日本のみならず、世界を代表する音楽家として大きな足跡を残した坂本龍一さん(71)が、3月28日に亡くなったことが分かりました。

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2022年12月11日から12日早朝にかけて計4回、30の国と地域に向けて配信されたピアノのソロコンサート。世界に向けて配信するにあたって「この形式での演奏を見ていただくのは、これが最後になるかもしれない」と語っていた坂本さん。

その言葉の通り、このライブが最後のパフォーマンスになりました。

「子どものために生きている」坂本龍一が語った心の変化

坂本さんが55歳の時に出演した、フジテレビの対談番組「ボクらの時代」。共演した見城徹氏に対して、自身に訪れた“心境の変化”についてこう話していました。

坂本龍一さん:
僕はもうほとんど、子どものために生きてるようなもんだね。

見城徹さん:
これすごいよね、そういうふうになると思わなかったよ。

坂本龍一さん:
思わなかったよ、僕も。

坂本龍一さん:
4人いるからね、1番下だけ離れてるわけ。で、上の3人はさ、それこそ朝まで飲んでたような時期の子たちだからさ。あんまり時間を共に過ごしてないんだよ。これ(4人目)はもう39の時にできた子どもだから、孫みたいな感じ。あまりにも不公平なんだよね、それで(上の子たちに)謝ったの「ごめん」って。ほら、自分にしか興味がなくて、親らしいことなんもしてないけど。「ほんとよ、ひどいわね」とかって怒ってたけど。

見城徹さん:
ほんとに自分のことしか考えてなかったからね。昔はね。

坂本龍一さん:
そうでしょ?最近、よくわかるよ。その当時はわかってないからね。

「言葉や音楽というものも、絶対に必要な生き物」テロや震災きっかけに

2001年、坂本さんがニューヨーク在住中に起きたアメリカ同時多発テロ事件。これを機に、平和や社会問題への言及を強めていきます。

そして、2011年東日本大震災発生時には「もちろん水や食べ物も絶対必要ですが(人間は)言葉や音楽というものも、絶対に必要な生き物です。僕は音楽を作る人間ですので、このプロジェクトの一環として、音楽も作って寄付の一助になればと思っています」と話していました。

“音楽で何か支援ができないか”。そんな活動の背景には、子どもの存在があったといいます。

坂本龍一さん:
なんかね、世界観が変わったというかさ。結局、今しか見てなかった。最後の(子どもが)ができて、ちょっと待てよと思うとさ。こいつが20歳になった時に、こいつが今の自分の年になった時に、地球がどうなってるんだろうとかさ。こいつちゃんと生きていけてるだろうかとか、そうすると、20年後30年後40年後をさ、想像するわけよ。時間の視野がバーンと伸びる。

坂本龍一さん:
どっかの国の大統領にしても、なにしても、父親だったりおじいちゃんだったり、次の世代を持ってるわけじゃないですか。その愛してる子どもや孫のことを考えたらさ、その時間の想像力っていうのは、ぽーんと50年くらい伸びるはずなんですよ。だったら、今こうやってたら50年後にこうなるだろうっていうのはさ、普通の頭があれば分かると思うんだけどさ。わかんない人も多いみたいだね。

見城氏から、子どもたちに財産を残してやりたいかと聞かれると、坂本さんはこう答えていました。

坂本龍一さん:
うん、もちろんそう。だけど著作権の権利みたいなことが残っちゃうと、もし自分の子どもたちが骨肉の争いになったらさ、こんなに悲しいことはないから。どっかに全部寄付しちゃおうかなとかね。親の金を当てにして生きていこうなんてのは、やっぱ人間として弱いから。勝手にね、生き抜いていってほしいじゃない。だったら別に何も残さないでいいのかなって気持ちもあるよ。

(「めざまし8」4月3日放送より)