1000人のがん患者を看取ってきた医師のある動画が、いま、多くの反響を呼んでいます。
その医師の名前は、関本剛さん。自らもがんにおかされ、45歳で亡くなりました。話題の動画は、関本さんが生前に収録した「お別れの挨拶」。
めざまし8は、関本さんの母親を取材。人々の心を動かした、関本さんの言葉に迫りました。

「最高の人生でした」緩和ケア医の“別れの挨拶”

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関本剛さんの「お別れの挨拶」動画:
現在2020年の10月10日でございます。私が肺がんの脳転移ということが診断されましたのが2019年10月7日でございますので、今1年目でございまして、まだ幸い脳転移に対して治療で制御できている状況ではあるのですけども、いずれ効かなくなる治療とは思っておりますし、かねてから自分の通夜、葬儀の挨拶は自分でしたいと思っておりましたので、VTRで大変失礼ですが、このようにメッセージを作成させていただいた次第でございます

カメラを見つめ、自身の死について話す男性。がんのため、2022年4月に45歳で亡くなった関本剛さんです。神戸市灘区のクリニックで、がん患者の体や心の苦痛をやわらげる、緩和ケア医として働いていました。
動画は、自身の通夜や葬儀で流すため、亡くなる約1年半前に撮影された「別れの挨拶」です。

関本剛さんの「お別れの挨拶」動画:
このVTRが流れているということは、既にお迎えが来たということだと思います。
平均寿命からしたらいささか短い人生ではありましたけども、思い起こせば最高の妻・子ども・両親・親族に恵まれ、最高の友人・同僚・先輩・後輩に囲まれ、そして高校時代から生業にしたいと思っておりました緩和ケアをずっと仕事にすることができ、趣味を楽しんだり、職業奉仕を楽しんだり、一言で言うと“最高の人生”でございました

この動画が8月に地元メディアで紹介されると、「死に直面していながら、この冷静さと穏やかさ、さすが緩和ケアの先生です」「皆さんに勇気を与えた素晴らしいお手本です」などと大きな反響を呼び、再生回数は310万回を超えました。

関本剛さんの「お別れの挨拶」動画:
ただ1つ後悔というか、気がかりなことがあるとすれば、残していく家族のことでございます。特に妻や子どもたちのことが気がかりでございます。皆さまにおかれましては、これまでと同様にお遊びであったり、何かの会合に、ぜひ妻や子どもをお誘いいただければ幸いでございます。ぜひともお力添えのほど、よろしくお願いいたします

それでも、最後まで湿っぽくなることはなく、こう語りかけました。

関本剛さんの「お別れの挨拶」動画:
おそらくこれから私はあの世に行きまして、先に逝かれた先輩たちと、おそらく宴会三昧の日々だと思うんですけども。後から来られる皆さまのために、皆さまが来られたときに気分よくこちらの世界に来ていただけますように、天国であっても地獄であっても、いいお店・いいお酒を手配してお待ちしております。ぜひアテンドさせていただきますし、もちろんそのような日が少しでも遅くなりますことをお祈りしつつ、私のお別れの挨拶とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。また、会いましょうね

自身が余命宣告受けても… “緩和ケア医”として患者に寄り添い続ける

生前、関本さんは執筆した著書に、2019年10月、末期の肺がんと脳転移が見つかった時の心境をこう綴っています。

「がんになった緩和ケア医が語る『残り2年』の生き方、考え方」(宝島社)より:
人生の折り返し地点と思っていた矢先の重い宣告に、私は打ちひしがれ、妻とともに涙した。

がん患者として、がん患者を支える医師として過ごした、関本さんの、“最期の2年半”。
めざまし8は、その2年半を傍らで見守り続けた関本さんの母・雅子さんに話を伺いました。

関本剛さんの母・雅子さん:
病気が分かった時点で、余命2年って言われていたので、じゃああと2年で自分は何をしたいかを真剣に考えていましたね。
まずは家族のために2年間生きたいということと、好きなことをしっかりやりたい。好きなことの中に仕事も入っていたんです

がんと分かってからも続けた、緩和ケアの仕事。一方で、病は容赦なく進行しました。徐々にろれつが回らなくなり、手に麻痺の症状も出ていたといいます。
そんな関本さんの姿を母親は、同じ緩和ケア医として、複雑な思いで見守っていたといいます。

関本剛さんの母・雅子さん:
最後の1年、1年半くらい、みるみる成長して、完全に追い抜かれたなと思いました。当然、「僕たち仲間ですよ」っていう対応で患者さんに関わるので、すごい信頼していただいていました。悔しいけどね

関本さんは、この時の心境を、著書でこう綴っています。

「がんになった緩和ケア医が語る『残り2年』の生き方、考え方」(宝島社)より:
私は、若くしてがんになってしまったが、そのおかげで人生の残り時間をみつめ、しっかりと向き合う姿勢を取ることができた。

がんになったことで見えてきた、「やらなければならないこと」。亡くなる2カ月前まで、その思いを貫いた関本さんは、がんと闘いながら、多くのがん患者に寄り添ってきました。

関本さんの患者だった女性の息子に、話を聞きました。
治療法がなく、精神的にも苦しんでいたという母親は、関本さんの元に通うようになって以降、穏やかな心境を取り戻していったといいます。

関本さんの患者だった女性の息子:
自身を犠牲にしても、患者さんのことをね、診てはったのは事実ですし。
母は痛みに関してすごい恐怖を持っていて、もう「怖い怖い」って、ずっと言ってたんですけど、「この段階でそんな痛みがないんやったら絶対大丈夫」って言ってくれたりとか。一言で言うと温かいですよね

(めざまし8 9月14日放送)