米中関係悪化招くことは承知の上?
中国の偵察用と思われる気球が米国領空に侵入し撃墜されたのは、米中関係改善への拒絶反応としか思えない。

この問題で想起するのは1960年のメーデー。米国のU2スパイ機が当時のソ連ウラル上空で撃墜された事件。その前年にニキータ・フルシチョフ書記長が訪米して「雪解け」という言葉が使われるほどに盛り上がった緊張緩和の機運をいっきに消滅させ、パリで予定されていた米ソ首脳会談はキャンセル、翌61年にベルリンの壁構築、62年のキューバ危機と米ソ間の緊張が高まっていった。
今回も中国外務省は「強烈な不満と抗議」を発表しており、対抗措置も考えられる。今後の米中関係は危機的な状況を迎えることを覚悟しておかなければならないが、今回の気球事件の詳細を検討すると中国側はそれを承知の上だったと考えざるを得ないのだ。
“スパイ衛星”ではなく“スパイ気球”だった理由
まず気球という道具で「スパイ」行為を試みたことだ。スパイ衛星だと開発から打ち上げで3億ドル(約400億円)かかるので安価であることや、気球がレーダーに捉えられにくいという利点があると指摘する専門家もいるが注目されたのは米誌「タイム」電子版3日の記事だ。
「気球の利点はいつでも探知できることです。どこからでも目撃できることです」
豪州戦略政策研究所のベック・シュリンプトン理事のこういう談話を紹介している。
特にブリンケン米国務長官の北京訪問が予定されている時でもあり、米国がフィリピンの軍事同盟を強化した直後というタイミングで気球が出現したことに同理事のような軍事専門家は注目していると記事は伝え、続いてシンガポールの中国問題の研究家ジェームス・チャー氏の反応を紹介している。
「これは中国軍が戦争ギリギリの限界で示威行為を行ったものだと思います。米国も中国も明白な理由で事態を悪化させたいとは考えていないからです。脅威であることは間違いありません。どの程度深刻なのか?もし十分深刻なら、米国の体制がもっと思い切ったことをするはずです」
米国は4日気球を撃墜して、その「思い切ったこと」をしたのだ。

スパイ衛星なら「領空侵犯」にならない
つまり中国軍は米国の反発を予想した上で誰にでも目につく気球を米国へ向けて飛ばしたというのだが、そうであれば他にも気球を使った理由が考えられる。
気球は米国上空約2万メートルを浮遊したとされるが、その国の領空は「10万メートルの大気圏内」というのが国際的に通用している基準で、米国は中国の気球を「領空侵犯」と断ずることができるわけだ。
逆に衛星で米国上空からスパイ活動を行っても、米国は「領空侵犯」と非難したり排撃することはできないのだ。
対中国でのバイデン政権のアキレス腱
加えて米国のバイデン政権には中国に強く対応せざるを得ない事情があった。
バイデン大統領の次男ハンター氏のファンドが中国企業から資金提供を受け、父バイデン大統領に多額の配当を払う計画があったことがハンター氏の遺棄したコンピューターの記録からわかったとして共和党が議会で追及する構えでいることがある。

またバイデン政権は不法移民の流入に寛容な政策をとっていることに共和党が反発しており「地上の国境だけでなく空の国境も守れないのか」と責められていた。
こうした保守派の声を代表して大衆紙ニューヨーク・ポスト紙はその一面いっぱいに気球の写真と「この気球を撃ち落とせ」という大見出しを掲げた。
中国の外交当局者がこのような米国政界の空気を知らなかったはずはない。
今回の気球騒動が関係改善を期待されていた米中関係を毀損するものだったなのならば、その目的は十分に果たしたと言えるが、それを画策したのは誰だったのだろうか?
【執筆:ジャーナリスト 木村太郎】
【表紙デザイン:さいとうひさし】