは最高のものだと思います。遠藤さんの芸術性と、彼が今ここにいることを学長も光栄に思っていて、それはテイラーの名誉であり、記憶に残る素晴らしい場所になることを示している。
犠牲になった人たちが「生きた証」
迎えた寄贈式の当日。
日本の文化を学んでいる学生たちが「すずめ踊り」で遠藤さんたちをもてなした。
最愛の子供たちを失い、自暴自棄にもなった。そこに差し込んだ「希望の光」本棚作り。
多くの人に支えられながら本棚を作り続けた12年。
様々な思いが交錯したのか、遠藤さんの目にはうっすら涙が浮かんでいた。
遠藤伸一さん:
テイラー先生の思いを父ちゃんがつないだら、(亡くなった)子供たちがきっと喜ぶだろうという思いで制作させてもらった。12年前は想像もできなかったけれども、それが現実になった。夢のよう。30カ所目、テイラー先生の母校に入れさせていただいたのは、本当に感謝と感動です。
テイラーさんの遺志を受け継いだだけでなく、遠藤さんの心のよりどころにもなった「テイラー文庫」。震災から12年の時を経て海を渡った本棚は、異国の地で震災を伝え続ける。
テイラーさんだけでなく、遠藤さんの最愛の子どもたち、そして震災の犠牲になった全ての人たちの「生きた証」として。
(仙台放送)