行方不明の男の子を救助したことをきっかけに「スーパーボランティア」として広く知られるようになった尾畠春夫さん(83・大分県日出町在住)。尾畠さんの100キロウォークに同行し、常に挑戦を続ける尾畠さんの人生観に迫った。

 (前編の記事はこちらから)

尾畠さんの「歩くこと」そして「恩返し」への思いについて。
2022年10月12日で83歳になった尾畠さん。
「歩くこと」にこだわる尾畠さんは、100キロウォーク以外にも、実はこれまでに徒歩での日本縦断や本州一周などの挑戦を成し遂げてきた。全国各地を「歩いて」旅する理由について、このように話す。

スーパーボランティア・尾畠春夫さん
スーパーボランティア・尾畠春夫さん
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尾畠春夫さん:
歩く旅というのが一番人と話す機会も多いし、接する機会も多い。いろんな人と出会って話しをしてみたいなと思って

被災地支援の原点は「歩いて日本縦断」

尾畠さんは2006年、当時66歳の時に徒歩での日本縦断に挑戦し、鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬までを歩ききった。実は日本縦断の旅での出会いが、その後の被災地支援へとつながっていったのだ。

被災地支援の原点となった、日本縦断の旅
被災地支援の原点となった、日本縦断の旅

2011年3月11日、東日本大震災が起きた。東北で壊滅的な被害が出ていることを知った尾畠さん。このとき真っ先に連絡したのが、日本縦断の徒歩の旅で出会い、食事を提供してくれた宮城・南三陸町の「恩人」の夫婦だった。

東日本大震災では「旅の恩人」の元に駆けつける

尾畠春夫さん:
すぐに電話したが全然通じない。ここで考えてもしょうがないから、行動に移せと思って

こうして南三陸町に向かった尾畠さんは、現地に入ってすぐに、お世話になった夫婦の無事を確認することができた。
かろうじて夫婦の自宅には被害はなかったが、町の惨状を目の当たりにした尾畠さんはそのまま現地に滞在し、災害ボランティア活動に従事。その後、大分と南三陸町を行き来し、支援はのべ約500日にもわたった。

徒歩の旅で出会った「おやっさんとねえさん」に恩返し

また、徒歩の旅で出会った恩人のためにと支援に駆け付けたのは2018年。
この年に起きた西日本豪雨では、尾畠さんが広島県の被災地で災害ボランティア活動に汗を流した。広島県に駆けつけた理由について、尾畠さんはこう話す。

尾畠春夫さん:
廿日市というところで、おやっさんとねえさんが凄くいいことをしてくれて、感動して。万分の一、お返しができたらいいかなと思ってやらせてもらっています

おやっさんとねえさん。
尾畠さんが親しみを込めてそう呼んでいるのが、広島・廿日市市に住む泊野義数さん・薫さん夫婦だ。日本縦断の旅をしていた尾畠さんに、食料を買う足しになればと1000円札を手渡した。

尾畠さんの座右の銘は「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」。
泊野さん夫婦の思いやりの心に感謝し、それ以来、手紙をやりとりするなどの交流を続けてきた。

「おやっさんとねえさん」泊野さん夫婦
「おやっさんとねえさん」泊野さん夫婦

泊野薫さん:
私らも、ええ人に巡り合ったねと思った

泊野義数さん:
芯からのボランティアの人。その姿は変わらないもんね

東京から大分目指すも…歩きの旅は断念 

2019年、「スーパーボランティア」として脚光を浴びるようになった尾畠さんは、東京の中学校での講演に招かれた。ボランティアについての考え方などを熱く語る中、ここである計画を明らかにしたのだ。

