1945年8月9日、長崎市に一発の原子爆弾が投下され、約7万4,000人もの命が奪われた。そこで生まれた「被爆者」と「被爆体験者」。国が当時の行政区域を元に定めた「被爆地域」の外で原爆に遭った人は被爆者と認められず、「被爆体験者」と呼ばれている。

―「被爆者と認めてほしい」―
上京し、直接自分たちの声を届けた被爆体験者に国からの回答はー。

内部被ばくによる健康被害を訴えも…

2023年1月16日、被爆体験者たちは被爆者認定を求め、長崎地裁前で思いを訴えた。

被爆体験者・濵田武男さん(83 ※取材当時):
15年余り 裁判で闘ってきた

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被爆体験者 岩永千代子さん(87 ※取材当時):
なんで私たちを分断したり差別したりするのか、不可思議な、なんとも解釈ができない状況にある

被爆体験者が被爆者認定を求めて、長崎県と長崎市を相手に起こしている裁判。この日、長崎地裁で本人尋問が行われ、4人の被爆体験者が証言台に立った。
語ったのは、78年前の1945年8月9日、原爆が落とされた直後に見た光景―。そして、その後患った様々な病気についてだ。

被爆体験者・松田ムツエさん(84 ※取材当時):
鋭い閃光(せんこう)、鋭い音がして耳と鼻をふさいで伏せた

被爆体験者・松尾榮千子さん(82 ※取材当時):
(原爆投下直後)発疹が出た、(現在は)乳がんがたくさん(再発)している

被爆体験者・岩永千代子さん:
(原爆投下直後)私が一番記憶しているのは、歯ぐきから血が出る。今は指が曲がらない。しびれがひどくて、1時間半眠れたらいい方

原告団長の岩永千代子さんは、「原爆の放射線の影響で病気になったのではないか」と、内部被ばくによる健康被害を長年訴え続けている。

しかし国は、国が当時の行政区域を元に定めた「被爆地域」からわずかでも外れていれば、「放射線の影響は一切ない」と断定している。

被爆者認定を求め、2007年に初めて提訴した被爆体験者。最高裁まで争ったが、「低線量の被ばくにより健康被害が生じるという科学的知見は確立されていない」などとして敗訴した。

長崎は“新しい認定基準”の対象外

「納得できない」―。被爆体験者は2018年に再提訴した。

被爆体験者・岩永千代子さん:
不合理なことは不合理って言い続けるのが人間の道でしょ。私たちが差別されている、分断されていることは、これは許せない

被爆体験者の語る「分断」これは、国による「長崎と広島への対応の違い」を指す。
2021年7月、「黒い雨訴訟」で広島高裁判決は、「原爆放射能による健康被害が否定できないことを立証すれば足りる」として、広島原爆の黒い雨を浴びた原告全員を被爆者と認めた。

これを受け、国は2022年度から新しい被爆者認定基準の運用を開始し、救済の対象を拡大したが、新たに救済されたのは広島だけで、長崎は対象外だった。
2022年3月、衆議院予算員会で岸田首相は、対象外とした理由を次のように話した。

岸田首相:
過去の裁判例との整合性、そして黒い雨が降った地域の存在を示す客観的な資料の有無、これらを整理する必要がある

国は、「被爆体験者が敗訴した最高裁判決が確定していること」、「長崎で黒い雨が降った客観的証拠がない」などの理由から長崎を対象外とした。

これに対し、長崎県が2022年に立ち上げた専門家会議は、「最高裁判決は『判例にあたらない』」と結論付けたほか、「長崎でも雨や灰が降ったことを示す証言がある(※長崎で雨が降った証言129件 <1999年の調査>)」とする報告書を作成し、長崎県と長崎市が2022年7月、国に提出していた。

国からの返答は、半年後の2023年1月だった。

大石賢吾長崎県知事:
長崎で黒い雨等に遭った人が、広島と同じように(被爆者)認定や救済につながるような回答が得られなかったことは残念に思う

「被爆体験者を被爆者と認めることはできない」―。理由として、過去の最高裁判決や雨が降った客観的資料がないと説明するなど、従来の主張を繰り返す「ゼロ回答」だった。

被爆体験者・岩永千代子さん:
なぜ最高裁の判決を今になって出すのか。(広島)高裁の判決を受け入れて手帳を交付しているという事実がある。国が言っていることは秩序が守られていない。法の下の平等を侵している

田上富久長崎市長:
(被爆体験者に)寄り添った姿勢を示された回答ではなった。そのことについては遺憾に思う

長崎県と長崎市は、「引き続き、国と協議を続ける」としているが、体験者は…。

被爆体験者・濵田武男さん:
市と県に任せておかずに、行かにゃいかんっちゃないか。自分たちの個々の生の声を伝えに行きたいね。総理大臣と厚労省の大臣に

「我々に残された時間は少ない」

岩永さんとともに活動してきた濱田武男さんなど被爆体験者訴訟の原告や支援者は上京し、厚生労働省の担当者に「広島と同等の救済を」と直接、訴えることを決めた。

岩永さんは体調が不安なため参加せず、代わりに手紙を濵田さんに託した。
手紙には、次のように記されている。

爆心地から12キロ圏内で被爆していても、旧・長崎市ではなかったから認められない人たち…なんと多いことか。兄弟・姉妹が白血病、甲状腺がん、多疾患で苦しみ病み、多くの者が逝き、今も続いています。
亡くなる寸前、「『私の病気は原爆のせい』これを遺言として」とつぶやいた人もいます。
原爆の影響を受けていないと言えるのでしょうか。どうしても納得いきません。
いまだに続く原爆による苦しみ。真実と正義はどこにあるのでしょうか。
原爆…決してもう二度と繰り返してはなりません。
私たちのこれまでの苦しみが平和構築の証言者となればと思うのみです。
岩永千代子

そして2023年2月14日、被爆体験者たちは厚生労働省を訪れ、抗議した。

多長被爆体験者協議会・橋本募副会長:
被爆体験者を被爆者と認めないことを前提とした結論ありきの見解と言わざるを得ない

協議の場で、被爆体験者の濵田武男さんは今回、上京を断念した岩永千代子さんの手紙を代読した。

岩永さんの手紙を代読する濵田武男さん:
総理が常々、弱者を支援する政策を打ち出しておられる姿を拝見しております。ですから被爆体験者問題についても、広島と長崎の被爆者を同等に公平に公正に対処していただけるその途上だと理解したいのです。決して長崎の私たちを見捨ててはいないと信じたいのです

抗議を受けた厚生労働省の担当者は、従来の説明を繰り返した一方で、「救済には新たな知見が必要」とも話した。
協議に立ち会った国会議員からは、「1999年の証言調査で終わりにせず、国または県、長崎市が被爆体験者に再度聞き取り調査を行うべき」との意見もあがっていた。

協議に参加した被爆体験者は、「我々に残された時間は少ない。被爆者と認められるまで
最後まで訴え続けたい」と話した。

(テレビ長崎)

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