「国境なき子どもたち」と久子さまの深い縁
高円宮妃久子さまは、9月8日、東京・新宿区で行われた「国境なき子どもたち(KnK)創立25周年記念写真展」をご覧になりました。
久子さまは、この認定NPO法人「国境なき子どもたち」の写真展に、毎年訪れ、そのことをきっかけに、さらに深い縁に結ばれるようになられているのです。

NPO法人「国境なき子どもたち」は、1997年に設立されましたが、そのきっかけになったのは、当時「国境なき医師団」の日本事務局長をしていたドミニク・レギュイエ氏が1995年にスタートした「子どもリポーター」という、日本の子どもたちに生活環境の違う発展途上国の子どもたちを知ってもらい交流してもらおうという教育プログラムでした。
東南アジアで子どもの保護施設を取材する中で、ストリートチルドレンを保護し、教育を受けさせる支援が存在はするものの、その支援は15歳で打ち切られ、支援施設を出た子どもたちは、再び路上へと戻ってしまうという現実だったといいます。

そこでKnKは、貧困に苦しむ子どもたちを受け入れ、教育を受けられる環境作りのための自立支援施設「若者の家」をカンボジアに開設しました。

その後、「若者の家」はベトナムやフィリピンにも開設されていきます。
自立するための教育を支援する組織として歩みを始めることになりました。

教育支援は、貧困だけではなく、自然災害などで被災した子どもたちへと広げられています。
東日本大震災の際には、岩手県で「走る!KnK子どもセンター」というプロジェクトを行っています。
これは、大型バスを改造し、車内に勉強できる机や本などを配置し、子どもたちが自由に勉強するスペースとして使えるようにした移動型子どもセンターでした。

こうした教育機会を届けた国と地域は15、支援した子どもは18万人に及ぶということです。
また、KnKでは、日本の人たちに発展途上国の子どもたちの現状を知ってもらうことも活動の一つとし、2004年からは写真家を各国に派遣。その写真を毎年展示してきたのです。

高円宮妃久子さまは、こうした写真をご覧になるため毎年、姿を見せられています。
今回は25周年記念と言うこともあり、これまでの写真をご覧になり「懐かしいですね」などと話しながら、子どもたちの近況などについて説明を受けられました。

写真展を見終わると、久子さまは「それぞれ被写体となっている子どもたちの中で、ちがう自分たちの生活を築き上げて、それぞれが与えられたチャンスは同じかもしれないけれど、その中で、それを上手くものにできたとか、人間関係を築くことができたとか、色々ありますが、チャンスを与えると言うことの大切さを改めて感じますね」と述べられました。
また、今後のKnKの活動について「子どもたちは私たちの将来ですからね。その子どもたちがいい子どもたちを育てられるようになる、そういう世界がないといけない。とても大事な活動だと思います」とも感想を話されています。
「国境なき子どもたち」理事の守谷慧さんと結婚した三女・絢子さま
実は、久子さまは「国境なき子どもたち」とは深い縁を持たれています。
高円宮家の三女・絢子さんは、「国境なき子どもたち」で理事を務める守谷慧さんと2018年10月に結婚しています。絢子さんに守谷慧さんを紹介されたのが久子さまなのです。

慧さんの母親・季美枝さんは、KnKの専務理事として、途上国に赴き支援活動に取り組んできました。
そして、毎年、KnKの関連行事に出席されてきた久子さまと親交を持つようになりました。
季実枝さんは、残念ながら、活動していたカンボジアで病気のため2015年に亡くなりましたが、その遺志を慧さんが受け継いで子どもたちの支援に取り組んできたのです。
大学や大学院で福祉について学んできた絢子さん。
久子さまは、国際的な福祉活動に関心を持つきっかけになれば、と絢子さんに慧さんを紹介されたということです。

今回の写真展で、「国境なき子どもたち」の会長を務める寺田朗子さんらスタッフとの懇談の中では、9月1日に生まれた、守谷慧さんと絢子さんの次男、久子さまの2人目のお孫さんの話にも及び、「おめでとうございます」とお祝いの言葉を受けた久子さまは、うれしそうに「ありがとうございます」と答えられていたということです。
さらに、お孫さんと会ったことを明かされた際には「健康に育ってくれれば、健康で健全で周りを笑顔にできる子どもに育ってくれればいいですね。見守る方が楽しいです」と述べられていました。

お孫さんだけでなく、子どもたみんなにとって、明るい将来が開けるよう願われている高円宮妃久子さまのお姿でした。
【執筆:フジテレビ皇室担当解説委員 橋本寿史】