尾畠春夫さん:
明日から歩いて大分に帰る。ザックを持って

講演の翌日、尾畠さんは約1100キロ先の大分・日出町の自宅を目指して、東京を出発。この旅では、「世界の子供たちの幸福」を願って歩いた。

尾畠春夫さん:
子供に夢を与えるようなことを、このじいさんだけど、結果は必ず出るよっていうのを子供たちにお伝えしてみたいなと思って

しかし、有名人となっていた尾畠さんを一目見ようと沿道には人が殺到。迷惑をかけてはいけないと、静岡県で旅を断念。家族の車で大分へと戻ってきた。

東京から大分までを目指すも人が殺到し断念
東京から大分までを目指すも人が殺到し断念

尾畠春夫さん:
総合的に見て、これは交通事故になるなと思ったから…悪いけど、自分が身を引けば、交通事故が無くてすむなと。自分の個人的な判断で、今回の旅はここでやめるって決めたんです

失意の中、自宅に戻ってきた尾畠さんだが、この徒歩の旅で出会った人たちへの感謝を口にした。

尾畠春夫さん:
皆さんから励ましの言葉を頂いたのに、途中でもうやめて、こんなにしてね、逃げ帰ってきたみたいな状態になったけど。だけどね、受けた恩は絶対に忘れないから。必ず何かの形で恩返しはさせてもらいたいなと思っています

東京から大分を目指す旅 挑戦の裏には憧れの人

東京から大分を目指した徒歩の旅。実は、尾畠さんにとっては「長年の夢」だったのだ。

尾畠春夫さん:
第二次世界大戦の時には、アーン少佐の仲間も先輩たちも犠牲になった方もおられると思うけど、それを踏み越えて施設のためにやろうという気持ちになってくれたことが、私はものすごく感銘を受けたんですよ

アーン少佐に感銘を受けた尾畠さん
アーン少佐に感銘を受けた尾畠さん

アーン少佐とは、戦後に大分・別府市に駐留していたアメリカの軍人である。
戦災孤児たちがいた施設(現在は児童養護施設となっている)にプレゼントを持っていくなどのボランティアをしていた。
その後、アーン少佐は神奈川県の基地・キャンプ座間に移るが、施設との親交は続き、施設の新しい建物の建設費用を集めようと、ある挑戦をした。
それは、キャンプ座間から別府市の施設までを2週間以内で歩けるかどうかの賭け。失敗すれば倍にして返すと、同僚たちから賭け金を集めた。挑戦は見事に成功し、施設に善意が届けられた。

このエピソードに感銘を受けた尾畠さんは、自分もいつか同じ挑戦をしたいという夢をずっと抱いていた。尾畠さんが遠回りをしてでも座間市に立ち寄ったのは、アーン少佐の足跡を少しでも感じたかったからだ。

尾畠春夫さん:
(施設には)今も夢を持ちながら頑張っている子供さんもたくさんおるからね。無事に到達して、おいちゃん、がんばったよという姿を見てもらいたいなと思って

挑戦は断念となったが、尾畠さんは子供たちと一緒に山登りをするなど、施設との交流を続けている。

その生き方に海外メディアも注目

毎年10月、尾畠さんは福岡・行橋市から別府市までの約100キロを歩く挑戦「100キロウォーク」を行っている。
2019年、80歳の誕生日にもこの挑戦を行っていたが、尾畠さんを追いかけるテレビカメラのクルーの姿が…。密着取材をしていたのはドイツの公共放送だ。

海外メディアも尾畠さんの生き方に注目
海外メディアも尾畠さんの生き方に注目

ARDドイツテレビ東京支局 渥美真理子プロデューサー:
高齢化社会で、少子化社会と言われているドイツと同じ日本。その中で、高齢で元気で活躍しています。そういう素晴らしい人を、是非ドイツで伝えたいと思って

尾畠春夫さん:
海外(の人)が来ようが、他の星の人が来ようが関係ない。(世界中の人が)支えあって生きたらいいのではないかと思うわ

「人が人と出会い、支えあう」。そのことを大切にしてきた尾畠さんは、「スーパーボランティア」と呼ばれ注目されるようになった今も、これまでと変わることのない歩みを続けている。

(テレビ大分)

テレビ大分
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